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なぜ人は気まずい会話の冒頭で「天気」の話をブッ放してくるのか。

いやあ、それにしても暑い日が続きますね。

・・・

来週も、気温は平年並か平年より高い見込みのようですよ。 

・・・

可もなく不可もない、ただ天気の感想と状況を述べているにすぎない会話。

駅から会社までの道のりで、普段あまり話さない職場の人と偶然に居合わせた時に、2人っきりで過ごす地獄の数分間の冒頭に気まずさロック解除で使われる話題。

相手の年齢・性別に関係なく誰に冒頭でブッ放しても全く違和感が無い汎用性の高い人気の話題。  

それが「the オープニングウェザートーク(冒頭天気話)」である。

はい、僕は今それをnoteの冒頭に使いました。
そう、今日は文章がビックリするくらいに出てこないのだ。

はて、なんでだろう、、、

「今日更新されなくて心配した!」
「なんで更新されないの?寂しい!」

そんな愛され人気クリエイターでもなく、noteの大海原では米粒、いやゴマ粒程度でしかない僕であっても、

「あぁ、この人は天気の話をして結構常識があるな」 
「あ、こういう人、好き。大好き。理由は後からついてくる。」

と印象づけをしたくて更新するに踏み切ったのだ。

ただこの「常識人」にも、ひいては「こういう人、紳士的で好き」と思われる「万能の必殺業『オープニングウェザートーク』」であっても多用すると問題点があることに気づいた。 

天気の話なんて、話術のプロにでもかからない限り、さして面白い話ではない。

天気というのは、「暑い」「寒い」「涼しい」「過ごしやすい」の類しかなくて、その後の会話が全くもって弾まない。

「良い天気だね」とか「肌寒い季節になりましたね」の類はもう、どう客観的にみても正しい事実以外の何ものでもなく2人の間での最終結論が出ているのだ。 

「いやあ、本当に快晴ですね」と言えば、間違いなく相手は肯定するだろう。

もしも
「いや、僕の持論は違ってて晴れているとは思わないんですね。それは……」

と相手の意見を真っ向から否定し、晴れていない理由を根拠だててどや顔で説明したとしよう。

この瞬間、あぁこの人たぶんウゼぇタイプだろうな、と一瞬で判断されて無言に拍車がかかるだけである。 

ふぅ・・・
さてさて。

長女が天気予報を見ている。
自分が住んでいる場所が地図上で分かるようになって、最近はいつも嬉しそうに明日の天気を教えてくれる。

僕に大声で言った。 

「明日、晴れだって!0%だって!」

夜空を見上げてみた。
そうかな?僕の目を通して見える夜空はなんだか湿って見えるのだけど。

母ちゃんから電話があった。

あぁ、、、、
なんでかけてくるんだ、って。
かけてくんなよ、って。

ここ数日間、電話が鳴らずに安堵していた。

「おじいちゃん、11時20分に亡くなったから。こういう時期だから家族葬にするので帰って来ないでね。おじいちゃんね、全然苦しまずに逝ってね、だから良かっ、、、」

そこまで言った後、母ちゃんブワッーと泣いちゃってさ。

母ちゃん長女やん。しっかりしろよ。

もぅ、言葉として認識できないやん。

何言ってんのか分かんねえよ、って。

僕は黙ってた。
僕は泣かなかった。子どもが目の前にいたし、母ちゃん泣いてるから泣いたらあかんって思ったし。

おそらく何かしゃべったら僕も崩れてた。 

小さいとき、よく動物園に連れて行ってくれた。「ぞ〜さん、ぞ〜さん、お〜はなが、ながいのね〜」って歌を唄いながら、つないだ手を大きくぶ〜らぶらしてくれてね。

僕は8人の孫の中でも特に可愛がってもらった。優しくて物知りなおじいちゃんだった。

宝くじをしちゃ駄目だ。
人を騙しちゃ駄目だ。
株をやった方が良い。
コツコツの積み重ねが、いずれとんでもなく大きなものになる。

思えば今の僕の行動の源泉は、じいちゃんから教わったことばかりだね。

趣味の釣りに何回行ったっけ?
自慢の小型船でさ。早朝に起こされて眠い目を擦りながら潮風浴びて。こんなんに慣れちゃってるからラジオ体操で早起きなんて全然余裕だった。

