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「誰のおかげで飯が食えているんだ」…僕が妻を見殺したワケ①【男性育児ルポ】

 オトコにとって、「育児」とは――。女性の社会進出が進み、「働き方」の見直しや育児のあり方が見直されるなか、男性の「家庭への参加」への歩みは遅々としている。だが、このことは決して自分と無関係じゃない。かつて、子育てに悩む妻に「誰のおかげで食えていると思っているんだ」と罵った筆者が家族と向き合うまでの話。

■「協力者ではありません」父になりたくて


 「育児の協力者は夫でいい?」
 次女が生まれて少したった1月下旬。我が家を助産師が訪ねた。産後の様子の聞き取りということで、役所から派遣されたその女性はアンケート用紙を手にこう質問した。
 妻は「そうですね」と答えたが、私は「主体です。協力ではありません」と答えた。少し驚いた様子を見せた助産師に「そうなれているかは分かりませんが……」と慌てて付け加えた。
 我が家に次女が生まれ、私は育休を取得した。それは、妻のためでも子どものためでもなく、自分のためだ。どうしても、「父」になりたかった。

■妻を見殺しにした夫


 長女が生まれたとき、妻を見殺しにした。
 今から3年前、私は地方での勤務を終えて、東京本社に転勤となった。配属先はハードだが、出世のためには通らなくてはならない場所だった。当時、会社員としての評価は芳しくなかった。異動のたびに上司からは「次はがんばれ」と言われた。そんな中、なぜか希望が通り配属されたこともあり、「今度こそ結果を出してやる」と奮起した。
 長女は東京に異動してから1か月ほどで生まれた。でも、私は仕事に打ち込み、朝から夜までほぼぶっ通しで働き続けた。休日に仕事に出ることもしばしばあった。妻が専業主婦だったこともあり、「俺は外で金を稼ぐ、家を守ってくれ」などとよく言っていた。
 妻はそのたびに眉間にしわを寄せて「2人の子どもなのに、なんで育児しないの?」と怒った。仕事で結果を求めていた当時は、これを受け止める余裕がなかった。「じゃあお前が働けよ!」。そう怒鳴りつけて仕事に向かったこともあった。
 でもある日、妻が神妙な面持ちでこんなことを言った。「最近、大きな地震がきたらと思うと心配で眠れない」「マンションが二つに割れたらどうしよう」――。
 妻は、精神的に不安定になっていたのだと思う。私には、どうしてもそれが理解できなかった。家族そっちのけに仕事にのめり込むほど、妻は怒り、怒鳴った。

■仕事も家事もできず

 妻に育児への参加を求められてはやり過ごす――。そんな暮らしが2年半続いたとき、仕事で大きなミスが出た。私の事実誤認が元で、関係各所に謝りにまわる羽目になった。この仕事を終えた日、私は他の同僚よりもはるかに早く退勤していた。

 この頃、妻の育児に対するプレッシャーの限界はとっくに超えていたと思う。ことあるごとに怒ったり、泣いたりしていた。感情の起伏が激しい人だったが、いよいよ「ただごとではない」と気付いていた。その怒りをなだめすかせようと、この頃は同僚の目をかいくぐるように早く帰宅していた。ただ、それでも、私の「早く帰る」は世間からズレていたのだろう。最後まで仕事をやりきろうと思うと、夕食やお風呂、寝かしつけの時間には間に合わないことがほとんどだ。もう、完全に育児に疲れていた妻をケアするには遅すぎた。

これには、ひどく落ち込んだ。
顧客にも申し訳なかったし、プロとしてミスを犯した自分を情けなく思った。家族を犠牲にしている、という感覚もあったから、「仕事も家庭も満足にできないのか」という無力感にさいなまれた。
このミスが決定打となり、常に不安感を抱えるようになった。そして、何をしてもソワソワとして、落ち着いて取り組むことができなくなった。休日、子どもが私に何を話しかけても上の空の私を見て、妻から「頼むから一度受診をしてくれ」と言われ、精神科を受診した。
 自分の状態を医師に話すと、「休んだ方がいいね。診断書を書きましょうか?」と言われた。自分でもよく意味が分からないまま「はい」と答えると、「抑うつ状態と認める。1か月程度の療養が必要」と書かれた紙を渡された。
 それを会社に提出すると、「明日から休んで下さい」と言われ、すぐに休職することになった。その日、「あの、僕、明日から休むので」と同僚に説明して回った。簡単な引き継ぎをして会社を後にする。何が起きているのか、自分でもよく分からなかった。

■「パジャマで走る」奇行の末にした決断


 休職してからも、次から次へとやってくる不安に押しつぶされそうになった。「休んでしまった。もう終わりだ」と周囲に繰り返した。「運動した方が精神的に良い」とネットで知るとパジャマのまま、当てもなく近所を走り回るなどに奇行を重ねていた。
 一方、長女は「パパが家にいる」ことがうれしそうだった。この間、生まれたばかりと思っていたのに、すっかり身長も伸び、会話が成立することに驚かされた。休み初めてしばらくすると、一緒にアニメを見たり、公園でハトを追いかけ回したりした。1日、長女と過ごすと、楽しい気持ちで布団に入ることができた。そんな様子を見て、妻もうれしそうだった。
           
