エッセイ1

5月末に初めてのコロナにかかり、小学生ぶりに高熱で寝込んだ。
普段から体調が良い方ではないけれど、こういう劇的な体調不良は久しぶりだったのでとても新鮮で、回復して外に出たときちょっぴり生まれ変わった気分がした。

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コロナ明けの世界は前とはぜんぜん違う。

まず、なぜか水が甘い。くどくなるくらいに甘い。
喉をすっきりさせたくて飲んだはずの水が、かき氷のシロップくらい甘い。

もともと甘いのが好きでも得意でもないので、水を飲むたびに動揺する。これずっと続いたらどうしよう、と思うと本当に気が遠くなる。こんな些細なことでも、わたしの日常はこんなにも揺るがされる。

甘みを強く感じるようになったのかわからないけど、水以外もとにかく甘い。

いちばん悲しかったのが、大好きなプリンが食べられなくなったこと。
療養期間に恋人が差し入れてくれたプリン、楽しみにとっておいたんだけど、何口か食べて甘さに負けてギブアップした。

コロナにかかって以来、味覚の同一性が疑わしい、と言っていた先輩の言葉を思い出す。本当にそう。プリンってこんなに甘かったっけ。

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あと、世界中があまりにうるさい。音が多すぎてびっくりする。

療養期間はずっと一人暮らしの部屋に一人きりでいて、しかもほとんど夢の中だったから、久しぶりに外に出たとき、現実世界ってこんなにうるさかったっけ、と呆気に取られた。

車の音とか、お店の音楽とか、誰かの話し声とか。世界が音に溢れている。心地よくない音がいっぱいある。

最近、イヤホンをして何も流さずにいることが多い。静けさのうえで聴く音楽は大好きだけど、騒がしさのうえにある音楽はちょっと苦手だなと思う。
わたしの耳は必要な音を上手に見つけられなくて、イヤホンをしていても音楽より人の声が大きく聞こえたりする。いま聴きたい音が、音楽が、なぜかずっと見つからない。

ノイキャンは偉大だ。どんなところにいてもその騒がしさを塗りつぶすことができる。でも、ノイキャンで作った静けさはどこか重たくて、息がつまる。

わたしの好きな静けさはどこかへ行ってしまったんだろうか。
それとも、最初からそんなものなかったのだろうか。

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コロナ明けの世界は、前とはぜんぜん違う。

でもきっと、わたしはもうすぐこの新しい世界にも慣れて、前とおんなじように物事を感じたり考えたりするようになるんだろうな、と思う。

そしてきっと、水が甘かったことも世界がうるさかったことも綺麗さっぱり忘れちゃって、何にもなかったように毎日をまた生きていくんだろうな、と思う。

忘れたくない、というような大切な思い出ではないけれど、なんとなく、わたしの感覚とか世界がこんなにも脆く不確実なものだったということだけ、いつかのわたしに届けたくて、そんな気持ちをどうにか書き留めておこうとしている。





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