薫陶を受けて今

 走ることが大嫌いだった。嫌いで嫌いで仕方なかった。

 楽しさを微塵も感じない。疲れるだけだし。

 サッカー部は今日もオフらしい。カラオケ行こうぜ、なんて軽快な声色が聞こえる。やっぱりサッカー続けていればよかったかな。

 世界中の人類を真面目か不真面目かの2種類に区別した時、私は確実に不真面目の箱に身を投じることになる。毛嫌いしていた陸上部に所属した3年間を懐古した時、胸を張ってそう口にできる。してしまったというのが正しい表現かもしれない。

 単純に弱かった事実はある。実力も何もかも。3年間チーム最下位の力だった。先輩達には「お前はまた演技が上手くなったな」と鼻で笑われる毎日。悔しいなんて傲慢だ、そう思える程に私は弱かった。競技力以前に人間的に弱かった。でも当時はそんなこと省察する余裕も自生力だって持ち合わせていない。ただ惰性で走り始め、思考停止で走り終える日々だった。

 辞めたい。辞めさせてほしい。

 何度もそう願い、ありがちな言い訳や御託を並べた。

 監督は一度たりとも許さなかった。比較的温厚な性格なはずだ。しかし鋭い目つきで、ただその中に深い人間味と愛情を感じる眼差しで引き止めるのだ。

「お前は絶対に走ることを辞めてはいけないよ。距離を取ることもいけない。走り続けるんだよ。」

 なぜ辞めさせてくれないんだろう。こんなに苦しんでいるのに。救いようがなく力がないのに。チームに必要のない存在なのに。

 当時は現在に比べて相当規則が厳しかった。全員坊主、朝は早く夜も遅い、加えて上下関係が徹底されており、耐えられなくなった部員は続々と退部届を提出して去って行く。当初12人だった長距離部員も卒業時には7人になっていた。

 監督、なぜあいつは辞めさせるのに僕は引き止めるんですか。

 胸ぐらを掴んで言いたい言葉を押し殺して惰性の毎日を送った。

 2013年3月1日。卒業式の日に理由がはっきりした。走り続けなければならないと彼が伝えたかった形がそこにはあった。紛れもなく、それは自分自身私自身が’’辞めなくてよかった’’と思えたことだった。美談でも稚拙なドラマの最終回でもなんでもなくて、全て卒業写真を撮るその瞬間に。

 卒業して6年が経ち、感謝しなければならない立場になった。少なくとも勝手に感謝はしている。彼が私の何かを見抜いていたのかは知らない。いや、たまたま何となく引き止めたくなっただけかもしれない。そこにパッションも愛情も糞も無いのかもしれない。でも救われた人間が実際にいて、一つの人生のピースを拵えてくれたのだ。走ることで関係性を築くことができた友人がいる。仕事で当時の話や走りの話ができ良好な関係を保つことができる。多々メリットを与えてくれたのは現実として、それは逃避を試みた6年前の自分を謎の理由で何度も引き止めてくれた監督がいるからだと知っている。私の人生が代弁している。誰もその事実を知らなくていい。私が知っていればそれでいいのだ。

 言葉の力は底知れない。美しく、力強く、負けない。私の正反対の性格。だからこそ、私はどこか憧憬の念を抱きながらメディアの仕事に惹きつけられているのかも知れない。



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