経験のないことを想像するのはむずかしい
娘はずっと「がま口」のお財布やおもちゃを開けるのが苦手だった。まだ小さいから難しいよね、と思っていたけれど、本当の理由はそれだけではなかった。
それに気づいたのは、つい一昨日のこと。
家族で原宿にお出かけした週末、娘に小さなコスメバッグを買ってあげた。開くところはがま口になっていて、やっぱり「開けられない〜」と言う。「頑張って開けてみて?」としばらく見守っていると、あることに気がついた。
あれっ?
……なんか私と違う。
そうか、娘は左利きだ。
もしやと思って調べてみると、がま口は基本的に右利きを想定して作られているらしい。やっぱりそうか。左利きの娘にとっては開けにくかったのだ。(親バカではあるが、娘は手先がかなり器用な方だ。)
私は右利きだから、そんなこと思いもよらなかった。はさみやお箸はよく話題になるけれど、まさかがま口もそうだったなんて。
調べる中で、こちらのnoteも発見した。
実は娘のためにTwitterをフォローしている左ききの道具店(@hidarikiki_dogu)さん。こちらのショップを見ていると、素敵なアイテムの数々に癒やされつつ、いかに世の中のものが右利き中心に作られているかが分かる。
自分が経験したことのないことを、想像するのはむずかしい。
これは、どこまでいっても仕方のないことだ。
たとえば、私だって。
両親が離婚するまで、その後の生活がどうなるかは分からなかった。
社会人になるまで、働くってどんなものか分からなかった。
子どもが生まれるまで、母親はこんなに大変で、こんなに幸せなことも分からなかった。
相手に対して思いやりを持ちなさい、と私たちは教わる。思いやりとは、相手の身になって考えること。それには想像力が大事だと言われるけれど、やっぱり経験のない世界を想像するのはむずかしい。
だから、知ったつもりではなく「むずかしい」「わからない」ことを前提にして立つ。わからない枠の中で、どうしたら一番“わかる”に近づけるか。むずかしいなりに頭と心を使うしかない。
よく見て、聞いて、自分の魂を相手に移植するぐらいの……そんな気構えが求められる。本当にそこまでできるかは、どんな形であれ、愛があるか?だと思ったりもする。
逆に言えば、自分の知っていること、経験したことを発信することはとても意味のあることだ。発信を通して他の人がその世界を垣間見ることができる。もし誰かに“わかる”に近づいて欲しいなら、自ら発信する必要があるだろう。
ーーそんなことを、がま口に苦戦する娘の左手を見て考えてしまった。
左利きの娘と、右利きの私。
日本人の左利きの割合は約11%らしい。少数派ではあるものの、さほど珍しくもない気もするし、周りにも結構いる。昔は矯正すべきものだったけれど、最近では矯正しない親も多く、左利き対応のものも増えていると聞く。
それでも、私には分からない不便さを感じることもあるだろう。私は娘の世界を、どこまで想像できるかな。少なくとも、その世界をできるだけわかりたいという愛だけは持っている。
それでは、また明日。
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