GC(ジェンダークリティカル)の生得的生物学的女性の方、身体の性別違和からMTFSRS手術したGIDMTFの私からお願いです、特例法の手術要件守って頂けませんか?

GC(ジェンダークリティカル)の生得的生物学的女性の方、身体の性別違和からMTFSRS手術したGIDMTFの私からお願いです、特例法の手術要件守って頂けませんか?



性同一性障害者(性別不合)で身体の違和感が強い人は、たいてい、”自分は間違った身体の中に閉じ込められている”と答えます。

これはなんと世界共通の現象なのです。わたしはNGO関連でアフリカに二回行ったのですが、そこで教育を受けていない性同一性障害の難民を見つけました。彼女はなんと同じことを言ったのです。違う身体に閉じ込められていると、、、、しかも彼女は保健の授業を受けて来なかったので、20代なのに自分に子宮がないことを知らず、自分はまだ子供が産めるはずと信じていました。わたしは彼女に子宮がないから子供は産めないんだよと教えるとすごいショックを受けていました。そういえばわたしも小学性のときは自分も子供が産めると信じていました。中学で自分に子宮がないことを知って愕然とした記憶があります。



性同一性障害者が、違う身体に閉じ込められていると表現するのは、世界的な現象です。教育を受けていない人でも同じように表現します。

そして重要なのは、性同一性障害者は決して”違うジェンダーを入れられてしまった”とは言わないのです!

ジェンダーが違うのではなく、あくまでも身体が違うのです。

結局のところ、身体が性別を決めているという感覚が生まれつきあるのです。それは生まれつきのジェンダークリティカルではないでしょうか?

https://note.com/maikokarino/n/n0789110f4c63
性同一性障害者はジェンダークリティカル

maikokarino

2022年7月21日 01:41




TS二人が最近のジェンダーイデオロギーの問題を語る
2:45 (TGは)わたしたちのような外観になることは特権だというけれど特権ではない。失ったものも多い。

代名詞についてわたしたちの代名詞は何ですかとは聞かれない。(パスしているから)

4;40 わたし(右のMTFTS)がトランス始めた6,7年前は、自分をトランスジェンダーだと名乗った。当時はトランスセクシャルという名前が時代遅れだと言われたから。しかし今わたしはTS(トランスセクシャル)を名乗っている。というのはとても男性的なamab(assigned male at birth)も自身をトランスだと名乗るようになったから。

5:43 わたしはTSがコミュニティーで声を失っている状況にうんざりしている。
6:20 わたしたちTSはわたしたちの問題の権利を得た。違う形態の抑圧に関していえば、フロリダではホルモン治療や手術が必要なくなった。これは悔しいことです。それはわたしたちTSの年配者が戦って苦労して勝ち取ったホルモン治療や手術を受ける権利だからです。 多くのノンバイナリーの人たちがトランスになるには性別違和なんて必要ないと言い出したのです。
ここ5年くらいでノンバイナリーの人たちがトランスコミュニティーに入り込みすべてを粉砕してしまった。わたしたちが持っていた診断の基準などを。”だれでもトランスになれる!”ルールもない。医療もない。人々はわたしを人間のクズでトランスメディカリスト(トランスには診断治療が必要と考える人)と呼んだ。

8;42 buck angel なぜノンバイナリーの人たちが代弁者になったと思うのですか?
8;48Jordan ノンバイナリーというより、現実には、シスジェンダーの人たちがノンバイナリーを装っていると思う。わたしは本当のノンバイナリーの人を知っています。それはパーソナリティではなく経験で、そのことを他人に押し付けません。彼らはTSと対立しません。しかし、シスの人たちはトランスが注目されるようになってから、わたしもノンバイナリーだからトランスだと言うようになった。今はいくらでもそう言えるが5年前だったらうざいことだった。

以下Jordanの生い立ち 13歳から25歳までゲイだったが、子供のころ自分は女の子だと思っていた。25歳からトランス開始。

17:36 子供のトランスをどう思うか、13歳でもしトランスしてたら?
コインの両面で悪い面もある。1もっといじめられていたかもしれない。2十分に発達できなかった(思春期ブロッカーで) わたしは大人でトランスしたので性的器官の機能を楽しめた。(思春期ブロッカーを使うと一生オーガズムが得られなくなります)

20:55 TSでない人が子供のトランジションについて語るのはやめてほしい。トランスでない人、ノンバイナリーの人も子供のトランスについて語る。しかしTSには実際に生きた経験がある。

21:38 わたしたちと同じような考えの人はいる。Practice trumps theory 実践は理論に勝る。ジェンダー理論の授業では”lived experience"(TSの人なら経験する)生きた経験の話しがない。本当のTSはトランスであるということの意味をいじりまわしている特権はない。(TSではない人がトランスの意味をいじりまわす)
わたしたちのように男のスペースで生きているFTMTSや女のスペースで生きているMTFTSは元のスペースに戻ることができない。しかし彼ら(TGやNB)は元のスペースに戻ることができる。detransitionersをどう思うか?

悲しい。(性別違和以外の)間違った理由でtransitionしたとしたら。数年前までトランスであることを疑う人などいなかった。(トランスしない)人生を生きることはできなかったから。トランスであることは選択ではなかった。しかし今は”トランス自認”というものの影響がある。そのトランス自認というもののせいで人々は間違った理由でトランスする。トランス自認というもののせいでdetransitionersは傷ついたのですが、長い目で見ると、そのトランス自認はわたしたち現実のTSをも傷つけます。というのは(その失敗のせいで)トランジショニングすることを制限する法律ができるからです。

24:40 BuckAngel 身体移行して30年たつわたしだが、今一番トランスが憎まれていると感じる。それは(シスヘテロ((Jordanいわく))彼らがトランスだというから。

25:09 detransitioningはtransitioning より難しい。それはどれだけ身体移行してしまったかによる。肉体的に戻れないし、心理学的トラウマもあるし。

25:40BuckAngel 何人かdetransitionerと話したけど、彼らが共通に言うのは、十分な時間セラピーをしてくれなかた。15分しかセラピーがなかったということ。

26:23 Jordan 共感と無縁。共感を文字通り失った。振り子がドラマチックに揺れ動き、ニュアンスというものがない。誰も批判的に考える技術を持たず、すべてが極端。
どうしていいかわからない。ソーシャルメディアが社会を分断させている。
わたしたちは顔を晒しすぎた。
27:37 BuckAngel 診断が必要なくなり、クラブに入るような感覚でセルフIDを使うことは危険だ。セルフIDは危険だと前から言っている。ノンバイナリーだとセルフIDしてる人がトランスの顔をするから。荷物を盗んだ人もいた。笑 またCLUBQの事件でノンバイナリーと自認しているとされる人物(銃乱射事件)
ノンバイナリーが悪いのではなく、セルフIDでノンバイナリーではない人もノンバイナリーだと言えるから。

29:39Jordan 人々は権力を守るためにクイアな自認を誤用するようになった。ブラックフェイスと同じ。TSはセルフIDを使ってふりをすることはできない。見ての通りだから。

30:23BuckAngel それがTGとTSの違い。 (TGからはTSが)ヒエラルキーを作ったと言われるがとんでもない。わたしはあなたたち(TGとは)違うんです。わたしは(TGと違って)生物学を認識しています。生物学を認識していますか?

30:47 Jordan もちろん。 だが質問したいのは、トランス女性は女性ではないというのはいいんだけど、TickTokでトランスに対する言葉でシスを使ったらシスは女性に対して中傷だと言われた。どうすればいいか。

32:26 BuckAngelいい質問だ。わたしたちTSがトランスと呼ばれたくないように生物学的女性はシスと呼ばれたくない。

33:54 Jordan多くの人は考えようとしないが、社会があなたをどのように知覚するかは、あなたが自分自身を知覚するよりも、あなたのジェンダーと関係がある。The way society perceives you has more to do with your gender than you perceive yourself.

