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おじさんから学生諸君に捧ぐ。「好きな子に思いきって告白しなさい」

朝晩過ごしやすくなり、風の爽やかさに秋の気配を感じる気候になってまいりましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

「食欲の秋」と言う。

体重増加に怯えながらも、秋の味覚を満喫する今日この頃です。

若いころはアラフォー世代の上司が

「いやー、もう肉じゃなくて、魚が美味しいよ」

と言っているのを聞くと
肉より魚の方が良いなんて普通の味覚からするとありえない。

もしかして
「何かちょっと肉を食べられないことを自慢しているんじゃないか?」
とさえ感じていた。

「私はもう一歩先の大人の味覚のステージにいるよ」と。

しかし時の流れは残酷だ。
40代になってどうだ。
これはもう、ガクッときた。ガクガクである。なにがガクッときたのか。
それはもう、全体的に、だ。

昨年のgotoイートで、お得感が嬉しくて満面の笑顔で『焼き肉食べ放題』に家族でホイホイと行ったときのことだ。

網を汚さないうちに、
まずは塩タンだ。
うん、美味。うまい、うまい。

次はハラミ、ミノ、そしてカルビと続く。

サイズ的には一皿に普通のサイズが運ばれてくるが、カルビが食べ終わる頃になると既に「強烈な満腹感」に襲われる。

その後から胸やけがして、どんどん気持ち悪くなってくる。肉系のなかでも「牛」はもはや「全く食べたくない」。

そうなるともう昔は、食べ放題では邪道だと思っていた
センマイ
ウインナー
を頼み始めてしまう中年おじさん、オレ。

さらにキムチで口の中に刺激を与えてみたり、タマネギやトウモロコシを網の上でコロコロ転がしながら満腹感を騙してみたり。

はて、、、
オレは『焼き肉食べ放題』でナニをやってんだろう。
あんなに大食いだった昔の自分と重ねあわせ、あぁ、もはや値段のモトなんて絶対にとれない胃になったんだと失意に沈んでしまう。

そうだ。
お酒にも年齢を感じるようになった。
それほど飲んでもいないのに、翌日まで引きずるのだ。

学生のノリで調子にのって飲んでしまうと、あっという間にポンコツになってしまう。 翌朝の身体はまさに鉛のごとし、布団から這い出て仕事に行く気持ちになるのが容易ではない。
おっさんになったら飲み方を変えなければいけないんだ、次からは絶対にやめよう、と毎度かならず誓いをたてる。

あぁ、、、

そう、老いである。

三十代は、それほど老いを感じなかった。
しかし今やあちらこちらが痛む、内臓も弱まる、太りやすくなる……。

時の流れに逆らって自分の体力や見た目レベルを上げようとすることは、下りのエスカレーターを逆走するようなもので、若い頃よりもナニかと努力が必要である。

そしてこの努力を『習慣』にしなければ老いのスピードには逆らえない。
しかし皆さま知っての通りオジサンになってからの『習慣化』は非常に難しい。

するとどうだろう。
歳を重ねれば重ねるほどに、やろうと思ってできなかったモノがどんどん積み上がっていき、結局のところ、自分ができなかったことを振り返って後悔して、若者に偉そうにアドバイスを送ることが、年配おじさんの特権となってしまうのだ。

