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インド人の先生達から学んだこと

私が在学中、生化学を教えてくれるインド人の若手の先生がいた。
その先生のお名前は失念してしまったので、仮にA先生としよう。
A先生はプレヴェン大学の卒業生で、当時は教師になりたてだった。
計3回しか授業を受け持たなかったのだけれど、英語に慣れていなかった私でもすごく面白くて、この先生の授業をもっと受けたいと思うくらいだった。

初めてA先生の授業を受けて2年経ち私が3年生の時、大学構内ですれ違ったA先生に話しかけた。A先生は私のことを覚えていてくれた。(日本人が少なかったから嫌でも目立つ) その時の私は進路や留学生活にすごく悩んでいた時期だった。


『A先生、なんで先生はブルガリアで生化学の教師をしているんですか?』

『教師として働きながらイギリスの研修にアプライしているんだ。』

イギリスで医学研修を枠を獲得するのがかなり大変らしい。
インド人達は学内で頭一つ飛びぬけて勉強ができる優秀な人ばかりだった。
そんな人たちでも研修枠を勝ち取ることが大変なのか...そう思った。
同時にA先生が最後の授業で言っていたことを思い出した。

『君たちは今は授業の内容が理解できないかもしれない。明日には忘れてしまうかもしれない。俺が学生の頃もそうだった。同じことを何回も勉強した。だから君たちも諦めるな。』


また、私が5年で泌尿器科の実習をしていた時に、後期研修医として働くM先生というインド人の先生に出会った。M先生はプレヴェン大学の卒業生ではなかった。

『先生は何で後期研修先をうちの大学にしたんですか?』

『本当はアメリカで働きたいけどアメリカの医師国家試験の出来があまりよくなかったから、ここで専門医として箔をつけてから渡米しようと思っているんだ。』


在学当時の私が2人の先生とお話しして思った事は、優秀な人間でも困難なことがあるなら自分はさらに努力しないといけないな、諦めずに努力を続ける事が大切なんだなという事だった。優秀だと思っていた人達が困難に立ち向かっている姿、当たり前の様に結果を出すための必要な努力しているを見て『あの人は優秀だ。自分とは違う!』と劣等感を膨らませていじけていた私の気持ちをぷすんとしぼませるくらいのインパクトがあった。


ここまでが、学生だった頃の私の話。学生らしいなぁと思う。


今在学中に書き留めた日記を読んでいて、インド人の先生方の自分の望む結果に対する粘り強さ心のタフさに驚嘆している。彼らはしっかり結果に繋がるやるべき事を計算して行動していたのだ。自分がとった行動がいかに自分の付加価値を高めている事、それを人にアピールするすべを知っているのだろう。

例えばA先生は、医師としてどこかで働きながらイギリスに研修申請した方が医師としての実績は上がっただろう。敢えて教職に就いたことは、自分は学生を指導する事も研究する事もできますよというアピールに繋がって、他の人と差別化を図りやすいからだったのではないだろうか。M先生にしてもそう。うちの大学は研修医の倍率も高くないだろうし、やる気があればどんどん執刀させてもらえるだろう。他の同年代の医師よりも何症例執刀していますよと言えることは、大きなアピールに繋がるだろう。

ブルガリアなんか第一言語がブルガリア語で、そもそも英語は通じないから日常生活は不便だし、イギリスとかアメリカに比べて豊かな生活が出来るわけではないのに敢えてやり放題でチャンスの転がっているブルガリアに身を置くなんて...自分の行動の選択を国単位で出来るのは日本人にはなかなか持ち合わせていない感覚ではないかと思う。

もし私が日本の国家試験に受からなかったら、多分何年も日本で勉強を続けていたと思う。ブルガリアで働きながら国家試験受験の時だけ日本に帰ってくる。そんなことはできなかっただろうなぁ。


私も流動的であり続けたいものです。

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ブルガリア医学部を卒業しました。留学生活の思い出や取り留めのない事をゆるゆる書いていきます。