見出し画像

短編小説 「ワインレッドのこころ」

※以前に趣味で執筆していた短編小説です。
元々はお題にそった短編小説なので、原題は「玩具」という作品になります。

---------------------------------------------------------

魔法使いがこっそり集めていそうな色とりどりの小さな小瓶。
レッドストロベリーにチェリーピンク。サンライズオレンジにサマーレモン。
名前もとびきり可愛くて、それを指先に塗れば素敵な女の子に変身できる気がした。
たとえ、現実はそうじゃなくても。


【 ワインレッドのこころ  】


目が覚めると部屋の空気が乾燥している気がした。
私はベッドからおりてカーディガンを羽織ると、窓際のキャビネット上にある加湿器のスイッチをオンにする。
エアコンは26度に保たれていて暑くもなく寒くもない、ちょうど良い温度だった。

けれどスリップにカーディガンだとうすら寒く感じたので、モコモコした柔らかな部屋着に着替える。
ベッドをちらりと見ると、寝ている男はまだ目を覚まさない。気持ちよさそうな寝息が聞こえるのみだ。
恋人というわけではないので優しくしてあげる必要はないけれど、肩が出ていたので布団を引っ張ってかけてやった。

行為の後は軽く寝ても酷く気だるい。それは体だけじゃなく気持ちの面でも。
夜の仕事をしていると身なりの派手さが普段でも滲み出るのか、やたらろくでもない男に声をかけられる。

この男もそのうちの一人だ。それでもまだマシなほうかもしれない。
子犬のように人懐っこくて、新人ホストをやっているようだけれど確実に向いていないと思う。
それでも、こうしてたまに面倒を見ているのは、ただ単純に顔が好みだったから。
それと変に素直で、ラクだったからというのもある。

まだしばらく起きそうにないのと、私もやることがあるわけではないので時間を持て余しそうだった。
かといってテレビを見たいわけでもないし本を読みたいわけでもない。無理やり起こすなんて野暮な事はもっとしない。
シャワーは行為の直後にも二人して浴びたからそんなに気になるほどでもなかった。

どうしようかと思ってふと足元に目を落とすとペディキュアが目に入った。
そう言えばジェルのペディキュアが割れて、結局剥がしてしまったことを思い出す。

普段ならサロンに頼むけれど割れた個所が1つだけだったから迷う。というかサロンに行ってきたばかりでこれって、ぼったくられた気分。
後輩のキャストの子に安くなるからと紹介された初めてのサロンだったけど、もう行く事はないだろう。

そもそもそのキャストの子だってそこを紹介したのは善意ではない。親切の皮をかぶった偵察でしかない。
なぜなら彼女の付き合っているホストの二股相手が、このネイルの担当者だったからだ。
確かに派手そうな女の子だった。
唇はぽってり厚くてグロスがてらてら光っていて、焼肉を食べて脂まみれになった唇みたいでちょっと笑いそうになったのを覚えている。

結局そのスパイ活動は何の役にも立たなかったな。だって今はお店のボーイと付き合ってるわけだし。

私はドレッサーの引き出しからネイルが雑多に詰められたケースを引っ張りだす。
どうせ足元だし似たような色があるから誤魔化しで塗ってしまおうと思った。それで失敗したらいつものサロンに駆け込めばいい。ワンポイントでストーンをつければそれなりに見えるだろう。

ふかふかのラグマットに座り、いくつか色のある中で、ワインレッド色の小瓶を手に取るとキャップを開けた。
セルフネイルはいつぶりだろう。
そう思った時、私の脳裏には懐かしい光景が蘇ってきた。
幼馴染のシンゴのことだ。


シンゴと毎日遊んでいた、本当に幼かった頃。
たぶん幼稚園くらいだろうか。

庭先で遊んでいるとシンゴがこっそり私を呼んだ。
私は何かと思ってついて行くと、普通にシンゴの家だった。
何をコソコソする必要があるんだろうと思いつつ、いつもどおりに家に上がらせてもらうと向かった先は子供部屋だった。