社会がわたしたちを男性と認識したり女性と認識したりするから、わたしたちには男性として生きた経験、女性として生きた経験がある。見た目が女性なのに男性だと言ってもその人は男性として生きた経験がない。そういう人を男子スペースに連れていくことはできない。

35:23 jordan わたしは女子スペースでトランスを怖がる女性を責められない。というのはトランスというラベルと乱用して女性を虐待したトランスがいるから。最もおぞましいことです。
女性と自認した男性が女子刑務所に行くことも非道です。

https://note.com/maikokarino/n/naa4a5ebeaca5
TSはTGとは全く別物

maikokarino

2023年1月26日 22:53



小学校高学年で、タック(男性器を体内に押し込む)の方法を自分で考案した。
(母親と姉たちがタックの方法を教えなかったのは、私に対して悪意があるからに決まっている)https://www.healthline.com/health/transgender/tucking#how...



今でこそTuckについての情報は海外でも共有されていますが、インターネットのない昔、わたしは自分で考案しました。


中学一年生 保健の授業。 自分には子宮卵巣、膣がないので子供が産めない事実を知って衝撃を受ける。



中学二年生 わたしがくっついていた男の子との関係を疑われ、ホモだホモだと学年じゅうの噂になった。彼は、おれはホモじゃないと全否定し、わたしは、ホモじゃなんでいけないの?とクラスの女子の前でひらきなおった。 女子は唖然としていた。(ホモは現在差別用語です。ゲイという言葉はまだありませんでした。)

彼は異性愛者だったので、女になって見返してやる!と心に誓った。



そして、タックは続けていた。 何か解決方法があるに決まっていると自分を信じた。



高校一年生、雑誌でカルーセル麻紀の性転換を知った。 これだ!と思った。 部活や体育がない日はタックを続けた。





だが性転換費用が数百万かかることで絶望した。 ニューハーフになれてもわたしの身体なんか買ってくれる人がいるのだろうか? 一体何人に身体を売ればは数百万たまるのか・・・・・高校生のうちはそんな計算をやっていた。





大学生。 諦めてゲイとして生きられるか模索した。ゲイバーに行って相談したがなんか違っていた。 エイズパニックの真っ最中で、ハッテン場に行く勇気がなかった。



30代、自分の人生を生きていないので、”こんな人生生きるに値しない”が口癖になった。 この世のすべては3Dの立体映像に過ぎず、シミュレーションに過ぎないと感じた。架空の人生なのだから、終わりにしても良いと思った。



暗い人生を歩みつつも、タックは続けていた。



中村中さんが紅白で女性に出場したのを見た。ニューハーフ業をやらなくても女性になれることを知った。 もう我慢できなくなった。



カチカチのアナログインターネットで性同一性障害、ホルモン入手を検索するようになった。



大学生のころ、日本では性転換は違法行為で、医師が処罰される状況だった。



やっと、正当な医療行為で性転換できるようになったので、一番診断が厳しい精神科に通って、メイドインジャパンの人工女になった。 手術の輸血は自己血の輸血ですんだので、輸血のトラブルは避けられた。 仕事を休んだのもたった二週間だった。 座ると猛烈に痛かったが、わたしには平気だった。 もう終わっていた人生なので、生きられるだけで儲けものだからだ。 ダイレーションも苦ではなかった。 

カルーセル麻紀さんと話す機会を得た。



やはりわたしのロールモデルだった。



彼女が生きた時代はあまりにも昔なので、ショービジネスしかなかった。



彼女が今若かったら、大きな会社の経営者だったのではないかと思った。



彼女は性転換手術後50年くらいしているが全く後悔していない。



わたしも10年以上経過したが、全く後悔していない。

https://note.com/maikokarino/n/ncec8243351a9
身体違和の例


maikokarino

2022年8月16日 14:09





精神科に通っている間はつらかったので、たしかに行きたくなかった。でもあの二年間は必要なことだったと思っています。

わたしは、後から診断をすり抜けたと言われたくないために、あえて診断が一番厳しいHメンタルクリニックを選びました。
そこで2年間自分と向き合いました。
本当の自分と向き合うのは勇気がいることです。どこまで身体を移行させれば心が安定するのかなんて、やり始めないとわからないことです。

幸い、わたしは女性ホルモンで鬱症状が治るタイプだと言われました。
Hメンタルクリニックに行く前は、非常に自殺願望が強かったのですが、女性ホルモンによって救われました。

身体が作る天然の男性ホルモンが脳にあっていないという漠然とした違和感が高校生くらいから強くなって、根拠もないことだからと、女性ホルモンには手をつけずにいました。 我慢の限界にきて、女性ホルモンを始めたところ、暗い気持ちがすっかり晴れてしまいました。

精神科医の役割は、除外診断をすることです。
要するに、性別違和(性別不合)でないのにそう思い込んでる人を除外することです。

Hメンタルクリニックに通って2年後に性別適合手術の許可がでました。
自分の性別を他人に決められることを当時は腹立たしく思ったことも事実です。

当時読んだ本で、53歳で女になった大学教授というアメリカ人の大学教授が書いた本があります。彼女は性別適合手術を受けた女性で今も生きています。

彼女はその著書のなかで日本の現状にも触れています。日本では精神科医が社会の門番の役割をしていると。

日本では精神科医が警察のような役割を果たしています。
性別違和(性別不合)でない人が女子スペースに入ってこないようにする役割です。

わたしが脱病理化に反対する理由は、当事者のためではなく、女子スペースを利用するシスジェンダーの女性のためです。

https://note.com/maikokarino/n/nceec83347c0b
脱病理化に反対します


maikokarino

2022年7月21日 13:29





しかし面白いことにキャスリーンストックはこの講演の中で、マーシャジョンソンを彼女と言っている。 敬意を表してのことか? いやわたしは違うと思う。

わたしは英語圏のゲイとよくチャットをすることがあるのですが、たまに無意識にゲイは同じゲイを彼女と言ったり、レズビアンも無意識にゲイを彼女ということがある。

レズビアンにとって、男性を好きになるゲイは女性で、むしろ、女性を好きになる自称トランス女性は男性である。なぜならゲイはレズビアンにとって無害で、女好きの自称トランス女性はレズビアンに迫ってくる有害な存在だからである。キャスリーンストックはこの講演で、はっきりと、ペニスがある自称トランス女性が女好きと言っても、レズビアンとは認めない!と言っている。
当たり前のことです。 その人たちは女装男性ですから。

よく自称トランス女性は自分たちが暴力を受けるから女子スペースを使わせろというわけですが、その暴力の発生率について学者は正確な調査をする必要があると言っています。その調査は、どの団体から資金をもらって調査したのかも明らかにして。

最後に彼女は哲学者として人権と、ある権利を認めさせる方法を区別しなければならないと言っています。自称トランス女性が女子専用スペースを使うのは人権ではない。トランス女性が暴力を受けないようにすることは人権である。トランス女性たちが暴力を受けないようにすることの解決方法が女子専用スペースに入れるという方法以外にたくさんの方法があるはずです。

また哲学者は次の二つを区別しなければならない。だれかを侮辱するためにわざとミスジェンダリングすることと、生物学的政治的現実を話す場合のことを区別しなければならない。だから、誰かを侮辱することなく女性の身体について話す文脈が必要となる。もし女性とトランス女性を区別する言葉がなかったらわたしたちの身体に名前をつけられないし、わたしたちが受ける抑圧にも名前をつけることができない。

講演の冒頭でも言ってるように彼女はトランスの人権の支持者である。トランスが暴力を受けることには反対してると。。。

こんな優しい彼女を大学から追い出すなんて、自称トランス軍団はひどいロビイストです。


女性スペースを守ろうとしていたはずのGCの方たちは最近手術要件を撤廃する後押しをするようになりました。なぜかというと、手術自体をしてはいけないものと言い始めたからです。

欧米で手術要件が撤廃されたのもこういったGCの方たちが手術反対派に回ったからです。

これらのGCの方たちは性同一性障害を全く知らず、女装者と同じと考えているので、身体違和など存在しないと考えています。


社会的役割に違和感を感じている人が手術するなどという、あり得ない話をするようになりました。

性同一性障害者は子供のころから大人になっても、身体違和で苦しみます。
社会的役割など感じたことはありません。学生にとっては勉強することが役割、社会人にとっては働くことが役割だからです。

