家族も仕事もなかったら、私は何がしたいのか

10年前、仕事をしながら長男を出産した頃から思うと、社会は結構変わったと思う。長男を出産した頃は、まだギリギリ「保活」という言葉がなかった。保育園はその頃から入りにくかったけれど、子育てしながら働く人も今ほど多くなく、「ごくごく一部の人の問題」だったのだ。送迎は「ママ」一色で、男性の姿を見ることはなかった。出産後、夫は育休を取ってくれたけれど、「もう出世はできないと思え」と脅されての休暇だった。今だったら大問題だけれど、当時は「そう言う人もいるかもね」くらいだった。

そして長男は10歳になり、今、3人目が保育園に通っている。保育園に迎えにいくと、男性の姿が増えていることに気付かされる。半分くらいは男性じゃないかな。男性の育休もメジャーになった。取るのが先進的、ではなく、取らせないのはヤバい、くらいのトーンになった。いまだに保育園も足りてないし、少しはマシになったのかな、と思っていたら、企業型保育園が急に保育園を閉園したりしてと新たな問題が噴出してるようだけれど、それでも10年前からみると様変わりしている。10年前のあのとき、仕事も子育ても諦めなくてよかった。

今おかしいな、と思っていることのいくつかも、恐らく10年後にはマシになっているのだろう。ずっと関心を持っていた、働き方や住まい方がもう少し自由にならないのかな、という問題は、コロナで一気に変化した。テレワークは普及し、通勤はなくなり、自然と都市のちょうどいい場所で暮らすことができるようになった。

「おかしいな」「本当はこうあってほしいのに」という、わかりやすい課題を解決するフェーズはそろそろ終わるのかもしれない。ここから10年は、やりたいこと、叶えたいことを自分で描かなくてはいけないのだ。今の私にそれができるか、というと、大分心もとない。子どもや仕事など、「すべきこと」から開放されたとき、自分は本当に何がしたいのか、考えなくてはならないときが来たのだ。


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