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医学部留学ビジネスで街が発展した件

時はプレヴェンがオレンジの光に包まれ始めた頃。その日はアメリカ人女子Mと他数人でセンターをぶらぶらしていた。センターの噴水は夏に向けて工事中で、ビニールシートで覆われていて仰々しくバリケードまで張られていた。

『この街って誰のおかげで発展できているんだろうね。』


3月の夜の温かい空気を冷え切ったMの一言がぶった切った。

私達がプレヴェンに住んでいた10年前ですら、6年間で街の様相がガラッと変わった。砂利で敷き詰められボコボコしていた道路がコンクリートで綺麗に舗装されたし、ボロボロだったトロリーバスが車内に電光掲示板がついている最新式のものに変わっていった。


10年前のブルガリアの最低賃金は125EUROほどだった。

その頃私たちは、年間5500EUROの授業料を払っていた。現地学生の授業料は250EUROだったのに。

私達が入学した時は、外国人の入学受け入れは30人ほどであったにもかかわらず、3年後には100人にまで増えた。今は年間300人もの外国人の入学を受け入れており、授業料が7500EUROまで跳ね上がっていた。

私達外国人が1年間に払う授業料は、グラフから推察した現在のブルガリア人の最低賃金を 300EURO前後だとすると、実に25ヶ月分だ。

私がホームレスになりかけた時に、新オーナーが外国人医学生相手にもっと賃料を上げて部屋を貸したいと言っていたが、もはや売り手市場過ぎてオーナーも喜んでいる事だろう。

きっと今プレヴェンは、留学生が至る所で落とすお金で街が活気付いてるんじゃないだろうか。

その影で、古くからのプレヴェン市民がブルガリア語を話せない外国人のために英語で話すことを強いられたり、年々増える外国人に肩身の狭い思いをしていることだろう。


かつて私が愛した退廃的で田舎なプレヴェンはもうないのでしょうね。

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