GCは男女で身体と関係ないジェンダーの役割が違うと勘違いしている人が多く、TRAに非常によく似ています。 まさにGCは身体違和がないトランスジェンダーと同じ土台を持っています。

そのため、上記のツイートのように、手術すべきではない、役割から解放されればよいと言うのです。これは身体違和がないトランスジェンダーと同じ言葉です。

性同一性障害者は身体違和で苦しみます。そのため手術が必要です。
社会的役割など関係ありません。

このように女性スペースを守るはずだった人たちが、社会的役割を変えればすむと考え、性同一性障害者から手術を受ける権利を奪い、手術要件を撤廃し、セルフIDへと導きます。


性同一性障害の専門医のカナダ人医師RayBlanchardも、一部のGCは性同一性障害の存在を否定し、TRAと同じくらいイデオロギー的だといいます。

性同一性障害者が、女装者と同じと考えるGCは”くたばれGID”派と呼ばれます。

https://note.com/maikokarino/n/n88c672e20289
手術要件を撤廃するGCの方たち

maikokarino

2023年10月7日 11:34




それは、身体違和がなかったことにされ、男性器はもうないにもかかわらず、まだ隠し持っていると言われるようになるからです。

睾丸もペニスもないのに、”ある”とデマを流す人がもう現れています。
皮膚は再利用する場合があるだけです。

短小で挿入できない人は、その後性別適合手術し、手術後10数年たっています。その人にとって男性器は異物でしたので、女性器の形にする手術をしたのです。当然のことですが睾丸やペニスはありません。

にもかかわらず、存在しないものを”存在する”と主張するのはイデオロギーです。

手術してとっても、それでも”ある”というのは現実ではなく妄想です。

これもある種のイデオロギーです。

新種のTRAと言ってもいいかもしれません。





手術していない人の犯罪を手術した人たちのせいにしている例。つまりついてる人とついてない人は同じと考えているので、まさにTRAです。
(特例法は手術後しか適用されません)

このような新種のTRAのイデオロギーは手術要件撤廃につながります。

TRAも新種のTRAも共通点は身体違和が強い人の存在を認めないことです。
そのためどちらも手術自体無意味と考えています。

しかし、今まで身体違和が強い性同一性障害者は手術によって救われてきました。

性同一性障害についてDSM4で委員だったRay Blanchard 博士はいいます。

精神障害としての性同一性障害の疾患の存在を認めないこともTRAと同じくイデオロギーだと。

もし手術要件が撤廃されてしまうと、現在埋没して生活しているGIDの人たちは、過去を知る人物からのアウティングをもっと恐れなければならなくなります。
つまり、アウティングされた場合、手術して除去したものが、まだついているとみなされるようになるからです。

https://note.com/maikokarino/n/ne29fe76e240d
わたしが手術要件撤廃に反対する理由


maikokarino

2023年9月8日 11:07



女性差別の観点から見たLGBT理解増進法

森田成也

【解題】以下の論稿は、ある左派系雑誌の編集部から、LGBT理解増進法の成立に関する論考の執筆を依頼されて書いたものであるが、その後、同雑誌に影響力を持つ団体の幹部から横やりが入り、LGBTをめぐるこの論文を同誌に乗せることは、同誌の存続を危うくする行為であるから掲載を取りやめるよう強く圧力がかかり、結局、掲載が見送られた。私がその時点で書いていたのは論文の「骨子」だけだったが、今回、せっかくなので最後まで書くことにした。(2023年10月3日一部修正)



はじめに

 2023年6月16日、「性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律」(以下、理解増進法)が、13日の衆院での可決に続いて、参議院でも賛成多数で可決され、同法は正式に成立した。

 一般に、理解増進法の当事者はLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)だけだと見られている。しかし実際にはそうではない。なぜなら、この「LGBT」の中に含まれている「T」すなわち「トランスジェンダー」は性別をトランスすることを核心としており、トランス(移行)先の性別に属する人々がこの社会において相対的に不平等で抑圧された弱者の地位にあるとき(女性がまさにそうなのだが)、これらの人々の定義、地位、尊厳、権利、利益に深くかかわり、場合によってはこれらの人々の権利と深刻に衝突するからである。だから、すべての女性がこの問題の当事者である。そしてこの女性の中にはもちろん、レズビアン(L)、バイセクシュアル(B)も含まれており、その意味でも女性は当事者である。トランスジェンダリズム(性自認主義)が支配的になると、レズビアンの意味も変わってしまう(*1)。

 「トランスジェンダー」というアイデンティティは次の2つの点で他の性的少数派とは根本的に異なる。まず第1に、他の属性に基づくマイノリティのさまざまなアイデンティティはそれ自体で成立するので、基本的に他の少数派とのあいだで権利や利益の衝突を生まないが、「トランスジェンダー」はまさに自己の属性をトランスすることをアイデンティティにしているので、それ単独だけでは成立しえないことである。この問題について一知半解の人々は、トランスの人々も他のさまざまなマイノリティと同じマイノリティなのだから、その権利と利益をただ擁護したらいいと単純に考えている。だが実際にはそうではない。属性をトランスするということは、トランス先の属性の人々をも必然的に巻き込む行為なのである。

 第2に、他の属性にもとづく性的マイノリティは主観的にも客観的にも単なる事実に基づいて成立するが(同性愛者は自分が実際に同性愛者であるという客観的事実に基づいて成立する)、トランスジェンダーという属性は主観的には別にして、客観的には、事実に反する属性をアイデンティティにしている。つまり、たとえば、客観的事実においては男性であるが、自分を女性だと認識することによってはじめてそれは成立する。客観的事実に反する属性をアイデンティティにする唯一のマイノリティが、このトランスジェンダーである。

 差別や抑圧が関わっている何らかの客観的属性をトランスし、客観的事実とは異なる属性を自己のアイデンティティにすることは、そのトランス先の属性を持つ人々にとっては、とくにその属性が差別され抑圧されている側の属性である場合には、極めて深刻な問題になりうる。たとえば、白人として生まれ育った人が自分は黒人であると認識し、そう公言し、それを認めるよう他の黒人や社会に求めるとしたら、実際に黒人である人々、生まれながらに黒人として差別され抑圧されてきた人々にとって深刻な問題となるのは自明だろう。しかし、現在は性別に関してだけトランスすることが認められ、そして当然視されている。この性別という属性において、差別され抑圧されている側に属するのは女性である。つまり、抑圧的・支配的性別である男性が、被抑圧的・従属的性別である女性にトランスすることが認められ、法的・制度的にも保障されている。そして、男性として生まれ育った人が自分は女性であると自認するやいなや、実際に女性として生まれ育ち、女性として差別され抑圧されてきた人々よりも差別され抑圧されている「トランス女性」になるとされている。一般に人種に関してはこのトランスという行為(トランスレイス)はまだ認められていない、少なくとも一般的にはそうだ。なぜ性別だけがトランスすることが認められ当然視されているのか、実はこの問題は女性差別と深く関わっている。本稿では、この女性差別という観点から同法の意味について論じたい。

 なお、あらかじめ最初にことわっておくが、本稿の立場は、トランスジェンダーの人々の存在を否定するものでも、彼ら・彼女らに対する社会的差別(雇用や教育などにおける差別)を是認するものでもない。私が批判し否認するのは、自認による主観的性別が現実の客観的性別に優先されるべきであるとする考え方、そしてトランスと女性とのあいだで利害や権利の衝突がありうること自体を否定し、それでいて実際に衝突する場合には女性の側にのみ我慢と譲歩を求める考え方、である。私はこれを「トランスジェンダリズム」と呼んでいる。したがって私が否認し批判するのはトランスジェンダリズムであって、トランスジェンダーの人々ではない。トランスジェンダリズムを批判すること自体がトランス差別であって、社会的に排除すべきだとする考え方(これこそトランスジェンダリズムであり、私が強く反対する理由の一つでもある)は、思想の多様性や思想信条の自由を全面的に否定する全体主義であり、科学的社会主義の理念にも、近代的な自由と民主主義の理念にも根本的に反するものであることを指摘しておく(*2)。