「異動しようと思う」

 休職中、妻にそう告げた。自分が仕事に熱中していたのは「家族のため」ばかりではない。「自分が認められたい」というのがほとんどだったと思う。そして、妻を思う気持ちはたしかだったが、「母」になった彼女を理解していなかった。一日中、長女をケアする姿を見て、いつまでも甘えていたのは自分の方だと思い知らされもした。「このままじゃ、社会人としてもパパとしてもダメでしょ。だからせめて、パパとしてはしっかりしたい」。そう理由を話すと、妻は「ごめんね」と言いながら少しホッとした様子を見せた。
 異動先は、花形とは遠く離れた、バックオフィスに近い部署になることが決まった。時間勤務の職場で拘束時間は短くなった。なんだか、仕事から逃げ出してしまったような無念さを抱えながら、自分の進路を自分で決めたことだけが少しだけ誇らしかった。

 「こんなことを言って本当に申し訳ないけれど、異動が決まってホッとした」

 1か月を少し過ぎた休職期間が終わろうとしたとき、妻はこんなことを言った。今までだったら、たぶん怒りがこみ上げてきたところだが、休みの間、妻が抱えていた育児の多忙さと孤独さを見ていると「そりゃそうだよな」と納得した。
 休職しているうち、冷え込んでいた夫婦関係は劇的に回復していた。意思疎通を図れるようになった。不安を抱える私を妻がケアし、育児に忙殺されていた妻を私がケアした。そうしているうちに、二人で「いつかはほしい」と言っていた「2人目」について考える余裕もできた。ほどなくして妻は妊娠した。
 異動をしてからは、定時キッチリに仕事を終えてまっすぐ帰宅した。長女に本を読み聞かせたり、妻と料理をしたりした。家族では会話が弾むようになり、妻は怒らずに私に「やってほしいこと」を伝えてくれるようになった。この頃も、まっすぐ帰宅したり、表舞台に出る機会が減ったりすることを情けなく思うことも確かにあった。でも、それと同じ程度には「家族がうまく回っている」と感じることがうれしくもあった。

 社会学者の上野千鶴子は、1995年に出版された男性学(岩波書店)にこんなことを書いている。
 家事・育児する男たちは、「女にやさしいフェミニスト」や「女房の尻に敷かれた男」ではない。かれらは必要に迫られ、または妻に強要され、あるいは自分の意思から家事や育児にかかわる…(中略)…負担を背負うばかりではなく、家事や育児が生や暮らしにかかわる豊かな営みであることを発見する。だが、同時に、シャドウワークを引き受けることで、かれらは女と同じように「二流の労働者」に転落する。
 
 少し過激に聞こえるこの言葉に胸をつかれた。「二流の労働者」という指摘は「一流」にしがみついていた自分には優しく響いた。「もう一度、一からやりなおそう」と思えた。

 異動から半年ほどがたち、部長との面談があった。これまでに取り組んできた仕事の評価を聞いたり、自分が取り組みたい仕事について話をしたりした。そして、私から部長に「育休を取ろうと思います」と告げた。部長は「是非、取ってください」と背中を押してくれた。
 2021年末、予定よりも10日早く、次女が生まれた。
 そして、その4日後、1か月半の「育休」が始まった。

■「育児しない」男たち


 男性にとって、育児休業のハードルは徐々に下がっているのかもしれない。

 厚生労働省の雇用均等基本調査(2020年度)によると、配偶者が出産した男性がいた事業所で、男性が育休を取得した人がいた事業所の割合は15・8%だ。05年度の調査では0・5%だったので、大きな変化と言える。ただ、男女で比べるとその差は歴然としている。
 出産した女性が育児休業を取得した割合は、20年度は87・5%だった。もちろん、身体的な負担が大きくかかるのは女性で、休業が必要なのは疑いようもない。それにしても男性が15・8%であることを考えると、その差はあまりにも大きい。
 制度ではなく、生活実態としてはどうか。総務省が2017年に公表した「社会生活基本調査」(2016年度版)によると、「家事関連」(家事、介護・看護、育児、買い物)に1日で費やした時間を男女で比較すると、男性が44分なのに対し、女性は3時間28分だ。
ちなみに、これは単純に妻が「就業していないから」ということではない。同調査では、「共働き世帯」に限っても、「家事関連」に費やした1日あたりの時間を男女で比較している。その結果は、夫は46分で、妻は4時間54分だ。
 つまり、妻が働いていても、そうでなくても「夫は家事をしない」ようだ。ちなみに「仕事等」に費やす時間は、男性で8時間31分、女性は4時間44分だ。同じ屋根の下に暮らす夫婦でも、過ごし方は大きく異なる。
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 今年、男性版「産休」がスタートした。男性と家庭の関係が見直されるなか、筆者の育休の経験を踏まえて「男性の育児」を詳しく語りたい。
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