フェイラーのハンドタオル

フェイラーというブランドをご存じですか。

あまり耳なじみのない人も多いかと思います。もしあなたが「大好き!」という人であれば、ここから先はあなたの気を良くするものではないでしょうし、私のことを「人種の違う人」と見下していただいて構いません。とっとと左へスワイプしましょう。

うちの家族は、長いこと「捨てる」という概念を持ち合わせずに生きてきましたが、数年前から徐々に家の片付けをするようになりました。捨てなかった時間があまりに長く、片付けと言っても体感は発掘探検隊、実情は押入れの中身を市指定ゴミ袋に移し替える作業です。

高そうなもの。呆れるもの。いまだあまりものを捨てたがらない父が「捨てていいよ」と言い放ち私を驚かせた、私が贈った父の日の絵。本当に多くのものが発掘されますが、おそらく私の心をもっともざわつかせるのが、先述したフェイラー製のハンドタオルになります。

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実際に柄を見て「ああ!」とピンときた方、いらっしゃいますでしょう。強めの柄、濃いめの色調、掴めない世界観、花、花、咲き誇る花。それがフェイラーです。

これらは母のタンスから未使用で発掘され、「柄はさておき、ハンドタオルはいくらあっても困らん」と私が引き取りました。私のタンスに、大輪のフェイラーの花が咲きました。

フェイラーのハンドタオルは目立ちすぎます。カバンの中でもフェイラーのハンドタオルがまず視界に入ります。私自身よりもはるかに華やかなフェイラーのハンドタオルが鏡のなかで映えます。そのたびに毎回、私はつぶやくのです。「ババくせぇ」と。毎回。マジで。悪態とかじゃなくてシンプルに「ババくせぇ」。何度でも言います、「ババくせぇ」。このユニークな柄が「ババくせぇ」を想起させるパワーはかなりのもので、駅でも会社でも雨の日でもアトリエ・ヘリコプターの洗面台でも、打率10割で「ババくせぇ」を連れてきます。

そして常に「ババくせぇ」とともに、幼少期の記憶の”〇〇くん・ちゃんのお母さん”が脳内に訪れます。具体的な誰かではなく、品よく笑って褒めてくれた、「私のお母さんより若くて明るいな」と思った、手作りケーキをふるまってくれた、シルバニアファミリーがある友達の、デパートの匂いのする、旅先のオシャレなおみやげをくれる、漠然と誰かのお母さんのシルエットを思い出します。あのときの”〇〇くん・ちゃんのお母さん”たちは、揃って似たハンドタオルを持っていて、何なら似たようなミニバッグもぶら下げて、それがフェイラーというブランドのものだったと、わりと最近知りました。

記憶のなかの”〇〇くん・ちゃんのお母さん”はだいたい、よそ行きの穏やかな雰囲気で、柔らかな笑顔をしています。当時の”ちゃんとした母の必須アイテム”だったのかもしれません。あと散々「ババくせぇ」とか言っといて、当時のお母さんたちは今の私よりだいぶ若いんですけどね。

ただ、とにかく、フェイラーのハンドタオルが気持ちをガサガサさせるスイッチであり、そのガサガサさせる何かから遠く距離を取りたいと都度思うのですが、しかしフェイラーのハンドタオルの気高さのせいで、私はいまだフェイラーのハンドタオルをゴミ袋へ放り込めないし、ましてや雑巾にもできません。「ときめくものしか置くな」と心の中のこんまり先生はおっしゃいますが、しかし我が家で今日もフェイラーは咲き誇っています。

ついでに、フェイラーのハンドタオルをいくつも持ちながら、未使用のままタンスにしまい込んでた我が母の平民っぷりも、なんとも言えない気持ちになります。

ちなみにですが、神戸ではフェイラーが大変な人気だそうで、奥様方だけでなく赤文字系の読モ女子大生や、背伸びした女子高生なんかもフェイラーのハンドタオルを嬉々として持つと聞いて、心の底から驚きました。どこで何が何を意味するか、文脈次第でいろいろあるもんですね(適当)。

フェイラー公式オンラインショップ

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