「田舎司祭の日記」
村の若い司祭は体が弱いことを隠しつつ、村人のために身を尽くそうとします。が、村人たちはなぜか司祭をよくは思ってはおらず、冷ややかな態度を取ります。信仰について熱心に説くもなかなか思うような反応は返ってこない。そのやるせなさ。彼はそれらを日記にだけこぼしてゆきます。
久しぶりのブレッソンです。
うまくいかない仕事、次第に体調も悪くなってゆく、散々。
司祭といえどもひとりの人間の子。悩みもまた私たちと同じような匂い。けれども司祭という立場上、人々を救う一助となるべく心を砕きます。が、無情にもそれは報われない。
祈ることとはシンプルになることでもあるかなと思います。
村の人たちはそれぞれの問題を凝りほぐすために、シンプルにし胃に優しい状態にするために教会を頼ったりするのだろうけれど、司祭の方は物事を真剣に難しく考えているので双方の間にずれが生まれているように見えました。
幾度となく司祭が、君は祈りが足りない、と言われるのだけれど、そこにも矢張りあれやこれやと人間如きが頭を悩ますのではなく、ただ敬虔に救済のために祈りなさいという意味なのかなと感じました。
私だったら、こんな風に迷いながらも真剣に向き合って叱ってくれる人間くさい司祭の方がありがたいように思うけれど、それはけしからんというような感じなのだろうか。
それぞれの役目に負わされた仕事、こうであるべきという姿、そこに生まれたずれ。
ある程度割り切ったり、慮れたり、
やわらかくありたい。
そして、
救いとはどうあるべきなのだろう。
人の数だけそれはあるのだろうけれど。
監督 ロベール・ブレッソン
制作国 フランス
日本公開年 2021年(制作年 1951年)
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