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たった一つのアイディアが世界を変えるというよくある話をしよう。スティーブ・ジョブる日記⑥

ジョブズの名言は禅から影響を受けていた

I have looked in the mirror every morning and asked myself: "If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?"
私は毎朝鏡をのぞき込み、自分に問いかけました。「もし今日が人生最後の日だったら、私は今日しようとしていることをしたいと思うだろうか?」

名言量産マシーンの異名をとるスティーブ・ジョブズが放った数ある名言の中でもナンバーワンという評価が高いのがこちらの言葉。もちろん、「令和のスティーブ・ジョブズ」を自称し編集部で失笑を買っている私も、毎朝のルーティンとして鏡をのぞき込みながら自らに問いかけています。「セバスチャン、お前今日死ぬのにそんなことやってていいの?だめだよねーやっぱり」と。

ジョブズが禅、中でも曹洞宗(そうとうしゅう)に傾倒し、一時はすべてを投げ打って大本山永平寺(えいへいじ)に出家しようとしたのは有名な話です。ジョブズの上記の言葉も曹洞宗の開祖道元(どうげん)から多大な影響を受けてのことだと言われています。

道元は自身の思想をまとめた「正法眼蔵」(しょうぼうげんぞう)という書物の「有時」(うじ)の巻で、ちなみに私はこちらをいつも「じょうほうがんぞう」と読んでこれまた失笑を買っているのですが、こう書き記しています。

有時に経歴の功徳あり。いはゆる今日より明日に経歴す、今日より昨日に経歴す、昨日より今日に経歴す、今日より今日に経歴す、明日より明日に経歴す。経歴はそれ時の功徳なるがゆゑに。古今の時重なれるにあらず、ならびもつれるにあらざれども、青原も時なり、黄檗も時なり、江西も石頭も時なり。

はい、何を言っているのか皆目見当もつきません。それもそのはず、道元の正法眼蔵、なかでも有時の巻はめちゃくちゃ難解、かつ、哲学書としても至高の存在とされ、それゆえ古今東西の思想家たちの心を捉えて離さないのだとか。私のような一介の編集者に理解できるはずがありません。

時はつらなりではなく一瞬一瞬が独立した存在

しかしながら、我々には文明の利器があるではありませんか? ね、こんな時こそレガシーメディアから情報の独占という商売道具を奪って、目の敵にされるグーグルさん、出番ですよー! 

で、「道元」「有時」でググって私なりにまとめると、「時間は過去から未来に流れているが、また、現在から過去にも流れている。時は一瞬一瞬の積み重ねだけど、過去・現在・未来は必ずしも因果関係になく、今という一瞬は独立した存在なんだよー」とのことです。

え?まだ何言ってるかわからないって? いいんです、いいんです、ここではとにかく、私たちは時間が一律に過去から未来へと流れて、つながっていると思ってるけどそうではなくて、一瞬一瞬が独立した存在なんだって道元っていう鎌倉時代の僧侶が言っていて、その言葉に影響を受けたアップルの共同設立者のスティーブ・ジョブズがいいこと言ってるんだよということだけ頭に入れておきましょう。

そして、ジョブズは禅に影響を受けていいことを言っただけではなくて、自身が世に送り出したプロダクトにもそのエッセンスを込めていました。はい、それが一時、全世界の人々を虜にしたiphoneです。

iphoneだけが私たちと一体になろうとした

iphoneの登場によって、今まで世にあったすべての携帯電話はあっちゅう間に古臭いものになってしまいました。いったいそれまでのデバイスとiphoneは何が違ったのでしょう?

仏教学者のひろさちやさんはこう指摘しています。

ジョブズが世に送り出した革新的なスマートフォン。そのあまりにも人間的なインターフェイスに、初めて触れて驚いた人も多いかもしれません。まるで布や紙でも触るような感覚で動いていく画面、自分と対象が一体になるような没入感。強固な自我を確立し、自然や対象との間に明確な分割線を引く西欧近代の発想だけでは、この「主客未分のインターフェイス」という発想は得られなかったのではないかとさえ思います。「身心脱落」という道元のキー概念は、ひろさちやさんによれば、強固な自我意識を溶かし、世界に満ち溢れる仏性と一体化することで得られる境地だと解説されていましたが、この「主客未分感」は、機械を単なる対象物としてではなく、人間の五感や体感と一体化するようなインターフェイスとして設計するジョブズの思想と相通じていると感じられます。道元の思想には、私たち現代人が自然や対象と向き合うあり方を考える上でも、重大なヒントがたくさん込められていると思えてなりません。NHK100分de名著「正法眼蔵」HPより

