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3.14 sun もう二度とカルボナーラに出会えないとしたら

 ごはん屋さんでメニューに迷い続ける子供だった。「今日食べへんくても次食べたらええやん」母にそう言われても決められない。次があるなんてなぜ分かるのだ。そう思っていたのかもしれない。
 いつしか母の言ったことに納得するようになって、今ではほとんど迷うことはない。次が自分で作り出せると分かったからだ。
 ともあれ。
 全ての選択をそれくらいの軽さでしてきたかもしれない。進学、就職、住む場所。今そうしたいからそうします、という選び方に自分自身異論はないけど、なるほど、次はないかもしれない、と思うことも増えた。

 先日と同じことを言うけど、自分はいつまでここに住むんだろうか、と考えることがある。大学を出るまでは漠然と「今はまだここに住みたいし、多分そのうち違うとこに行きたくなる」と思っていた。そう思うこと自体はまだ変わっていないけど、違うとこに行きたくなったとき、果たして本当に行けるのか?と、最近は考えの緞帳が降りがちだ。
 「いつか違う仕事をするって当たり前に思ってたけど、転職って何歳くらいまで融通効くんですかね」先輩に話した。「35らしい」「あ〜」即答されて恐ろしくなる。もちろん仕事や人それぞれだけど、なんとなくそうかあと頷いてしまった。恋愛だってこれから徐々にしづらくなる、と脅しめいた話を聞いて震えている。

 直感で選んだカルボナーラはとてもおいしいけど、この先カルボナーラしか食うべからずと宣告されるのは嫌である。御膳も食べてみたいのに。今手に取っておかなければ、もう出会えないメニューがあるかもしれない。大なり小なり何だってそうだけど、ライフイベントと呼べるような大きなことになると考えものだ。やっと根を張った金沢市に対して、あんたとずっといられるだろうかと考えている。

私たちなまあたたかい残りかす あわいから曖昧に滲みゆく
(2020.10)

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