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エッセイ #10|「アーメンっ」

 いとこが結婚した。

 いとこは1つ歳下の男の子で、僕と同じ町内で生まれた。地元の福井県で育ち、就職をし、同級生と結婚した。身内の結婚はおめでたいし嬉しいものだ。

 そのいとこが結婚式をするというので、東京から福井に帰った。久しぶりに帰省をしたが、実家はというと特に変わりはなく、帰省したときのルーティンもいつも同じなので、その変わらない日常が、東京で装備した僕の鎧を脱がせてくれるのと同時に、その一方で、実家の近所を散歩してみると見慣れない家や店が散見されるため、少しずつ変わっている街並みを見るのもまた一興だなと思う。


 前述の通り、実家に帰ってやることはだいたい決まっている。


 まず帰宅すると同時に、玄関すぐ横の和室に入り、9年前に亡くなったじいちゃんの遺影に手を合わせる(僕はじいちゃんが大好きだ)。あとは家族でお寿司を食べに行ったり、福井で有名な焼鳥屋の焼鳥を食べたり(秋吉というのだが、全国にお店がある)、犬と遊んだり、姪っ子と一緒にテレビにかじりついてアンパンマンを見るのだ。加えて、今回は時期的にお彼岸のタイミングだったので、お盆の分も兼ねて一人遅れてお墓参りにも行った。

 このルーティンを過ごすだけでもう十分帰省を満喫できるのだが、今回はさらにいとこの結婚式ときている。やることが盛りだくさんの帰省も悪くない。

 仕事のときはカジュアルウェアなので、スーツに袖を通すのも久しぶりである。父、母、姉、僕、姪っ子(ドレスを着ておめかしをした姪っ子はとてもかわいい)、の5人で車に飛び乗り、地元で有名らしい結婚式場に向かった。

 結婚式場は遠くから見てもそこが挙式する場所だと分かるくらい真っ白でツンツンしていて、ピーチ城みたいだなと思った。

 久しぶりに会う親戚と控室で少し雑談をして、時間になったらチャペルに案内された。

 いよいよ結婚式が始まる。





 そして僕が感じた違和感は、ここから徐々にその輪郭を帯びていく。





 案内されたチャペルにはいわゆるバージンロードがあった(新郎新婦が歩いてくるやつ)。列席者はバージンロードの左右の席に座り、新郎新婦を待つのだ。日本人のスラっとしたおじさんが牧師を務めていて、バージンロードの先の祭壇に立っている。


 列席者が全員席についたところでチャペル全体が暗くなり、新郎新婦のこれまでの軌跡を辿るようなムービーが流れた。感動的な演出だったので、列席者の中には既に涙を流す人もいた。このムービーによってチャペル全体の空気が温まっていき、最高の雰囲気が出来上がったところで新郎(いとこ)が入場し、続いてドレスに身を包んだ新婦が歩いてきた。


 役者が出揃ったところで、そのときは訪れた。



 ドラクエの僧侶のような格好をした牧師さんが、なんやかんや話したあと、こう言ったのだ。





「みんなで賛美歌を歌いましょう。」





 牧師さんの声かけとともに、オルガンの音が鳴り響いた。実に綺麗な音色である。吹き抜けになっていたチャペルの2階を見上げると、女性3名で生歌生演奏を披露していた。
 僕の手元にはなかったのだが、列席者は賛美歌の歌詞が書かれているだろう手元の紙を見始めた(なぜ僕の手元にはないのか)。しかし、列席者の中で歌っている人はほとんどおらず、みんな手元の紙、その1点をただ見つめている。



 ここで僕は、ん…?と思う。

 が、式は続く。




 賛美歌斉唱が終わったあとは、誓約だ。「病める時も、健やかなる時も〜」の例のやつ。

 牧師さんに「誓いますか?」と問われた新郎新婦は交互に、「はい、誓います。」と宣言した。二人とも清々しくて、美しくて眩しくて、微笑ましかった。

 「誓いますか?」と尋ね、「はい、誓います。」という二人の声を聞いた牧師さんはまた口を開いた。





「アーメンっ。」





アー、メン………???