1、理解増進法案をめぐる攻防と3つの立場

 この最初の節では、理解増進法の成立の過程を簡単に振り返りつつ、それに対する3つの主要な立場の存在を確認しておく。

  理解増進法の成立に至る過程
 2015年、LGBTの権利保護に関する何らかの全国的な理念法が日本でも必要であるという認識が与野党に共有された結果、与野党を含む超党派の「LGBTに関する課題を考える議員連盟」(略称、LGBT議連)が設立された。そして、2020年の東京オリンピック開催に間に合うよう(結局、新型コロナパンデミックのせいで2021年に延期)、法案作成が進められたが、与党と野党との間では意見の隔たりは大きかった。野党は、差別の法的禁止を主眼とするLGBT差別解消法案を独自に作成し、自民党は、差別の法的禁止は危険であるという認識から、差別禁止ではなく理解の増進を主眼とする独自のLGBT理解増進法案を作成した。

 この2つの法案は内容的にかなり隔たったものであったが、自民原案の理解増進法案がLGBT議連での協議と修正を経て、結局、与野党共同案になった。これは議員立法であり、通常、議員立法は、与野党間の協議と合意を経たうえで、国会に共同で提出されて、可決成立するので、今回もその手続きが踏襲されたわけだ。与野党協議での修正の基本的なポイントは、当初の自民党案では、既成の法律である性同一性障害特例法で用いられていた「性同一性」という言葉を用いていたのが、野党からの要望でそれが「性自認」という用語に置き換えられたこと、および、「性的指向及び性自認を理由とする差別は許されない」という文言が入ったことである。この2つのポイントはその後も論争の焦点であり続ける。

 普通は、超党派の議連で合意された法案は、形式的に各党で承認されたうえで国会に共同提出され、シャンシャンで通るはずだった。しかし、今回のLGBT理解増進法案の内容が世間に広まると、すでに諸外国の経験を通じてセルフID(本人の自認だけで性別が特定され、それが法や諸制度の運用ルールになるシステム)の危険性を知るようになった市井の女性たち(その多くはもともとリベラル派ないし左派の人々である)からの広範な反発が起きるととともに、自民党の保守派からも強い慎重論が生じ、自民党内での承認はなかなか得られなかった。2021年に延期された東京オリンピックの開催が迫る中、国会の最終盤までもつれにもつれ、最終的に三役預かりとなったが、結局、時間的制約もあって、国会には提出されずに終わった。

 その後、同法案はしばらく棚上げされていたが、2023年2月における首相秘書官の同性愛差別発言をきっかけに、2023年5月のG7広島サミットに向けて改めて理解増進法案を成立させるという岸田政権の意思表明によって、事態が大きく動き出した。しかし、2021年の時よりもいっそうトランス問題に対する人々の理解は進んでおり、それに応じて同法案に対する批判と反発も大きかったので、2021年の時よりも激しい攻防が自民党内でも国内でも展開された。しかし、理解増進法を通常国会中に何としてでも可決成立させるという岸田政権の意志は固く、広島サミットの開催には間に合わなかったとはいえ、2023年6月に最終的に何度かの修正を経て可決成立するに至る。

 この攻防においても主に論争になったポイントは2つである。1つは与野党協議で入れられた「性自認」という用語をめぐる問題、もう1つは、「差別は許されない」という趣旨の文言をめぐる問題である。「性自認」という言葉はまず、自民党原案で用いられていた「性同一性」に戻されたが、結局、日本維新の会と国民民主党が最終盤で提案した「ジェンダーアイデンティティ」というカタカナ語が採用された。日本の法律で「ジェンダーアイデンティティ」のような、日本語としてまったく定着していないカタカナ語が用いられるのは異例中の異例のことであり、何としてでも野党の一部を取り込んで今国会中に成立させたいという岸田政権の決意の結果として、このような妥協がなされた。

 次に、「差別は許されない」という表現が「差別はあってはならない」というより曖昧な言い方に変えられるとともに、それが悪用されることを防ぐために「不当な差別」というように「不当な」という限定を付された。さらに、第12条が新たに新設され、「この法律に定める措置の実施等に当たっては、性的指向又はジェンダーアイデンティティにかかわらず、全ての国民が安心して生活することができることとなるよう、留意するものとする」という留意事項が入れられた。これも基本的に、日本維新の会と国民民主党の提案に基づくものであり、市井の女性たちの強い反発の声に配慮したものであった。

 その他、自民党内の保守派からの同意を取り付けるために、さらにいくつかの修正がなされた。1、第6条2の、教育現場における啓発活動に関して、「家庭および地域住民その他の関係者の協力を得つつ行う」という文言が加えられたこと。2、第10条の、啓発の取り組みの事例として列挙されているもののうち、「民間の団体等の自発的な活動の促進」が削除されたこと、3、第12条の留意事項に、「政府は、その運用に必要な指針を策定するものとする」との文言が盛り込まれたことである。

 これらの修正は全体として、世論と自民内保守派の強い反発に配慮したものであり、一定の評価を与えることができるが(後述するように、左派・リベラル派は総じてこれらを改悪とみなしている)、後述するように、それでもなお難点があった。


理解増進法に対する主な3つの立場
 さまざまな修正のうえ可決成立したこの新しい理解増進法に対しては、主に3つの立場が存在する。

 1つ目の立場は、与党である自民党・公明党と、最終的に理解増進法案の修正を通じて同法案に合意するに至った国民民主党と日本維新の会の立場、すなわち国会内の多数派の立場であり、また左右の軸で見れば、右派・保守派の中の多数派の立場である。

 2つ目の立場は、同法を、2021年の与野党合意案よりも致命的に後退しており、理解増進法ではなく無理解増進法だ、それどころか差別増進法になったとして強固に反対するリベラル野党と主流のLGBT団体や人権団体、その他のリベラル系知識人・メディアの立場であり、左右の軸で見れば、左派・リベラル派の中の多数派の立場である。

 3つ目の立場は、最終的に可決された理解増進法を、与野党合意案に比べていくつかの点で改善されたが、それでもなお、「ジェンダーアイデンティティ」が保護対象として法律に入ることで、女性の人権と安全に対して脅威になりうるなどの観点から、同法に反対した少数派の女性団体、少数派のLGBT団体、組織されていない無名の女性たちの立場である。一部の右派系議員や右派系世論もいくつかの点でこの第3の立場と重なっている。とはいえ、この3つ目の立場の主たる部分はノンエリートの市井の女性たちであり、これらの女性たちのほとんどはもともと左派、リベラル派である。したがって、この3つ目の立場には、左右の軸で見れば、左派の中の少数派と右派の中の少数派が属していると言える。

 つまり、全体として左右の軸で見れば、右派の多数派が1つ目の立場、左派の多数派が2つ目の立場、そして両派の少数派が3つ目の立場であると大雑把に整理することができるだろう。しかし、この分類は、あくまでも既存の左右の軸にもとづいた整理にすぎず、トランスジェンダリズムをめぐる本来の対立軸は左右ではなく、上下であると私は考えているが、その点について本稿の最後に述べる。


なぜ市井の女性たちは理解増進法に反対したか
 ここで、3つ目の立場についてもう少し詳しく述べておこう。すでに述べたように、理解増進法をめぐる主要な争点は「ジェンダーアイデンティティ」を無条件の保護対象としていることと、「性的指向及びジェンダーアイデンティティを理由とする不当な差別はあってはならない」という文言をめぐってであった。これに加えて、最終盤で加えられた第12条の「国民が安心して生活できるよう留意する」という条項が新たに先鋭な争点となった。それぞれについて見ていこう。

 LGBT理解増進法案をめぐる修正の過程から明らかなように、「ジェンダーアイデンティティ」は、自民党原案における「性同一性」、野党案および最初の与野党合意案における「性自認」の言いかえであった。維新の会と国民民主党は、「性同一性」と「性自認」のどちらの文言を採用しても、与野党間の対立をあおることになると考え、いわば苦肉の策として極めて異例にも、なじみのない外来語である「ジェンダーアイデンティティ」を採用したのである。だが、この言葉は日本語としてまったく定着しておらず、結局、議論や地方の条例等では活動家用語である「性自認」が使われ続けることになるだろう。