さてさて。
ダラダラと前置きがすぎたが、

過去を振り返り後悔する大人なんて格好悪いとディスられがちだけど、

時間が経ったからこそ
「もっとうまくできたな」
「あのときやっておけばよかったな」

と反省できる部分も見つかるもので、それをドヤ顔でnoteにでも綴ってみたい、なんて思ったんだ。

学生時代に「恋愛当事者」になるか「傍観者」になるかは雲泥の差である

結婚するのもしないのも、どんな結婚生活をおくるのかも「万人向けの正解」っていうのはたぶん無い。いや、たぶんではない。間違いなくあろうはずがない。

「結婚よりも優先すべきことが自分にはある」

「ずっと結婚はしたくないと思っていたが、なぜか結婚しようと思う相手がみつかった」

「結婚には経済力や性的な魅力を求めたい。年収1000万の相手だぁ!」

「いやぁ、孤独な老後も一緒にいたいと思える相手かな。安定よりも安心感っしょ」

そう。
結婚には人それぞれいろんな「思い」と「考え方」があってどれも正解である。

結婚してずっと幸せだという人もいれば、時間が経てば離れていく、という人もいて、とりあえずそれぞれの人が、自分なりの正解らしきものに辿り着ければいいんだと思う。

じゃ、学生時代の恋愛はどうだろうか。

学生時代の恋愛は、他の年齢では代用のできないかけがえのない価値がある。

これは年齢を重ねた万人に共通する懐旧の情、いわゆるノスタルジーだと僕は思っている。

40過ぎたおじさんの年齢になって、ようやくいまさらもう10代の恋愛を取り戻すことができないことに気付いてくる。

おじさん特有の「いきなりの自分語り」をして申し訳ないが、僕は基本的に「待ちの男」であった。告白してフラれたりしたら、カッコ悪いと思っていたからだ。 

ベランダから一緒に下校するカップルや、にけつ(二人乗り)するカップルを冷めた目で見ていたり

修学旅行の夜に告白スポットで張り込みをして告白の様子を覗き見したり

文化祭の打ち上げ後に消えるカップルを尾行したり

恋愛真っ只中の当事者ではなく傍観者として過ごしてしまった学生時代。
僕は、取り返しのつかない時間を過ごしてしまったと後悔している。

だから中・高の学生諸君に言おう。

今この瞬間に生きる君たちは、今の年齢でしか味わえない「アオハル青春」を肌で感じながら、恋愛ができる幸せを全力で噛み締めるべきだ。

100年先も愛を誓うよ、君は僕の全てさ〜♪

などと恋人にリズミカルにささやいた学生諸君。
残念だ。きっと別れる。

いつも君に、ずっと君に、笑っていてほしくて〜♪
などとひまわりに約束した学生諸君。
ここにある幸せに気づいたことを撤回する時がいずれやってくる。

中学、高校で素敵な人に出会い、恋をして、告白し、お付き合いできたとしても、そのまま結婚まで至るカップルは数%だろう。

その後、君たちは大学や専門学校に行き、サークルやバイトで新しい人に出会うことになる。
それはもう今の時代、高卒から初々しく社会人デビューしたり、フリーランスとして活躍する人だって大勢いるだろう。

新しい人間関係の中で色々な人に影響を受け、価値観が変わり、高校時代あんなに純粋に愛した恋人を愛せなくなる日がやってくるのだ。

でもいい。それでいい。
そうであっても学生時代の恋愛には価値があるのだ。

と、おじさんは声を大にして『純愛の尊さ』を叫ばせてもらおう。

残念ながらおじさんはもう二度と経験することができないが、学生時代の恋愛の緊張感や胸が詰まるような幸せな気持ちは、今思い返してみればかけがえのない宝物であったと言える。

うん、言いきれる、断言できる。

しかし成熟しないこともあるのが恋愛だ。
そのリスクを恐れて
「フラれたらどうしよう」
と勇気が出なくて気持ちを伝えることに迷ってしまうのも痛いほどわかる。

学校に行くのが辛くなるんじゃないか、
周りの噂になるんじゃないか、
悲しくて眠れなくなるんじゃないか、

と心配になるだろう。

でもその心配は無用だ。

良くも悪くも、中・高時代の恋愛の失敗は、長い人生で見たら無視できるほどに小さい。同じように中・高時代の恋愛の成功も、一生で見たらものすごく小さなドヤ談にしかならない。

そしていつしか、、、
うん、時間経過は面白い。
摩訶不思議な逆転現象が起こり始めるのだ。
実際に付き合った成功談よりも、成熟しなかった失敗談の方が熟しておいしくなる。

告白して玉砕したことが、青春らしいはかないエピソードとなり、そのエピソードを持参してやがて同窓会で再会することになるだろう。

オレと付き合わなくて損したね。なんて。

失敗談は成功談よりも、うーんと話を盛り上げてくれてみんなを笑顔にするダイヤモンドとして光り輝きだすのだ。

中・高生諸君。だから失敗なんて論理的にないんだ。フラれてもいい、一番好きな人に告白しなさい。

これが僕の今日の記事の結論である。

え、冒頭のダラダラのくだり関係なくね?
いらなくね?焼き肉の例え。

キモいわ。

焼き肉で「牛」が食えなくなった、ことから老いを感じて高校生に「好きな子に告白しなさい」とか言うよくわからない指摘をしてくるおじさんいたら、キモ過ぎるだろ。

ま、いいか笑

ここまできた。
最後まとめさせてもらおう。

勝ちと負け、その積み重ねで構成される人生。勝負しなくても生きていける。
そうすれば負けはない、でも勝ちもない。

凡人は、いや凡人だからこそ、傷つく道をあえて選びやるしかないのである。

恋人が欲しいのなら、恋愛本を読みあさるのではなく、フラれるのを覚悟して成功するまでガチャを回し続けるしかないのだ。

大きな喜びも、震えるほどの感動も、やっぱり思い切ってチャレンジした人しか味わうことのできないものなんだと思う。 

これはきっと人生を通じて言えることなんだろうけど、リスクを取らない人間にリターンはない。

僕の人生も思い返すと、ナニにしてもガチャを回し始める当初はとにかく酷かった。

受験勉強だって底辺からのスタート。
右も左も分からなかった投資は損切りする毎日。
恋愛だって何度も出会いと別れを経験し、noteだって2ヶ月くらいは毎日2000文字綴って更新しても1日のアクセス数は5人とかだった。

凡人なんて、そんなもんである。
みっともなく生き恥をさらして、それでも苦しみながらもがくのをやめずにずっとガチャを回し続ける。

徹底して傷つくことを覚悟して続ける。
それだけである。「当たるまで回せば実質タダ」をモチベーションにして、耐え続けるしかないのだ。 

このプロセスはぶっちゃけ何度もくじけそうになるほど辛い。
けど、これをやらないと歳を重ねるごとに「あの時、やっておけばよかった」という自責の念だけが延々と残り続けてナニモノでもない歳をとった中年になるだけである。

中・高生時代の恋愛。
ここまで書いてきたとおり、長い人生でみるとメリットだらけでリスクなんてほとんどないじゃないか。
 
もし好きな人ができて、告白して、フラれたって大丈夫だ。

全然カッコ悪くないぞ。

成人したら、反省会と題してボクと一緒に飲みに行きましょう。

ね!

焼き肉に。

え!?

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