我慢我慢…と僕は思う。



 そのまま新郎新婦は指輪の交換をして、誓いのキスに移る模様。やはり牧師さんが言う。



 「you may now kiss the bride!」





 !!!





 英語!!!






 そして誓いのキスを終えて、牧師さんが一言。







「アーメンっ。」






 アーメン…!




 その後も何度かアーメンと言って、新郎新婦は結婚の証明書のようなものにサインをし、結婚成立宣言をしたところで無事に式が終わった。新郎新婦の退場を見送った後に列席者も退席をした。


 以上がこの結婚式の大まかな一部始終である。


 この一連の流れを終えて、心からいとこの結婚を祝福するとともに、僕は違和感を覚えた。

 だって、昨日まで僕たちは寿司を食って、焼鳥を食っていたのだ。和室でじいちゃんに手を合わせて仏壇を参り、やれお盆だのお彼岸だのと言ってお墓に行き、お線香をあげて故人を偲んでいたのだ。ようは、めちゃくちゃ"日本をやってた"のだ。

 一緒に寿司や焼鳥を食った父や母は賛美歌なんて歌ったことないのに、何食わぬ顔で列席して賛美歌を心地よく聞き、一方でその後の披露宴では「食べにくい」と言ってナイフやフォークは使わずに、箸で食事をしていた。もうめちゃくちゃである。

 そしてアーメンだ。アーメンなんて言ったことがないし、列席者たちも誰もアーメンの意味なんて分かってないんじゃないだろうか。意味も分からないのに、"なんかまぁ神に誓ったりするんやろな"、と思って、牧師さんが「アーメンっ。」と言う度に、みんな少しだけ口角を上げ、しばらく目が点になる。ちなみに、アーメンというのは"そうである"、"そうなりますように"といった肯定や願望の意味があるようだ(守備範囲が広い便利な言葉である)。

 こうなってくると、そもそも馴染みのない聖書を読み上げ、普段ほとんど意識しない神や牧師さんに永遠の愛を誓うことさえ、気になってきてしまう(断っておきたいのだが、疑問に思うだけで結婚そのものは賛成だし、いとこの結婚式や、これまで僕が列席した友人や親族の結婚式はどれも素敵なもので、心から祝福した。なんなら結婚式は好きである)。が、違和感を感じずにいられない。

 調べると、挙式の種類はいくつかあり、今回のような教会式、そして神前式、仏前式、人前式など様々なようだ。無宗教が多い日本人にとって、結婚式のイメージが強い教会式を選ぶ人が多いのは至極当然であるが、人前式なんかは神ではなく列席者である家族や友人に愛を誓い、その家族や友人らに二人の結婚を承認してもらう形式らしく、今後このスタイルが増えてくるのではないだろうかと個人的には思う(自分自身がそれがいいとかではない)。

 一方で、よくよく考えてみるとこんなのは結婚式にとどまらない。僕もクリスマスには家族や恋人とケーキを食べるし、お正月にはお餅を食べて、普段は中華料理やインドカレーも食べる。海外からやってきて日本で一生懸命働いている人は尊敬するし、その逆も然りだ。多文化は大いに受け入れる。

 だが、結婚式はなんか別…か…、とそう思うのだ。僕はまだ結婚していないが、自分が新郎として入場し、祭壇でフィアンセ(フィアンセはフランス語だ)と並んで立っているときに、目の前に立っているおじさんが神妙な顔でアーメンと言ったり、父や母が何食わぬ顔で賛美歌なんかを歌い出したら、「ん…?」と思うかもしれないし、はなはだ注意散漫だ。

 今回ばかしは言語化が難しい。

 何を言いたいかと言うと、ただただ違和感を覚えたのだ。昨日まで寿司を食って和室で仏壇を参っていた人たちが、今日はピーチ城みたいな建物の中で何食わぬ顔で馴染みのない賛美歌を歌い、ドラクエの僧侶みたいな格好をした牧師さんや神に対して何かを誓うことに疑問を感じたのだ。

 結婚式はとても良いものだった(何度も言うが結婚式は好きだしこれまで列席した結婚式も、本当に最高だった)が、この、日々感じる小さな違和感を見逃さないよう生きたいなと、そう思うのであった。

 アーメン。


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