つまり、iphone以前の携帯電話は、私たちに論理的思考をもって操作を促していたのですが、iphoneは私たちの感覚と一体になろうとしたのだと。そういえばスマホ以前の携帯電話って説明書をいつまでも手放せませんでしたよね。留守番電話聞くのにも「#ほにゃららら」とか。覚えられねーみたいな。

iphone登場以前の世界ではあくまでも機械と人間が、操作される側と操作する側に乖離していたのであんなことになっていたのですが、携帯と私たちの距離を限りなくゼロにしたのが、iphone特有の「主客未分感」=「私とあなた」「こちらとあちら」「私と携帯」の境目がなくなって一体となるインターフェイスだというのです。

また、appleのプロダクトに通底する極限までシンプルであろうとするデザインは、禅が指向するミニマリズムの影響下にあるという話はよく聞きますよね。

前置きだけが長い世界

ああ!なんということでしょう!私はまた前置きが長くなるという大きな過ちを犯してしまったかもしれません。

ここまで約2,500字を費やして私が言いたかったのは、スティーブ・ジョブズが禅から影響を受けてiphoneを世に送り出したというエピソードではなく、歴史上の出来事や思想は知って喜んで終わりではなくて、それを生かしてこそのものなんだよーということなんです。

だって、道元のことを知って私なぞは「お!道元、いいこと言うね」などと悦に入っているだけなのですが、ジョブズは同じことを学んでiphoneを開発して世界を一変させてしまったのですから。

そう、たった一つのアイディアは世界を変える可能性があって、今私たちが生きるこんな世の中は、何かアイディア一発で変えるしかない!だって人間が持つ唯一の武器ってアイディアだけじゃないですか!などと偉そうに思うわけなのです。

そこで今回は(え?ここからそこで今回はなの?)、江戸時代、たったひとつのアイディアが浮世絵の世界を変えたという話をいたしましょう。

難しくてわかんないよ!って言ってるのにどうしても「正法眼蔵」が読みたい方はこちらをどうぞ。もちろん私も購入して積んでありますよ。​

「浮世」を描いたから浮世絵

みなさん浮世絵ってどんなイメージを持っていますか? 歌麿が描いた色っぽい美人画? 写楽が描いたデフォルメされた役者絵? 北斎が描いた大迫力の波の絵? 広重が描いた郷愁を誘う風景?

いずれにしてもカラフルな色使いが印象的ですよね。

また、浮世絵は木版画という特色を生かして大量に摺られ、幕末に海を渡り、印象派をはじめとするヨーロッパのアートシーンに多大なる影響を与えたことで、世界の美術史においても重要な存在となっています。

そもそも浮世絵とは、「浮世」を描いた絵のこと。長かった戦乱の世が終わって江戸時代に入り、世の中の浮き浮きを描写したものです。ですからモノクロだろうが、カラフルだろうが、世の中を描けば浮世絵だったのです。では、私たちが持つ浮世絵のイメージはどこからはじまったのでしょう?

それが浮世絵界きってのイノベーター鈴木春信(すずきはるのぶ)が発明した錦絵です。

男と女がこんなに違って見えるなんて!

「見返り美人」で有名な菱川師宣(ひしかわもろのぶ)から始まった浮世絵ですが、鈴木春信が錦絵を発明する前は、墨一色、あるいは、墨に朱色を載せただけという、今私たちが思う浮世絵とはまったく違ったものでした。はい、こんな感じです。

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「恋人」菱川師宣 The Francis Lathrop Collection, Purchase, Frederick C. Hewitt Fund, 1911

そんな時代が100年くらい続いていろんな要因が重なって、ある時、鈴木春信がこんな浮世絵をつくっちゃいました。それがこちら!です。

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「雪中相合傘」鈴木春信 The Howard Mansfield Collection, Purchase, Rogers Fund, 1936

