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創立以来のバカ学年と呼ばれていた私達
ブルガリア医学部は、世界各国からの留学生で構成されるインターナショナルコースと現地の子達で構成されるブルガリアコースの2つがあります。
10年前はインターナショナルコース少人数制で、教員達はひとりひとりに手厚い指導をしてくれました。
(医学部留学ビジネスが儲かる事がわかってからは1学年300人程度となっているようだが)
インターナショナルコースの先輩方の多くは、インド人でした。
インド人の先輩方は、向上心に溢れて貪欲だし本当に優秀。
そんな中で、なぜか私たちの学年だけ、ほぼトルコ人、日本人とナイジェリア人数人で構成されていました。
楽しい事しか興味がなく、いかに楽して進級するかしか考えていないトルコ人。
試験は得意だけど、英語が話せずコミュニケーションが取れない日本人。
陽気過ぎて適当なナイジェリア人。
はっきり言って、先生方は絶望していたのでしょう。
留年・退学・編入で学年のメンバーが入れ替わって落ち着くまで数年間、私達は医大創立以来のバカ学年と呼ばれていました。
3年生の時。
病理学の試験があったのだけど、病理スライドを見て臓器の特定、病理所見と診断をするパートと一般的知識の記載パートに分かれていました。
先生「スライドは試験で使用するものと同じものを自習室で貸し出すので、試験日まで各自見返しておくように。見直したら必ず試験に受かるから。」
そのため、大学の自習室にこもって勉強していました。
朝9時ごろ位に大学に行って、自習担当の職員さんからスライドを受け取り、職員さんの帰宅する17時ぎりぎりまでスライドの復習。
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顕微鏡は自習室に4つしかなく、到底、30人の同期が同時に勉強できるはずもありません。
一番乗りだった私は、机の上に勉強資料を遠慮することなく広げ、コーヒーを置いて勉強開始。
1時間後、誰も来ない。
2時間経っても誰も来ない。
私が試験日を間違えているのかと心配になってきたころ、昼過ぎになり一緒のグループの男子、ムアスとアハメットが登場。
1日を通して、自習室に来たのはなんと私とムアス、アハメットの3人だけでした。
担当職員さん「君たち試験どうすんの?あと1日しか復習出来ないよ?」
私と担当職員さんは、自習期間に連日自習室に通い詰めていたのでもはや顔見知り。
なので、自習期間に自習室に来ていたのが、数人しかいないことも知られています。
土日は大学施設は使えないので、試験まであと1日しかスライドの確認はできません。
みんなどうやって試験パスするつもりなんだろう...
まぁ、みんなカンニングだよね。
カンニングで試験をパスしていった同期達は、卒業しても、就職先の国家試験に受かれず、私の同期で医師として働いている人は、本当にごく僅かです。
医師免許取得後の働き方はいろいろあるので、とりあえず肩書きだけ取りに来たという同期もいたでしょう。
ただ、先のことを考えると、今うやむやに許されても就職段階で実力のなさは誤魔化しきかないじゃん。
努力する習慣をつけた方が良くない。
誰が自分の事を見ていて、どういう縁に繋がっていくか分からないんだから。
そんな事をずっと思っていました。
これが私達の卒後の顛末である。
医大創設以来のバカ学年という先生方の評価はきっと正しかったのでしょう。