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誰かの心に届く文章を考える

私がいつも愛読している、WWD JAPANのメールマガジン「Editors' Letter」。今朝の配信に、以下のような印象的なフレーズがあった。

共感できてもできなくても、強い思いは引っかかる。逆を言えば、強い思いがなければ引っかからずにスルーしちゃう。若いうちから、それを知り、その「覚悟」を持つことは、将来を大きく変える上で大事なコトです。

引用:Editors' Letter/FROM OUR INDUSTRY
「子どもの頃に『覚悟』を身につけられたら」(20.8.31配信)

強い思いは引っかかる――これは本当にそうだと思う。

文章においても同じことが言える。強い思いが込められた文章は、心にぐっと迫るものがあるし、プラスにもマイナスにも、自然と感情を掻き立てられてしまう。

仮に自分のnoteで例を挙げるとするなら、この話。

今年の2月末に書いたnote。半年経った今でもわりと読まれていて、共感とともにTwitterでシェアしてもらうことが多い。

SEO記事でもなんでもなく、ただ私の考えと思考の整理を記した文章。けれど、多くの人に届き、読後わざわざ紹介してくれている。感謝。

実はこのnoteには、一部で(間接的に)否定的な意見もあり、意外と凹んだりもした。何かを発信することには賛否がつきものだけれど、やっぱり気にしてしまうのも本音……

けれど、読み返してもこれが私。自分のスタンスをきちんと強く表明できた文章の一つだと思っていて、その気持ちに変わりはない。

人の心に届く文章とは何か?

その答えの一つは、「熱量のある文章」だと思う。テクニックや文章力ではなく、エネルギーのこもった文章は、読んでいて伝わるものだ。

それはいわゆる「心を込めて書く」とはまた違った類のもの。書き手の熱量は、文章に簡単に表れると思っている。

ただし、そういう文章を書くのはとても疲労を伴う。湧き上がる感情を切り出すようなものだし、そうそう書けるものでもない。

そして「自己開示」も必要だろう。自分の心の内や、生き様みたいなものを世に出す覚悟。

……というとかなりオーバーかもしれないけれど、私がこれまで心を動かされた文章は、派手にも地味にも、根底にはこういう自己開示の精神があると感じてきた。

私にはまだ中途半端なところがあるから(自覚している)、やっぱり“機能的”な文章を好んで書いてしまう。

それはそれで一つの文章の役割だし、間違いではない。ただこの先も文章を書き続けていくならば、このあたりの壁を越えられるかは大きい気がする。

一方で、誰かに届く文章を意図して書くのはおこがましいという思いもある。読み手の感情は、読み手が決めるもの。けれど、そこに少しでもアプローチできるなら……と考えるのも、また真っ当な感情かもしれない。

それでは、また明日。



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