 「性自認」は、客観的な持続的状態を想起しやすい「性同一性」よりもはるかに主観的で、はるかに自称に近いニュアンスを持っている。トランス活動家たちは、用語そのものを客観的なものから主観的なものへと微妙にずらしつつ、なお「性同一性」という言葉がもともと持っていた客観性のニュアンスを維持する戦術を取っている。これによって、医師の診断を必要とする性同一性障害の当事者だけでなく、単なる自称だけで成り立つトランスジェンダーをも包含して、いっしょに保護対象にしつつ、世間に対しては、トランスは単なる自称でも主観でもなく、本当に苦しんでいる人を救うためなのだという体裁をとることもできるようになった。折り紙の帆掛け船のように、船(性同一性障害)をつかんでいると思ったら、帆(トランスジェンダー)をつかんでおり、帆をつかんでいると思ったら船をつかんでいるようにしたのである。

 「ジェンダーアイデンティティ」という言葉はこのような曖昧な解釈を許すのであり、それを、性的指向といっしょに並べて、無条件に保護の対象とすることは極めて危険なことである。それゆえ市井の女性たちは、理解増進法案から「ジェンダーアイデンティティ」を除くか、あるいはせめて客観的な医学用語に近いニュアンスを持つ「性同一性」に戻すよう求めたのである(*3)。

 第2の争点である「不当な差別はあってはならない」について見てみよう。すでに述べたように、与党内および野党との調整の過程で「不当な」という一句が入ったことで多少ましになった。リベラル野党やリベラル・メディアは「正当な差別があるという意味か!」と怒りを露わにしたが、まったくもって言葉尻を捕らえるものだ。人々の処遇に差を設けるという意味での「差別」には、明らかに不当なものもあれば、それほど不当でないものもある。特定のマイノリティを優遇する積極的差別是正措置は、不当でない差別的取り扱いの好例である。

 問題はそんなところにあるのではなく、すでに現実に、差別でも何でもない発言や行為が、トランス活動家やそのアライたちによってさんざん「トランス差別」「トランスヘイト」とされ、攻撃されてきたという実態があることが真の問題である。「ペニスを持った男性は女性トイレに入るべきではない」という当然の主張までも、悪質なトランス差別発言とみなされたり、「人間はクマノミと違って性転換できない」「性別は男性と女性の2つしかなく、いわゆるDSD(性分化疾患)も男女の中間でもなければ第3の性別でもなく、男性か女性かのどちらかだ」という科学的主張も、トランスの人を傷つける差別発言とみなされてきたのである。だからこそ、法の拡大解釈や濫用の可能性をできるだけ排除するような文言にするのは、法案の提案者の当然の責務である。リベラル野党やリベラル・メディアは、与党が提案する法案に対しては、ありとあらゆる濫用や拡大解釈の可能性を指摘して、反対論を展開してきたにもかかわらず、自分たちにとって都合のいい曖昧な文言であれば、その曖昧さの度合いを減らすことにさえ猛然と反対するのである。

 話を戻すと、「不当な」という限定が加わったことで多少の改善が見られたが、それでも「ジェンダーアイデンティティを理由とする差別」とは具体的に何であるのかが明確になっておらず、トランス活動家とそのアライたちによる横暴にお墨付きを与えかねないという懸念が最後まで払拭できなかったので、市井の女性たちは反対せざるをえなかったのである。

 最後に第3の争点だが、トランス活動家とリベラル野党は、第12条の「国民の安心への留意」という文言に特に激しくかみつき、マイノリティの権利を保護するための法律なのに、マジョリティの安心に配慮しなければならないのかと批判した。「誰ひとり取り残さない」とか「すべての差別に反対する」というスローガンをさんざん言ってきたリベラル派が、突然、マジョリティを切り捨てる先鋭な反差別論を唱え始めたのである。だが、文言の上では「国民」だが、そこで主として念頭に置かれていたのは、市井の女性たちと子供たちであるのは明らかである。女性と子供はマジョリティか? もちろん数的には多い。しかし、男女間の――あるいは成人・子供間の――権力差や体格差を考慮に入れるならば、女性も子供もマジョリティとはとうてい言えないし、むしろマイノリティである。法案修正側が左派の用語にもっと通じていたならば、「女性を含む他のマイノリティの権利を侵害しないように留意する」というような文言にしたかもしれない。実際、市井の女性たちは、「法律の運用に当たっては、女性と子供の権利と安全に最大限配慮する」という文言を入れるよう求めていたのである(*4) 。

 市井の女性たちの強い反対にもかかわらず、結局、理解増進法案は、与党と維新の会および国民民主党の賛成多数で可決された。しかし、彼女たちの努力はけっして無駄ではなかった。理解増進法案は2021年の与野党合意案よりもはるかにまともなものになったからである。しかし、それでもその欠陥は完全にはなくなっておらず、同法が悪用されたり、あるいは同法の趣旨に反した動きが地方自治体などで起こらないよう今後とも注意を怠らないようにする必要がある。

2、日本における性差別の現状と性別をトランスすることの意味

 この節では、日本の深刻な性差別の現状を簡単に振り返り、女性の権利と尊厳がまともに顧みられていない日本の状況について概括する。そうした女性の極めて低い地位のもとで、性別をトランス(移行)すること、とりわけ抑圧的で支配的な性別集団である男性から、抑圧され差別されている側の性別集団である女性にトランスすることが具体的にどのような意味を持ちうるかを論じる。


日本における性差別の現状
 よく言われるように、毎年、世界経済フォーラム(WEF)が公表しているジェンダーギャップ指数において、日本は先進国の中で最低ランクであり、しかも、ほぼ毎年、その順位を下げている。2006年は80位だったのが、2009年に101位となり、2020年に121位、そして、最新のジェンダーギャップ2023において、日本の順位は世界146ヵ国中125位であり、過去最低の数字となった。これはとくに国会議員に占める女性議員の数の少なさ(衆議院において1割強にすぎず、これは戦後最初の民主的な衆院選挙での数字とほとんど変わらない)や女性の首相経験者がいないことなどによる政治的スコアの低さ(146ヵ国中138位)、男女の賃金格差が大きいこと(正社員にかぎっても、日本の女性労働者の平均賃金は男性労働者の平均賃金の75%にすぎず、非正規労働者を含めるなら、55%、つまり半分強に過ぎない)や管理職に占める女性割合の低さ(平均で15%弱)による経済的スコアの低さ(146ヵ国中123位)によっている。日本の順位が年々下がっていることからしても、日本が必ずしもずっと超下位に低迷し続けた国というわけではなく、この20~30年間ほどの各国政府の意識的努力に比して、日本政府の努力が決定的に足りずに、その順位を下げ続けた結果、現在のような圧倒的に下位の国になったと言える。

 もちろんその最大の責任は、与党である自民党と公明党にある。しかし、野党の側も、自党の候補者や幹部に女性を積極的に登用する姿勢を見せるようになったのはごく最近のことである。また形式的に女性幹部や女性議員がそれなりにいる場合でも、実権は男性幹部や男性議員に握られている場合がほとんどであり、政党レベルでさえ男女平等を真に達成したと言える党はいまだ存在しない。

 また、日本には性差別を包括的に禁止する法律はなく(憲法では性別による差別は禁止されており、また職場での差別を禁ずる機会均等法や、理念法としての男女共同参画法はあるが)、クォーター制を含めた、議員に占める女性の割合を意識的に高めるための制度も存在しない。

 性暴力をめぐる状況も深刻である。最近、ジャニーズ事務所において何十年も前からジャーニー喜多川による未成年男性への性暴力が蔓延していたことが多くの被害当事者の証言と告発によって暴露され、社会的な大問題になっているが、アイドル志望の、未成年を含む若い女性たちへの、プロデューサーや大物タレント、芸能会社の幹部などによる性暴力はそれこそ日常茶飯事のこととして起こってきたにもかかわらず、それへの告発と実態暴露はほとんどなされていない。

