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なぜおじさんはこの歳になって「ごくせん」再放送を食い入るように見るのか

「はっはっはっ、これでお代官様の思い通りでございますなぁ」

「越後屋、お主もワルよのぉ。はっはっは」

なんて酒を酌み交わしながら、わざわざ視聴者に悪巧みを丁寧に説明してくれる。 

そこに障子越しに盗み聞きしていたどこの馬の骨かもわからないジジイが突如悪代官の前に現れて説教を始める。

そしてやってくる20時45分

悪代官の一声とともに悪党どもがわんさかわんさかどこからともなく現れる。 
「えぇい! 出合え!出合え! 」 

 はい、きたきた最大の見処、クライマックス
 
「助さん、角さん、やっておしまいなさい」

かきーん、かきーん、かきーん。

悪党どもは一人相手に、律儀に代わる代わる決闘を挑み、そして一太刀浴びせることもできずに次々と散っていく。 

「静まれぇい!静まれ、静まれ、静まれぇい!」

「この紋所が目に入らぬか!」 ジャーン!!

印籠ど〜ん!!

「はっはぁ〜」
地面に頭をつけてひれ伏す悪党一同。

いやいや最初から印籠出しとけば死人が出なかったよね、っていう突っ込みは置いといて、僕が子どもの頃こんな「水戸黄門」が大好きだった両親に対して「なんでこんなワンパターンのストーリーが観たいのか?」と疑問を抱いていた。

でも自分が当時の父親と同じような年齢になってみると「ごくせん」再放送をしっかり見て妙にスッキリしている自分を発見する。

そう。
「同じようなストーリーのほうがリラックスしてみることができる」
というのが理解できた気がするのだ。

加齢とともに新しいモノを習得することが面倒になる

若いころは早いテンポや情報量の多いコンテンツを好んだ。しかし悲しいことに、加齢が進むと情報量が少なくてシンプルで明確な物語を好むようになってきた。 
 
そもそも全く予想もつかない違う話には、その世界設定や登場人物の名前や関係性を覚える時点で、なんだか面倒くさく感じてしまうようになってしまったのだ。

人によっては随分高齢になっても頭が柔らかく様々な知識を身につけられる人もいるけれど、多くの人は40歳頃から新しい事を習得するのが極端に苦手になっていくような気がする。

僕が思うに、人間という生き物は遅かれ早かれみんないつかはそうなる。新しい考え方を取り入れたくても、次第に取り入れられなくなっていく。

おじさんにはそもそも流行情報が全く入ってこないので若いうちは感性のずれは少ないが、時間が経つにつれて「若者とのずれ」が大きくなり、心身共におじさんになっていくのだ。

だからZOOM会議でも、おじさんはミュートもせずにコーヒーのすすり音をぶち込んできたり、逆光で真っ黒顔に映っている自分に無頓着だったり、そもそもミーティングへの参加方法すらも毎回手こずってしまうのだ。 

これを「加齢現象」と揶揄されるのを威厳を持って拒絶したいがために、「頑固」「こだわり」という言葉は便利に使われる。つまり年配者が「頑固」になるのにもそれなりの理由があるのだ。

一方で子どもは新しいことに挑戦する

「たまちゃんが、ピアノをやってるから私も習いに行きたい」
「ゆづきちゃんがバレエを…」
「あやちゃんが習字を…」

小学生になった長女が友達の影響を受けるとすぐにあれもこれもと手を出そうとしてくる。子どもは影響を受けた途端に、それだけで新しいことへの挑戦のハードルがグーッと下がって猛進できるのだ。

たしかに僕も小学生の頃はそうだった。
友達から受けた影響力は親や先生から受ける影響力の何倍も大きい。特に仲のいい友達同士であればお互いに影響を及ぼしあい、無意識にお互いの真似をしていたよう思う。

影響は習いごとに留まらない。
(…話が本筋から逸れそうだけど、ま、いいや。書きたいことを書こう)