私たち以外に誰もいるはずがないのにキョロキョロと用心深く周りを見渡して、「見てみて、リオちゃん」といたずらっぽく言った。

そういえばさっきから両手で何を持っているのかと思っていたけれど、シンゴは「綺麗じゃない?」と、まるで宝物の包みをほどくようにそっと開いた。

透明で派手なピンク色した小さな小瓶。
キャップは黒でそれがちょっと大人っぽい気がしたのを憶えている。

それはシンゴのお姉ちゃんの少女漫画雑誌の付録についてた子供用のマニキュアだった。

子供部屋に射す陽でシンゴの手のひらにピンク色の陰が映っていて、私はそっちのほうが綺麗だと思った。
今思えばとてもちゃちな代物だ。蛍光色にも負けないクリアピンクのネイルなんて、まるでおもちゃみたいなカラーだけど、子供の私たちからしたらまるで魔法のアイテムみたいだったから、ちょっとだけ興奮した。

「ねえ、塗ってみない?」

シンゴの提案に私は「お姉ちゃんにバレちゃうよ」と怖気づいた気がする。だってシンゴのお姉ちゃんは結構怖かったから。
それに指先に塗ったりなんかしたら、すぐにお姉ちゃん以外の大人にもバレてしまいそうで怖じ気づく。

そんな私に気付いてか「じゃあ、分かんないとこに塗ろう」と、シンゴは閃いたように「リオちゃん、くつ下脱いでよ。足なら分かんないよ」と言った。

私は少し考えて「……じゃあ、小指にならいいよ」と靴下を脱いだんだった。

シンゴは外でごっこ遊びしたり砂山を作ったりするよりも、家で絵を描いたり色塗りしたりする遊びが好きな子だった。だからマニキュアも塗りたくて、使ってみたくてしょうがなかったんだと今では思う。

ひざまずくように私の足の小指を真剣に塗るシンゴを見ながら、子供心に「秘密」というのを知った気がして心がムズムズした。



「リオさん?……起きてんの?」

背中から声がして我に返る。
記憶に見た子供部屋の空気、明るい日差し、陽の光にあたった部屋に舞う小さなほこり。
それはもうどこにもなくて、今見えるのは間接照明がいくつもついたオレンジの空間と薄闇、手に持っている深い赤色のネイル。
大人の女にしか似合わない色。

「ごめん、起こした?」
「俺けっこー寝ちゃってたかも……まだ眠い、やばい」
「寝てればいいのに」
「寝すぎると寝られなくなるから起きる」
「お水、ここにペットボトルあるから飲んでいいよ」
「ありがと。リオさん、何してんの」
「ペディキュア」
「あー、足のマニキュアね。なんでペディキュアって言うんだろ」
「知らない」

私が彼を気に入った理由。単純に顔。
ちょっとシンゴに似てるから。
なんかほっとけなかったから。

「ねぇ。あんたさ、名前なんだったっけ」
「えぇ~。そりゃないよリオさん。ケイタだよ」
「似てないな」
「へっ??ちょっと何それ。誰と」
「いや、あんたの顔に似たタレントがこの間客で来たから、ちょっと思い出しただけ」
「え~。そいつ売れてんの?」
「売れなさそう。だって値切り出したから」

適当な嘘を言って、唯一持っているまともそうな思い出を隠す。
ネイルはあっという間に乾いて、爪先でつついても跡にはならなかった。

……シンゴ、今何してるんだろう。
どうしているんだろう。どこにいるんだろう。

大人になるにつれ全く会わなくなってしまった彼。
でも私が会いたいのは、きっと今の彼ではなく、私の足の小さな小指の爪を一生懸命塗ってくれたあの頃の彼であることも分かっている。
記憶の中のシンゴがいい。

大人色ばかりのネイルの小瓶に1個だけ混じる、子供じみたクリアピンクは、もう出せない私の唯一の想いをとじこめているように思えた。


( 恋の魔法が魔女にも使えたら良かったのに )