 この問題はもちろん芸能界に限定されない。多くの企業や学校などでセクハラや性暴力が蔓延していることは周知のことであるが、その防止策や被害者支援の仕組みははなはだ不十分である。文部科学省によると、2021年にわいせつ行為やセクハラで懲戒や訓告などの処分を受けた公立の小中高校などの教師は、215人にのぼる。前年比14人増で、9年連続で200人を上回っている。最近では塾の講師が児童生徒の盗撮をしていた事件が発覚している。

 また、日本は世界に冠たる痴漢大国であるとともに、漫画アニメを含むポルノ大国でもある。アダルトビデオの制作現場における強要被害や意に反する公開・配信、盗撮などに関しては、不十分ながらも2022年に「AV出演被害防止・救済法」が成立したが、それまではほぼ制作現場での強要被害は野放しであった。しかし、この法律が成立した後も、膨大なアダルトビデオは制作され続けており、それによる広範な被害(流通被害や消費被害、社会的被害など)は今日なお野放し状態である。制作現場でも、あからさまな強要行為は禁止されたとはいえ、被害者の形式的な「同意」を巧みに調達したり操作したりすることで、多くの被害者が生み出され続けている。たとえ出演者が「同意」していたとしても、膣性交、肛門性交、フェラチオ、縛り、強姦や痴漢行為などの性犯罪の模倣、等々を伴うAV撮影は出演者への虐待であるとともに、女性全体に対する暴力である。犬猫に対してそのような行為を行なうビデオがあったとしたら、誰もがそれは動物虐待だと言って指弾するだろう。だがそれが女性にされている場合には、表現の自由として擁護されるのである。今日でも女性が人間扱いをされていないのは、明らかである。

 ポルノだけでなく、性売買の現状も深刻である。日本には1956年に成立した売春防止法があり、さらに2022年には「困難を抱える女性支援法」が成立したが(施行は2024年から)、売春防止法で禁止されているのは直接の性行為を伴う狭義の売買春だけであり(ただし処罰なし)、いわゆる性交類似行為を伴う性売買は法律で明示的に禁止されておらず、その逆に「風俗営業の規制及び適正化に関する法律」(風営法)によって管理・規制の対象とされている(ただし売春防止法のおかげで、そうした性産業も正式には正当化されてはいないので、職業安定法や労働派遣法における「有害業務」として位置づけられている)。しかし、この「性交類似行為」という名目のもとで実際には、挿入を伴う性行為もなされている場合が多く、そのことはほとんど公然の秘密となっている。またポルノ撮影における挿入を伴う性行為は結局、当事者団体から強い要望があったにもかかわらず、「AV出演被害防止・救済法」でも禁止の対象とされず、この面でも実質的な売買春が容認されている現状にある。

 そうした中で、多くの男性は、性交類似行為を買うことを含めた広義の買春を当然視するようになっており、とりわけ企業や作業場などの職場、大学のクラブ、消防団のような、男性が多数ないし支配的位置を占める閉鎖的空間においては、先輩後輩、上司部下、同僚同士などが集団で買春するという文化がかなり蔓延している(*5)。

 またこの20~30年ほど、日本の経済は低迷しつづけ、実質賃金は下がり続け、非正規雇用は増えつづけている。こうした経済状況の中で最もしわ寄せがきているのは、シングルの女性世帯、とりわけシングルマザーの世帯である。女性の賃金は正規であっても低すぎて「健康で文化的な」生活が維持できない水準だが、女性労働者の約半数は非正規労働者であり(女性労働者に占める非正規雇用の割合は48.5%で、男性の約3倍。非正規雇用の約7割は女性)、非正規労働者の賃金水準は基本的に最低賃金レベルであり、自立した生活を不可能にしている。こうした女性の貧困そのものが性差別の現われであるとともに、女性を性産業へと誘導する最も大きな要因にもなっている。


深刻な性差別を放置した中でのトランス問題
 このように、性差別がほとんどないしまったく解消されていないもとで、むしろそれがますます深刻化しているもとで、女性の権利や利益と衝突する可能性の高いトランスジェンダーの「権利保護」(実際に権利保護になっているかどうかは別にして)が一方的に進められつつある現状に、多くの女性が危機感を抱いているのは当然である。すでに述べたように、こうした性差別の放置に対して第一の責任を負うべきはもちろん、与党であり、あるいは財界である。しかし、野党の側も、性別による差別を禁止する法律を制定することよりも、性自認による差別を禁止することによほど熱心であり、ここにも日本の性差別の深刻さがうかがえる。

 すでに述べたように、トランスジェンダーとは、客観的かつ現実に属している属性とは別の属性にトランスすることをアイデンティティにしているのであり、社会的にも身体的にも強者で、歴史的に差別し抑圧する側であった集団に属する者(男性)が、社会的にも身体的にも脆弱で、歴史的に差別され抑圧されてきた集団(女性)にトランスする場合には、当然、多くの深刻な問題を引き起こす。

 本稿の「はじめに」で、このトランスという行為が持つ政治的問題を浮き彫りにするために、白人として生まれた者が「黒人」にトランスする場合を例に挙げたが、この例はしかし、事例としては実は不十分である。たしかに、白人は社会的に強者に属し、歴史的に黒人を差別し抑圧する側であり、黒人は社会的に弱者に属し、歴史的に白人によって差別され抑圧される側であった。したがって、この「差別-被差別」「抑圧-被抑圧」という政治的階層関係をトランスするという行為の持つ危険性と暴力性とは、この人種の例によって明瞭になる(といっても、トランスジェンダリズムに思考が乗っ取られている人には、まったく通じないのだが)。しかし、身体的な面から見ると、白人と黒人との間に何らかの有利不利の差があるとは言えない。しかし、男女に関しては違う。歴史的・社会的に男性が強者に、女性が弱者に属しているというだけでなく、身体的にも明確に男女間に格差が存在するのであり、女性は身体面からしても男性よりはるかに不利で脆弱な地位にある。そして性暴力の多くは何よりもこの身体差に基づいて起こるのであり、女性だと称して女性スペースに入ってこようとする男性に一般の女性たちが強い不安と警戒心を持つのは、ごく当然のことである。これを「トランス差別」とみなすのは、女性差別に完全に無関心であるか、あるいは骨の髄までミソジニーを内面化した人間だけである。

 したがって、実際には、白人が「黒人」にトランスする場合よりも、はるかに、男性が「女性」にトランスする場合の方が、トランスされる側の権利や利益の侵害という問題は深刻なのである。にもかかわらず、リベラル派や左派は、人種のトランスをけっして認めようとしないにもかかわらず、性別のトランスだけは安直に認めようとするだけでなく、信じがたいほど熱心に推し進めようとしている。そして、それに抵抗する女性たちに対して、差別者、トランスヘイター、トランスフォーブ、宗教右派ないし統一協会だのという、許しがたい誹謗中傷を平然と加えている。これは性差別の深刻さ、それがいかに人々の意識の中に当然の前提として刷り込まれているかを改めて示している(この点については本稿の最後で再論する)。

3、司法の動向

 これまで、政治や法律の動向について詳しく見てきたが、司法の動向にも大きな注意が必要である。司法はある程度まで、社会全体の意識水準のバロメーターであるとともに、しばしば、政治の側の思惑や世論の平均的な意識水準を超えて、事態を先導する役割も果たすからである。


夫婦別姓判決と経産省トイレ判決
 まず最初に、女性差別とトランス問題にそれぞれ関わる2つの最高裁判決を比較したい。1つは女性差別に関する最高裁判決である夫婦別姓問題の判決と、もう1つはトランス問題に関する最高裁判決である経産省トイレ訴訟の判決である。