僕の子どもの頃1980年代では、みんなが真似をし合って「多機能筆箱」たる今や化石のような代物を学校に持ってきていた。

マグネットタイプのカバーをパカーっと開き、並んでいるボタンを押すと鉛筆や鉛筆削りがピョンっと飛び出す。カバーの絵柄は角度を変えるとキラキラと変わる。そして両面開き、消しゴム入れつき3面タイプ、温度計とかルーペもついていたな。もうお弁当箱ほどの大きさでランドセルの中でも一際存在感を示して場所をとってしまうのにクラス中のみんなが持っていた不思議。

つまり子どもは子どもの中で社会が形成されていく。こうして形成された社会において、最も大切なのは子ども内でのルールであり、子どもはこのルールの中で社会性を育んでいき、そして精神を成長させていく。

だから新しいことへの挑戦(欲求)は、柔軟な脳で情報量の多いコンテンツを好む子ども内ルールの中で、自然に次々と生まれていくのだ。

コロナ禍で新しいことへのチャレンジ思考が増えた?

肌感覚ではあるが最近ではステイホーム、リモートワーク生活を有効に使い社会人でも「新しいことをたくさんやってみよう」という人が増えてきたように思う。

「投資を始めたい」「ランニングを習慣化したい」「本を年間100冊読みたい」「ブログで収益化したい」「フリーランスで生きていこう」「FIRE目指そう」

と、挑戦する人はいろいろなことを同時に手がけており、とにかく精力的に動いている。
「新しいものをすぐ試してみる人」のことを仲間うちで「人柱」なんて揶揄されることもあるが、ただこういうときに新しいことを始めてみようと思う人がたぶん通常運転の世の中でも頭角を現すのだろうな、と感じる。 

何よりもこういったチャレンジ精神旺盛な人達がいなければ、世の中はつまらないものになってしまう気がする。

noteだってそうだ。
コロナ禍でアクティブユーザーが一気に増えた。

自分の経験や知識を投稿し、

社会に一石を投じたい。
新しい生活に対応するために行なった工夫をみんなに共有したい。
法人企業の新しいアピールにつなげたい。

そういった思いの受け皿になったのだろう。

僕も遅まきながら「note」にチャレンジした。

雑記で100日連続2000文字以上を達成した今、じゃあ次は何をモチベーションにしようかと、ここ数日間考えていたが、もう自然とつながってくれたフォロワーさんを中心に、今、読んでくれる読者を大事にしよう、という方向に舵を切るのが僕にとっては正解だと思った。

ブログにしてもnoteにしても「読みたい人にだけ読んでもらえたら嬉しい」「大衆に読まれなくてもいい」と思えれば、本当に自由な場所だからモチベーションの源は常に「自分」の中に持って、自分のやりたいことをやっていった方が絶対に楽しいし続けられる。

で、この数日間、「スキ」をくれたクリエイターさんを中心に色んな記事を読ませて頂いたけど面白い。本当に面白い。中学生クリエイターの学生ならではの観点や女性の自虐ネタ。いっぱい笑った。
今まで書くことに必死で見えていなかったけど新たな面白さに気づかせてもらった。

やはり新しいことへのチャレンジの本質は、「学びがあるから…」だとか「自分の限界へ…」とかそういう使いやすい見栄えの良い言葉ではなくて、楽しいこと、やりたいことを「手の届く目標を掲げて」コツコツと積み重ねていく泥臭いところにあるように思う。
そこに応援者ができてモチベーションが強化され本物になっていく。

だから僕は、加齢が進むと「新しいこと」への挑戦意欲が持てないのは「脳」の問題も当然あるが、「環境」にもあるように思う。

おじさんになれば

仕事では泥臭いことは部下にやってもらうようになるし、
今からコツコツと新しいことに挑戦する時間はないと考えてしまうし、
継続することでできる「顔も知らない応援者」が出てくるというイメージも全く持てない

