【第1ラウンド】禁酒法推進派 VS スコッチウイスキー業界
■禁酒法導入の動き
お酒が「農民のお酒」から「家内工業」、そして次第に「産業」として世の中に流通するようになると、「お酒の飲み過ぎによる問題」が取り上げられるようになります。
この流れの中で、1900年頃から欧米で禁酒法を主張する人々が現れ、都市レベルで「禁酒法が施行」されるケースが出てきました。
そして、国レベルで禁酒法を施行することになったのはアメリカ(1920年~33年)です。
一方で、イギリスでも、後の首相となる政治家ロイド・ジョージが中心となって、禁酒法の導入を主張します。この部分までを前回、ご紹介しました。
スコッチの最低熟成期間の法規定は「第一次世界大戦」が原因!? | 記事編集 | note
今回は、この禁酒法推進派ロイド・ジョージと、スコッチウイスキー業界の戦いについて、まずは登場人物をご紹介します。
■禁酒法推進派:ロイド・ジョージ
このロイジ・ジョージさんは、もともとは弁護士です。
それも「弱者のための弁護士」として活躍し、農民の生活向上のための運動などにも積極参加していました。
こうして政治活動にも積極的だったので、政治家になって、首相まで昇りつめたのです。
■ロイド・ジョージによる禁酒法導入の主張
この「弱者のための弁護士」のジョージさんは、元々、富裕層や保守層に対して一貫して批判的な立場をとっていました。
そして、ウイスキーはまさに「富裕層の象徴」だったので弁護士時代から禁酒活動に参加して、禁酒を主張していたそうです。
チャーリー的には、「農民とか弱者もウイスキーは好きそうだけど、そういうことではないのかな?」と思いますが、この辺は、もうちょっと調べてみないとわかりませんね・・・
話を戻して、1914年にはじまって、すぐに終わると思われていた第一次世界大戦が長引き、戦争による民間兵器製造会社の賃金高騰で、政府支出が急増します。
その上、その会社で生産されるべき銃や砲弾の生産が追いつかなくなり、イジリス政府がピーンチ!!
その時、ジョージさんはこう主張します。
このように酒類業界を批判し、戦時中の全面的な禁酒を主唱します。
ジョージさんとって、銃や砲弾の生産遅れに対し、労働力や設備不足といった主原因を調査するんじゃなくて、その原因を「酒」のせいにするのは、
という、一石二鳥の方法だったんですね!
また政府としては、戦時下で物資が乏しくなる中、大麦などの穀物を、酒でなく食糧の方に優先させねばならないという現実的な理由ありました。
どうする、スコッチ業界!!
■スコッチ業界の大ボス ウィリアム・ロス
このロイド・ジョージが禁酒法を主張していた当時、DCL※の総帥はウィリアム・ロスでした。
ウィリアム・ロスさんは、誕生間もないDCL社の見習い会計係として入社。真面目にコツコツと仕事に打ち込み、22歳で会計主任、35歳で総支配人、そして1900年には38歳の若さでDCL社の総帥に昇りつめた人物です!
ロスさんの総帥時代には、本当に色々なことがあり、それをご紹介するだけでも何話にもなっちゃうのですが、主なところでは、
パティソン事件については、過去に記事にしています↓
【ついにバブル崩壊】パティソン兄弟の2つの過ち《パティソン事件:③》|チャーリー / ウイスキー日記 (note.com)
そんなウィリアム・ロスさんの「凄いこと列伝」の1つがこれ↓
では、この反論とはどういうものだったのでしょうか?
次回に続きます!
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