 周知のように、日本では戦後の民法改革で、婚姻後の夫婦の姓は、男女どちらでも選べるようになった。戦前は家制度の下で、夫婦は「家(イエ)」の戸籍名(男性の家に女性が入る形で婚姻が成立するので、結局は男の姓)を名乗ることが法律で定められていた。それが、戦後改革の一つとして、家制度が解体され、男の側の既存の「家」の戸籍に女性が入る(これが本来の「入籍」の意味)のではなく、夫婦は別の戸籍を新たに作り、そこに夫婦が共に入ることになった。その新しい戸籍の名は、夫婦のどちらの姓を選んでもいいことになった。しかし、戦前以来の風習(結婚したら夫の戸籍名を名乗る)が厳然と残っていたため、また男女間の差別意識の存在ゆえに、婚姻した夫婦の95%以上が夫の姓を名乗る状況が戦後ずっと続いており、それは今日でも変わらない。これは実は戦前とほぼ同じ水準である。法律による強制がなくなったにもかかわらず、結果として、強制されていた時期と同じ水準で夫の姓が戸籍名になっているのである。これは、日本における性差別の頑強さの明白な証拠と言えるし、法的・形式的平等の限界を端的に示すものだろう。

 こうした中で、選択的夫婦別姓を求める運動が1970年代ごろから起こり始め、その後、夫婦同姓を定めた民法および戸籍法の規定(といっても、民法にも戸籍法にも明示的に夫婦同氏ないし同姓を定めた規定はない)は憲法違反だとの訴えが各地で起こされた。しかし、2015年に最高裁大法廷において改めて、夫婦同姓を定めた民法の規定は合憲であるとの判断が下された。その根拠は、形式的に夫婦どちらの姓も選べるようになっているという形式的平等論、家族の一体性の意義の強調、夫婦であることが外部的に確認できるメリットなど、いずれも実質的な女性差別を正当化する論拠としては、はなはだ脆弱なものであった。

 通常、憲法論においては、憲法14条に定められた、人種や性別に基づく差別の禁止規定に違背する(あるいはそう見える)法的規定を正当化するためには、どうしてもやむにやまれぬ事情が必要であるとされている。しかし、そのような事情は何一つ提示されず、便宜さなどのまったく2次的、3次的根拠が示されただけであった。どの国でも人口の50%以上を占める最大のマイノリティである女性の権利と平等に関わる問題では、日本の最高裁はきわめて冷淡な判断を下したわけである。

 他方、トランス問題に対してはどうか? 最近、経済産業省の「トランス女性」(ペニスを完全に保持し、戸籍上も男性)の、職場での女子トイレ使用をめぐって、最高裁の判決があったが(2023年7月11日)、その中で、経産省側の女子トイレの使用制限(職場と同じ階のトイレを使用するのではなく2階以上離された女子トイレの使用を認めていたこと)を、管理責任者(経産省および人事院)の裁量範囲を超えて違憲であるとして、上告人である「トランス女性」の主張を認めた。

 こうした判断の理由として、性衝動に基づく性暴力の可能性が低いという医師の診断を上告人が受けていること、これまで2階以上離れた階の女子トイレを使っていたがトラブルがなかったこと、上告人が職場と同じ階の女性トイレを使用することについて等の説明会を開いたが、明確な異を唱えた女性職員はいなかったこと、などが挙げられている。

 しかし、上告人がTwitter(現X)上にもっていたアカウント(今は削除)では、繰り返しペニスや睾丸の露骨な絵、「金玉キラキラ金曜日」などの文言が投稿され、批判的な意見を言う者に対して「夜道に気をつけろ」というような脅迫的文言も書かれていたが、裁判所がこのような投稿に注目した形跡はいっさい見られない。また、医者の前で性暴力への衝動を示す愚か者がどこにいるだろうか。トラブルを避けるために2階以上離れた女性トイレを使うように指示されていたのだから、そこでトラブルがないのは当然であり、そもそも裁判中なのだから、トラブルを回避しようとするだろう。説明会で明確に異論を唱えた女性職員がいなかったという点に関しても、匿名性が保障されていない状況下で、自分より腕力も地位も上の男性の同僚に対してはっきりといやだと言うのは、はなはだ困難だったろう(*6)。

 さらに、今回の判決文に付された裁判官の補足意見において、女性の側が抱く「性的羞恥心や性的不安」は「感覚的・抽象的」であると決めつけられて否定されているのに対して(*7)、トランスジェンダーの人(MtF)が意に反して男性トイレを使うことに対しては、その「精神的苦痛を想像すれば明らかであろう」と無条件に肯定されている。女性が感じる苦痛は頭から否定され、男性が受ける苦痛には強い共感と同情が示されているわけである。ここにも、女性は男性(「トランス女性」)に対して譲歩して当然だとする見方が示されている。


  特例法の手術要件をめぐる司法の動向
 現在、リベラル野党のすべてと与党の一部、そして多くの人権団体や弁護士団体、多くのリベラル系知識人が、性同一性障害特例法の手術要件などの諸要件を大幅に緩和し、事実上、本人の申請と簡易の診断書だけで性別変更(トランス)できるようにすることを求めている。この手術要件が撤廃されれば、ペニスがある「法的女性」がこの日本でも誕生しうることになる。これが一般女性にとって深刻な不安と懸念の対象であるのは言うまでもないし、すでにそうした事態が先行している諸外国では、女子刑務所や女性シェルターに収容された「トランス女性」によって、他の収容女性がレイプされる事態が少なからず起こっている

 そして、この問題に関して、今年、最高裁大法廷が開催されることになった。未手術でペニスを保持している西日本在住の男性が、家庭裁判所で性別の変更を求めたが、性同一性障害特例法の第3条で定められた「生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること」という要件を満たしていないとして却下され、高裁でも同じ判断が下された。申立人はこれを不服とし、特例法の規定は憲法の第13条と14条に反するとして、最高裁に特別抗告した。2022年12月、最高裁はこの申し立てに対して審議を小法廷から大法廷を回すことを決定した。過去にすでに最高裁は特例法の規定を合憲であるとの判断を下している(2019年)。それにもかかわらず、改めて大法廷を開くのは、通常、過去の判例を変える場合であると見られているので、今回も、過去の合憲判断を覆して、特例法の規定の一部に対して抗告人側の言い分を認めて違憲判決を下すのではないかと見られている。

 そして、本年9月27日に最初の弁論が開かれた。これは大きな注目を集めたので、賛成派・反対派合わせて約140名もの人々が詰めかけた。この日は、原告側(抗告人側)の弁護士2名が陳述しただけで終わり、今年の末ごろに判決が下されるものと推定されている。この日の弁護士および抗告人(その日は出廷せず、前日に非公開の審問で意見陳述している)の主張を見ると、もっぱら抗告人の権利や思いが語られているだけで、手術なしに性別変更できるようになれば、どれほど女性の人権および尊厳が脅かされることになるかに関して、ただの一言も語られなかった。自分を「女性」だと称し、「女性として」暮らしていると主張し、戸籍上も「女性」として認められるべきだと言いながら、現実の女性たちの尊厳、人権、思いは最初から無視されている。現実の女性は完全に不在であり、ただ観念的な「女性」なるものだけが問題とされている。ここにも、女性の人権と尊厳に対する男性社会の完全な無関心が示されている。

 以上見たように、日本において深刻な性差別が放置されたままで、トランス問題を通じて、女性の権利と利益に反する事態が急速に進んでいることがわかる。これは日本における性差別の深刻さを改めて示すものであるとともに、この性差別をいっそう昂進させるものである。

4、左派の試金石としての女性差別

 最後にこの節では、なぜ性別のトランスだけが社会的に是認され、当然視され、法律を含む形で制度化されているのかという問題を、他のどんな差別よりも女性差別が深刻であり、左派の人々を含むすべての人に深く内面化されているという観点から論じる。


  性別と人種
 白人として生まれ育った人が「黒人」を自認して、法的にも社会的にも黒人とみなすべきだと主張すれば、ましてや、その「トランス黒人」は、黒人として生まれ育った人々よりも差別され抑圧されたマイノリティであり、黒人として生まれ育った人は「シス黒人」としての特権を持っていると主張したとすれば、それは黒人全体に対する最大限の侮辱であり、最大限の人種差別だとみなされるだろう。そして、そのような主張が法律や国家機関によって承認されるような事態になれば、おそらく暴動や内乱さえ引き起こすような大問題となるだろう。だが、女性はそういうことができる身体性を有していないし、そうすることができるよう社会化されてもいない。それゆえ、性別のトランスだけが平然とまかり通っているのであり、女性にだけ譲歩と受容が求められているのである。

