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早朝に鳴く


アラームを止めようと伸ばしたあなたの腕が、私の顔にかかる。
そのまま抱き締められ、貴方の胸元の、柔らかな香りに包まれた時、私は心底、生きているのだと、穏やかな睡魔に目を閉じた。
あなたが隣にいる間、私の思考が止むことは無い。常に脳の何処かがぐるぐると目まぐるしく動き、あなたの中の私を探す。
あなたが着ている私のスウェット、あなたが私の家で洗った下着、私の匂いの染みついた骨ばった長い指。全てに私の片鱗を探しては、安堵する。
他のどの暖房器具でも満たない自然の温もりに、私だけが包まれる事が出来ているこの瞬間を、愛と呼ぶ以外に何があるだろうか。
無論、知っている。これが純粋無垢に、愛と呼べるような代物では無いことを。私は知っている。
日が昇ればこの温みも夢の一部と化すように、また同じように1人、窓際に煙草を燻らすのだ。
期待という、淡い感情に踊らされてしまう可愛い私を、一時は許してやろうと思った。誰かを信じ、誰かを愛そうと、誰かに愛されようと努力した私を、許してやろうと思った。

これもまた、虚しい一重の執着に過ぎないのだと知る。

窓の向こうに、高く聳えるビルの横。工場の煙突から揺れて伸びる白い煙は、その頭上に広がる雲に同化した。人間の作り出したものが、巡って自然に同化する様子は、どこか可笑しい。

寒いの。抱き締めて。

たったこの一言で、あなたは私の身体を包みにこの冷たい箱にやって来る。
あなたの隣の影に目を瞑り、私は「今」だけを見る事を約束し、そうしてまた、同じ夜を迎える。
きっと、この窓際に挿した一輪の花が枯れる頃、あなたの記憶に私は居ないし、私の記憶のあなたも、ちっぽけなミジンコ同様に成り果てる。愛しかった記憶も、あなたが吐く言葉の一つ一つが私を苦しめた記憶も、全て。
それを知っているから、眼前に横たわるこの男の前に、『可愛い女』を演じる事が出来るのだ。

遥か遠く、ずっと向こうに見えた飛行機雲は、私を酷く惨めなものであると感じさせた。この丸い地球の一存在でしかないのだと、嗤われているような気になって、私はまた、一つを箱から取り出し口に咥えた。

あなたが目を擦り私の肩を抱く頃、私の心はもうそこには無い。

私は、あなたが思っているよりもずっと、狡く、賢く、多くの物を得る事が出来る。
その分幾つもの大切を、手放してきたのだけれど。

私の首によく馴染む、あなたの腕を解くと私は言った。
努めて綺麗な、『可愛い女』の笑顔で。

「今日は青が綺麗だから」

だから。

「さようなら。来世は私を、お嫁さんにしてね」

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