映画観賞記録 「君の膵臓をたべたい」


*「君の膵臓をたべたい」(2017)*

母校の高校で国語教師として働く志賀(小栗旬/北村匠海)は、高校時代に図書委員であったことを理由に、取り壊しが決まった図書館の蔵書整理を依頼される。
かつて自身が整理した膨大な量の本について問われた志賀は、12年前に亡くなったクラスメイト、山内咲良(浜辺美波)と過ごした時間を語り始めるのであった。


この映画を見る時、決まっていつも起こる現象がある。
それは、映画の大事な明暗を決めるシーンの内容を、丸ごと忘れてしまっていることだ。
私は、その忘れていることに、映画の中盤くらいで気付く。

なぜ、私が忘れてしまっているのか。
それは、日々を生きていっている中で、死に寄り添って生きていないからであると思う。

映画の中で、毎日必死に生き続ける咲良。そのように生きているのは、彼女が膵臓の病気を抱えているからだろう。
もし病気を抱えていなかったら?
そう考えたら、彼女は、また違った生き方をしていくのではないかと思った。

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彼女の生き方から、どんな姿を”一生懸命生きている”と言い、どんな姿を”一生懸命生きている”とは言わないのか、考えた。

きっと、彼女にとって”一生懸命生きる”とは、人のことを知ろうと思い、人のことを日々考え、そして好きになり、嫌いになることだと思った。
彼女にとっては生きる上で、人が欠かせない存在になっていたのだ。

これは、人間であれば普通のことかもしれない。
でも私は、この普通のことを時々、思い出さなくなり、そして1人になっていくことがあるのだ。

だから、この作品を観る時はいつも、大事な部分だけ引っこ抜かれた状態から始まる。
その大事な部分とは、生きることの全てだと思った。

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じゃあ、今すぐ私はスマホを片手にとって、友達に片っ端から電話をかけていけば良いのか。家族に電話をし、感謝を伝えるだけ伝えて、電話を切れば良いのか。
そういうわけじゃない。

友達はどんな友達だろう、その友達は私にとってどんな存在になっているのだろう・・・
家族はどんなことを日々考えて過ごしているんだろう。

まずは、考えてみるところから始めてみるべきなのかもしれない。
”思いを馳せる”という言葉があるように、その思いを馳せるべき相手は誰なのか、しっかり考えることが大切だと、映画の中の咲良は教えてくれた。

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咲良にとっての大切な人たちはみんな、「人を見る目がない!」と、咲良に怒られていたな。

きっと、咲良には人を見る目がちゃんとあって、だからこそ、大切な人たちを守るために、そんな風に声を掛けてあげていたのだろう。

私はどうだろう。
もしかしたら、人を見る目がなくて、咲良に怒られてしまうかもしれない。

でも、そんな私でも、咲良のように一生懸命生きていくにはまず、人に興味を持つことから始めなくちゃならない。

私はいつだって、自分1人の世界から抜け出せないのだから。

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私だって、人生を充実させたい、楽しく生きたい、そんな風に思っている。

でも、思うだけでは何も始まらない。

そう分かっているからこそ、もどかしい。

いや、私は何も分かってないのかもしれない。



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