と、なってしまうからではないだろうか。

「貧乏マインドの人」に尽くすほど最悪なことはない。

中国・アリババの創業者「ジャック・マー」による伝説的なスピーチをご存知だろうか。

貧乏マインドの人に尽くすほど最悪なことはない。

何かを無料でプレゼントしたら「これは罠だ」と非難する。
「少額投資で大丈夫」というと、「じゃあ、儲からないじゃん」と文句を言う。
「多額の投資が必要」というと、「そんな金ない」と文句たらたら。
「新しいことに挑戦しよう」と誘うと、「経験がないから無理!」と諦める。
「伝統的なビジネスだよ」というと、「じゃあ成功しないね!」と却下される。
「新しいビジネスモデル」というと、「ああ、MLMか」と決めつける。
「店を経営してみたら?」というと、「自由がなくなる!」と主張。
「起業してみたら?」というと、「プロじゃないから無理」と受け入れない。

貧乏マインドの人たちの共通点とは、グーグル検索が大好きで似たような貧乏マインドの友人の話ばっかり聞いて慰めあってる。

口先だけは大学教授なみ。
でも行動は、盲人以下。

彼らにこう聞いてみて。
「じゃあ、あなたは何ができるの?」

何も答えられないから。

加齢が進むことで「新しい挑戦をすること」を阻む理由として、「脳」「環境」とここまで書いてきた。

もう一つはこれだと思う。

「貧乏マインド」である。
僕達は、様々なことを経験し知識を得ることでリスクを感じる(知る)ようになった。

 「それはリスクが高いから今後の検討としよう」

これだけ経済が劇変したコロナ禍においても、変化を求めない前例踏襲主義の会社が山ほどある。

「コロナが収束すれば・・・」
「ワクチンが広がれば・・・」

こう考えている企業は出世は年功序列、そして終身雇用を理念としているところに多い。

基本的に減点方式で物事を考えるため、社員は新しいことに挑戦して失敗すると怒られるし、叱責を恐れるがゆえに新しいことへ挑戦するリスクを恐れて、組織的では現状を維持しようとする強い圧力がかかっている状態なのだ。

そして前例に従って失敗したのであれば「自分は悪くない」、「頑張ったけど前例が通じなかった」のだという言い訳が通るので、これほど楽なことはない。

おそらくこういう会社の2020年度の好事例は

「ZOOM会議を利用したことで、交通費が年間○千万円削減!」
「販促活動のデジタル化で損益分岐点の大幅な引き下げに成功した!」

この程度だろう。
出てくる好事例は「創り出す」ものに目を向けるのではなく、リスクが圧倒的に低くどの会社でも再現性の高い経費削減策。

これ、冷静に考えるとジャック・マー氏が言う「貧乏マインド」の類型のように見える。凝り固まった思考のおじさんで上層部が固められた会社ではこの程度の発想が限界であろう。

そうは言いながらも、ここでこんな持論を書いているだけの僕自身も「言うは易く行うは難し」の典型で、これも「貧乏マインド」の類型と言えるだろう。

でも違う。
僕がこのnote記事で言いたいことは、会社をあなたの力で変えようなんて大それた話でもなく、評論家を気取ることでもない。ありふれた「理想論」をどこかから引用して語りたいわけでもない。

会社は簡単には変わらないのだ。
激震が走ったコロナでも変わらない会社なんて諦めたほうが良い。もう変わらないのだ。

だから会社は「失敗しても給料は出る」というある意味ではベーシックインカムなので、好き放題チャレンジして好きなことやって自分の経験を積んでいくのがいいという指南なのだ。

単純にそっちの方が、ただ会社に行くよりも圧倒的に楽しい。 

さて、そろそろまとめよう。

僕も42歳。立派なおじさんである。
たしかに「水戸黄門」や「ごくせん」など情報量が少なくてシンプルで明確な物語を好むようになってきた。 

その中である程度、今を生きる若い世代の感性を理解しようと思えば、 若い社員のお手本となるように自己研鑽を繰り返し、率先して新しいことに触れてチャレンジし続けなければならない。

今の時代であっても昔と変わらぬ成果を出し続けなければ、周囲からの眼差しは、時代錯誤の考えや理想論を語るおじさんでしかなくなってしまう。

時の流れは残酷でおじさん化は避けられない。しかしカッコいいおじさんを目指すことはできるはずだ。 

そう言いながらも、端的にまとめずにこの記事で5000文字も語るようでは、カッコいいおじさんになるにはまだまだ修行が足らんよ、と若者に言われそうですな。

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