魚釣りができん男はいかんって、ど田舎男児丸出しのこと言っちゃってさ。魚の名前とそれに適したエサをくりかえし丁寧に教えてくれた。

じいちゃんなのに、心は誰よりも少年だったよね。皆が口を揃えて「いい人」って評するおじいちゃんを僕は大好きだった。

1週間前に肺炎で入院しても、人のことばっかり心配して自分はそっちのけで、最後まで神様みたいな人だったよ、って母ちゃん言ってた。 

95歳大往生。
1週間前まで逝くなんて誰も想像してなかったし、心の準備なんてできやしないよ。

つい最近まで注射2回終わったら会おうね、って話していなかったっけ?
今、神戸ナンバーで帰ってきたら近所の目が気になるからやめてくれって言ってなかったっけ?

あまりにも突然すぎるじゃん。

じいちゃんは現役時代は記者だった。
95歳になっても分厚いレンズの老眼鏡かけて、手の届く範囲に沢山の本を置いてね。全くボケずにいつみても活字を読んでいた。 

僕のnoteが大好きだったね。
コロナで帰省できなくなって、テレビ電話も耳が遠くて会話にならないから。

だから文字とひ孫の写真。
僕はnoteを通じて「お便り」を送り続けてきた。

いつも何でも褒めてくれるじいちゃんなのに、文章だけは最後まで一度も評価してくれなかった。1記事くらいは良い記事あるやろう、って言っても1記事もないって。

そこだけは、プロの鋭い目を光らせてとても厳しかった。

「『非モテ』ってなんなんだ?そんなわけのわからない言葉は使わない方が良い」

壊れたスピーカーのように何度も言ってたね。

「高齢だから、もちこたえられるかどうか厳しい」

入院時に医者から言われたって母ちゃんから聞いたときにね、

遠方の僕にできることなんて稚拙だけど、文章で少しでも笑顔にならないかなぁ、って。

意識がなくなったと聞いてから作成した記事。

タブレットを病床に置いてるって言うから、じいちゃん意識戻った時に笑って欲しいと思ってね。

じいちゃん、「スキ!」いっぱいもらったで。

見てもらいたかったな。

そして、まるでマウントをとるクソ上司のように
「ゆづおのペン(文章)には人の感情に働きかける魂が入ってないのよ。だから人気がないんだ。構成も悪い。それが分かったら皆んなボーンって共感をもってくれる。まだまだ勉強、勉強。ハハハハハ」

いつものように指摘は上から目線。

でも、
それに相反した優しい声。

今回も聞きたかった……うん。

僕はきっとこれからも記事を作るたびにじいちゃんを思い出して「じいちゃん評価してくれっかな」って意識し続けるだろう。 

もう、じいちゃんを超えられないし、教えてもらうことも、褒めてもらうこともできない。悲しいな。ズルいな。

さてさて、これからどうしようか。
あまりにも突然すぎて心の整理がつかへんケド……。

すぅー、って大きく息を吸ってみた。

そしてもう一回、夜空を見上げた。
雨が降ってきたのかな、空がにじんで星が見えないや。

明日、
「今日は本当に、快晴ですね」って誰かにオープニングウェザートークされたら

「いや、僕の持論は違ってて晴れているとは思わないんですね。それは……」

ウゼェ人になるのかな。
そうだな、明日一日はなるように思う。

じいちゃん、ありがとう!ありがとう!ありがとう!

それじゃあね、ばいばい!

じゃなくて、またね。
また、きっとね。いっぱいありがとう!

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