救われたい

人間関係の悩みが尽きない。

大抵、何人かのグループの中でいつのまにか自分だけが遠ざけられている。小学校、中学校、高校で一回ずつ。大学生になったらさすがに悩むことはないと思っていた。しかしそれは初めの一年だけだった。サークルで仲が良かった五人は、学年が上がると積極的に酒を嗜むようになり、酒が飲めない私と距離が離れた。加えて、入学時から住み続けている学生寮でも、同じフロアの同期の中で、私は気がつくと一人になっていた。話さなくなったわけではない。顔を合わせれば会話はする。だが、集まりに声をかけてもらったことがない。今、隣の同期の部屋をノックし、次の日の予定について話す声が聞こえる。私の部屋のドアはノックされない。声と足音が遠ざかる。課題と就活に追われる日々、リラックスできるはずの夜が生き地獄へと変わった。

救われたい。その一心である。

正直、誘われたからといってその集まりに参加したいか?と言われると、YESとは言えない。理由は、気をつかうから。自分以外が仲のいい集団に、ある意味部外者の私が入り込むことは、もはや私の存在そのものがクラッシャーみたいなものだ。それに、仲のいい集団のノリについていける気がしない。事実、廊下中に響き渡るようなクソデカい声で夜遅くに喋るような人間とは仲良くなれない。

なにがつらいって、”誘われない”という事実である。最初から彼女たちの予定に私の存在は組み込まれていないのである。私を誘わないことをそれぞれどう思っているのかは知らないが、総意として”誘わない”という結論を出し、行動をしているわけだ。彼女たちにとって私はいなくてもいい、あるいはいてほしくない存在なのかもしれない。

別にそう思ってくれて構わない。強がりではなく、頭ではそう思っている。彼女らに嫌われたところで死ぬわけでもない。たかだかあと数ヶ月、大学を卒業すればどうせすぐに切れる縁。彼女らなんかよりもずっとずっと思いやりのある、自立した友人もいる。私は生きていける。だけど、毎日就職活動や課題に追われ、精神的に参っている時期にこういったことがあるとさすがに頭も心もキャパオーバーしてしまう。今がまさにそれである。

彼女らはいつも一緒だ。このご時世に、ある一人の部屋に集まってマスクもしないで食事を取る。お風呂の時間まで一緒。気持ち悪いぐらい同じ時間を共有している。私にはその感覚がどうしても理解できない。飯も一人で食えないのか。風呂ぐらい一人で行けないのか。そもそも、一緒に行動することでメンバーのうちの誰かの生活リズムを崩している可能性は考えないのか。考えなくてもいいくらい仲がいいのだろうな。もう根本的に価値観が私とは合わないんだろうな。そう思うしかない。そんなこと本人たちに聞くようなことじゃない、野暮すぎる。

普段は気にならないことも、精神的に余裕がないと気になってきてしまうというのは結構当たり前のことだと思う。先ほど書いたように、今まさに”いろんなことが気になるしイライラしてしまう期”である。だから、彼女らがいつも一緒に行動していることにも普段の倍ぐらい気色悪さを感じてしまうし、彼女らのグループに属していないがそのうちの一人と非常に仲の良い人にまでその勢力が及んでいるのを見ると、苦しいのだ。頼むからお前らはお前らだけで楽しんでほしい。

そんな彼女らを見て疑問に思う。私一人を誘わないことに対して本当に何も思っていないのだろうか。私だったら、声を上げられなくとも(あの人誘ってないな…)とか一人で考え込んでしまう(そもそも自分が誰かを誘わない側に回ることがないからあくまで想像でしかないのだけども)。一人ぐらいはそう思ってくれてる人いないかな。思ってくれてるだけでいい、それだけで私の苦しみはほんの少し軽減されると思う。

星野源が、「この世の中には気づく人と気づかない人がいる」とANNの直前のyoutube liveで話していた。かくいう彼も”気がつくと一人になっていた”側の人間だった(小学校の帰り道、何人かで帰っていたらいつの間にか自分だけが後ろを一人で歩いていた、と同Liveで話していた)。私は彼の言葉に心底救われた。その日から私の中の彼女らの位置付けは”気づかない人たち”になった。もっとも、その位置付けを保てるのは精神が安定しているときだけで、不安定になると孤独感に苛まれるのだが。

結局のところ自分を救えるのは自分しかいないなと思う。寮の人間関係の悩みを寮母さんに伝えたところで何かが変わるとは思えない。そもそも大人に相談して解決させるなんて年齢ではない。離れて暮らす親にもこんなこと情けなくて伝えられない。というか、私がパニック障害であることを打ち明けたら「死にたくなる」と言ってきた親に対して追い討ちをかけるような真似はできない。そこまでアホじゃない。ちょっとしたきっかけがあったり、誰かの何気ない一言に救われたりする。そういうタイミングがあれば、自分にとって都合の良い解釈をして自分の機嫌を取れるようにしたい。

希死念慮が生まれるのは普通の人にとってはありえないことだと最近Twitterで見かけてたまげた。やっぱり私は普通ではないし、社会不適合者なんだなと思う。秀でた何かがあれば自分らしく輝けただろうか。何もかもが中途半端で何も持っていない私は、普通のフリをして今日も就職活動に勤しむ。

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