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「ドイツ零年」

第二次世界大戦後のドイツ。
少年エドモンドは12歳だというのに15歳と偽ってまで働きに出かけ、大人たちからは仕事泥棒と蔑まれていました。戦後のドイツは仕事が豊富ではなく、貧しい人に溢れていたのです。
しかしエドモンドは病の父、姉、そして戦時中に兵隊であったが故に身を隠す生活を送っている兄の三人を養う必要に迫られていたのです。

父はいつももう死んでしまいたいと零し、兄は自分の不甲斐なさやはっきりとしない態度に不安定になっています。

ある日、エドモンドは昔お世話になっていた教師と再会します。元教師は、ナチスに傾倒しており、子どもにもそういった教育をほどこしていたゆえに戦後は失職していました。

元教師はエドモンドにヒトラーの演説レコードを売りに行かせたり、弱い者は強い者に滅ぼされるべきだと説きます。

大人たちに振り回されるエドモンド。
その繊細で感じやすい心は、戦時中はこうだったのに今ではタブーとされていたりすることについてゆけません。

エドモンドの中では、未だナチスの思想は生きていて、もうそれはいけないんだと世の中がなっていても、彼の一部となった思想をぱっと切り換えることなんて出来ません。

そうして、エドモンドはある事をしてしまいます。

戦争体験やイデオロギーがいかに子どもの内部に根を下ろし、影響を与え続けるかが描かれています。

大人たちも表立っては変化に順応しているように生きていますが、一度深く根付いた思想の癖は、大人であっても簡単に切り替えられるものではないと思います。

時間と理解ある環境が、傷を負った心には、なににおいても必要だと感じました。

傷というのは、手当てが治りを早めることがあっても結局は自分の治癒力によるものが大きくて、その治癒力を高めるためにはどうあるべきなのか考えさせられました。

監督 ロベルト・ロッセリーニ
制作国 イタリア
日本公開 1952

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