ね、まったく違いますよね、それまでと。同じ男女を描いているというのになんですか!この差は。

鈴木春信の浮世絵はもう売れに売れて、それまで人気を博していた鳥居派と呼ばれる絵師たちの絵がまったく売れなくなってしまったのだとか。しかも、春信の絵の値段は他の絵にくらべて7、8倍も高かったというのにですよ。おそるべし春信、ですね。

世界はアイディアで変わるのだ

錦絵の特徴はなんといっても多色摺りと言われる色使い。それまで一色、あるいは二、三色だった浮世絵が、これによって現実の世界以上にカラフルな夢の世界を描くものになりました。

このカラフルになった浮世絵は江戸庶民たちに熱狂を持って受け入れられ大流行しました。そして、歌麿、北斎といったスター絵師たちを生み、世界に羽ばたいていったのです。(もちろん本人たちはそんなこともつゆ知らず。私たちが勝手に言っているだけですけどね)

しかし、先ほどからカラフルになったとか、多色摺りとかしつこく言っていますが、このかつてない絵を生んだのは「見当」というたった一つのアイディアだったのをご存知でしょうか。

今でも私たちはまったくずれてることを「見当違い」と言いますよね。和樂webでは平安暴走戦士のchiakiがいつも見当違いのことを言ったりやったりして私を悩ませているのですが、はい、その「見当」のことです。

まるでiphoneが世界を変えたように浮世絵をまったく別物にしてしまった錦絵、そのイノベーションの要であったのが「見当」というのですから、さも大層な仕組みに違いありません。

そこで、「見当 浮世絵」と情報の民主化における審神者であるグーグルさんに聞いてみました。うん、なるほどなるほど。いっぱいありますがだいたい同じことなので、代表的なものを紹介しましょう。

見当とは「版木の右下隅と中央下の二カ所に彫った鉤(かぎ)のことで、ここに紙の端をうまく合わせると、何色摺り重ねても色がずれない、というもの」(キッコーマンHPより)

え? それだけ? はい、それだけです。

多色摺りってどういうことかというと、同じ紙に何色も色を摺るということですよね。ということは7色の絵を摺ろうと思ったら、7回同じ紙に違った色を摺らなければなりません。で、そのたびに紙がずれると摺りたいところに色が載せられないので、紙がずれないように「見当」という目印をつけた、以上!ということなんです。

おい! それまでの絵師とか版元(出版社)は何やってたんじゃい!!!と言いたくなりますが、アイディアとは得てしてこんなものです。それが発見される以前と以後で世界は一変しますが、一旦発見されるとあっという間にそれは標準化され、当たり前のこととなる。だって、スマホだって登場した当時は「おー!なんじゃこりゃ、すげえ」でしたが、今じゃ当たり前の存在になりましたよね。

ですので、見当もきっと登場した時は「おいおいおいおい、なんだよこの世紀の発明は!」だったと思うのですが、春信以降の絵師たちや浮世絵を楽しんだ江戸の庶民たちには当たり前のものになっていったんでしょうね。

それでは「見当」ひとつが生み出した浮世絵の世界を少しだけお見せしましょう。

見当が生んだ豊穣な世界

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「青楼美撰合 初売座敷之図 扇屋滝川」鳥文斎栄之  Fletcher Fund, 1929

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「玉屋の花紫」喜多川歌麿 Rogers Fund, 1920

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「冨嶽三十六景 本所立川」葛飾北斎  Rogers Fund, 1922 

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「名所江戸百景 浅草金龍山」歌川広重 The Howard Mansfield Collection, Purchase, Rogers Fund, 1936

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「源氏雲浮世画合 玉鬘 」歌川国芳 Purchase, Alan and Barbara Medaugh Gift, 2019

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「源氏後集余情 五十のまき / あづまや」歌川国貞 Gift of Lincoln Kirstein, 1985

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不動明王∙祐天上人図 月岡芳年 Purchase, Friends of Asian Art Gifts, 2005

ああ!なんという豊穣な世界でしょう!これらすべてが「見当」というひとつのアイディアによって生み出されたなんて!

私たちにも現代の見当が生み出せるはずですよね、きっと。



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