 女性は(とくに左派・リベラル派の女性)、苦しんでいる男性、弱者であるマイノリティ男性に深く同情し、心から支援し、全面的に受け入れるよう社会化されている。そして、左右問わず男性の側も(とくに左派・リベラル派の男性)、女性たちがそうしたかわいそうな男性に対してそういう振る舞いをすることを当然だと考えるように社会化されている。それゆえ、男たちは(そして一部の女性たちも)、そうしようとしない女性たちに怒りを感じ、女性にあるまじき不遜で生意気な態度を取ったと感じ、彼女たちが無知で愚かで、自分たちが教育してやらなければならないと感じるのである。しかし、しばしばペニスを備えた男性が「女性」として社会的・法的に通用するようになれば、それによって尊厳を侵害され不利益をこうむるのは圧倒的に女性たちなのだから、彼女たちの抱く恐怖や不安を単に偏見と差別の所産であると考えることほど傲慢なことはない。そうした見方こそ、左派男性が内面化している女性差別意識とミソジニーの深刻さを示すものなのである。

 先に紹介した裁判官の意見や弁護士の主張にも見られるように、これらのリベラルな男性(とリベラルな女性)にとって、「トランス女性」が感じる苦しみや抱く恐怖は真の苦しみであり真の恐怖であるのに対し、女性が感じる苦しみや抱く恐怖は、弱さや不寛容、わがままの現われであり、ひいては、差別と偏見の現われなのである。

 しかし、女性たちが感じる恐怖はトランスジェンダーに対する偏見でもなければ、トランスジェンダー全体を性犯罪予備軍とみなすことでもない。「トランス女性」が男性一般と同じく、多様な人々によって構成されていることぐらい理解している。そうではなく、自認が何であるかに関わらず男性の身体を持つ人々が女性にとって恐怖の対象なのであり、警戒の対象なのだ。そういう恐怖や警戒を抱かざるをえない現在の性差別社会・性暴力社会を維持し継続させてきたのは、他ならぬわれわれ男性なのである。この問題を解決することなく、女性たちに対して一方的にその不安を克服して男性身体の持ち主を受け入れるよう求めるのは、絶対に許されない。


  性別と階級
 同時にこの問題は、実は階級の問題と深くかかわっている。なぜなら、一般にそのような性別間のトランスが制度化された場合に最も被害を受けるのは、上層階層やインテリ階層ではなく、庶民階層の普通の女性たち、あるいは貧困や暴力などがより深刻な下層の世界に住む女性たちだからである。女子刑務所でのレイプ事件はその端的な例だ。上層やインテリ階層に属する女性たちは、そもそも犯罪そのものがほとんどない平和な世界に住んでいる。普段使用するトイレはきれいで整備され、相対的に安全である。だから、彼女たちは簡単に「トランス女性は女性です」と言ってすますことができるのである。

 しかし、公衆トイレの大部分はそうではない。新宿歌舞伎町で最近できた歌舞伎町タワーのジェンダーレストイレをめぐる右往左往は、そのような最新ビルでさえ女子トイレ問題の深刻さを示したし、東京23区内でも公衆の場での女性専用トイレがどんどん減っていっている。マイノリティに配慮するという口実で女性トイレが廃止されて、多目的トイレやオールジェンダートイレにされていっているのである。NHKの首都圏ナビの記事「『女性専用トイレが無い』62% 東京23区の屋外公衆トイレで いったいなぜ?」によると、東京23区にある4000あまりの屋外公衆トイレの少なくとも6割以上で、「女性専用」トイレが設置されていないことがわかった。

 女性トイレは特権ではなく、女性たちが長年にわたる戦いを通じて勝ち取った貴重な権利である。それをいささかも減らしてはいけないし、むしろいっそう増やさなければならない。トイレ問題がこのトランス問題において話の中心になるのは、それが中下層の普通の女性たちにとって死活にかかわる問題だからである。それなしに女性の社会進出も自由な外出もままならないのだ。

 したがって、このトランス問題は、伝統的な政治的左右の対立軸でとらえるべきものではなく、むしろ上層と下層、エリートとノンエリート、特権層と庶民層という、上下の対立軸で見るべきものである。そしてこの上層・エリート層を支配しているのが、学者、弁護士、新聞記者などの特権的男性たちであり、特権的女性たちもそれに加担する形で自己の地位を維持している。

 したがって、左派がこの問題で圧倒的に市井の女性たちの声や不安を無視し、トランスジェンダーの側に寄り添ったことは、左派の人々が深く内面化している女性差別を浮き彫りにしただけでなく、左派が今では庶民階層や下層の人々の利害代表者ではなくなり、エリート層、高学歴層の利害代表者になっていることを示している 。

 しかし、世界の人口の半分以上は女性であり、その圧倒的多数は中下層の女性たちである。学者や弁護士や新聞記者や議員に属するわけではないこれら普通の女性たちの声に耳を傾け、彼女たちの信頼を勝ち取らないような左派にけっして未来はないだろう。そのことを改めて確認して、本稿を閉じたい。


2023年7月25日、9月27~30日

2023年10月3日一部修正

*注釈

*1 レズビアンとは本来、生物学的に女性であるもの同士の性愛関係のことだが、生物学的に男性でも性自認が女性である人も「女性」とみなされ、レズビアンが自認を含む「女性」同士の性愛関係だとみなされると、生物学的男性と生物学的女性との関係であっても(それは本来単なる異性愛関係だ)、前者が女性を自認していればレズビアンということになってしまう。これはレズビアンにとって死活にかかわる権利侵害になりうる。

*2 より詳しくは、私がトランス問題について書いた入門的レジュメを参照にしていただきたい。森田成也「トランス問題をどのように考えるべきか(レジュメ)」。

*3 たとえば、「NoセルフID!女性の人権と安全を求める会」の6月9日の声明「4党の国会議員のみなさまへの緊急の訴え――4党修正案の「ジェンダーアイデンティティ」を「性同一性」に再修正してください!」を参照。

*4 たとえば、NoセルフID!女性の人権と安全を求める会の6月8日の声明「LGBT理解増進法案の付帯決議に必要最小限の歯止めを入れてください」を参照。

*5 もちろんこれは日本だけの文化ではなく、ドイツ、オランダ、スイス、ベルギー、イタリア、スペイン、オーストラリア、ニュージーランドなど、狭義の売買春さえ全面的に合法化されている国でも買春は当然視されている。この問題については、ポルノ・買春問題研究会の国際情報サイトにアップされている膨大な記事を参照せよ。

*6 ジャーナリストの斎藤貴男氏が経産省幹部に取材したところによると、「周囲の女性職員は困惑している。自分の方が別のトイレに行くと言っている」「原告の職場には非正規の女性職員が多いので声を上げられるとは思えない」と答えたそうである。斎藤貴男「『経産省トイレ裁判』が残した課題――現実味を帯びる『セルフID』制度導入とLGBT先進国の混乱(リベラルによるリベラル批判 第2回)」、『文藝春秋』電子版、2023年9月26日。

*7「原判決が……『性的羞恥心や性的不安などの性的利益』という感覚的かつ抽象的な懸念を根拠に本件処遇および本件判定部分が合理的であると判断した……」(渡邉裁判官の補足意見)。


森田 成也(もりた せいや、1965年生)
マルクス経済学者。大学非常勤講師。ポルノ・買春問題研究会(APP研)の中心メンバー。著書に『資本主義と性差別――ジェンダー的公正をめざして』(青木書店)、『マルクス主義、フェミニズム、セックスワーク論――搾取と暴力に抗うために』(慶應義塾大学出版会)など多数。フェイスブック https://www.facebook.com/seiya.morita.758

https://note.com/sws_jp/n/n80af16407c2c
女性差別の観点から見たLGBT理解増進法


女性スペースを守る会

2023年10月7日 12:14

生得的生物学的女性の側に立つGCの方に、手術要件守っていただかないとセルフID進んで性同一性障害者と生得的生物学的女性双方が損する事態になりますから