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noteをどう書くか。文体は思考に直結する

note毎日更新、今日で10日目。

noteを書き始めるにあたって、実ははじめに悩んだことがあった。「です・ます」調で書くのか、「だ・である」調で書くのか、という点である。

ブログでは「です・ます」調を使っていた(現在はクローズ)。それは、来てくださった方に情報を提供する、丁寧に説明する、という立場において、「です・ます」調のほうがふさわしいと思ったからだ。というか、自然とそうしていた。

Twitterでは、どちらも使っている。例えば、今年の2月からほぼ毎日続けている「#早起きチャレンジ」の朝ツイートでは、必ず「です・ます」調を使う。でも、ふとしたつぶやきや思い、考えをツイートする時は「だ・である」調を使う。

誰かへのメッセージを届けるという意識が強い時は「です・ます」調。自分の頭の中を言語化する時は「だ・である」調。いつの間にか、そういった境界線(マイルール)が自分の中にあったらしい。


では、noteはどうか。

書き始める前に、他の人はどうしているのか、いろんな人の文章をのぞいてみた。当たり前だけど、文体はみんなそれぞれだった。

友達に喋るように書く人もいれば、報告のように記録する人もいるし、自分の中を深く掘り下げて綴る人、セミナーのように語る人、独自の世界観を表現する人、ほぼ箇条書きの人も。文章ってやっぱり、人が出る。

noteはシンプルな場の提供であり、型らしい型もないようだった。そうすると結局、自分はnoteをどう書いていきたいのか、それ次第だなと感じた。


私がnoteを始めようと思った理由はいくつかある。なかでも「よいインプットのために、一度頭の中を全部アウトプットしたい」「“おりこうさん”な文章ではなく、思うがままに書いてみたい」という理由が大きかった。

つまり、自分の外側に向けたメッセージよりも、自分の内側に目を向けた文章。ならば「だ・である」調だろう。

ということで、ようやく私はスタートラインに立てた。


まだnoteを始めて10日目。それでも、「だ・である」調で書いていると、やはり自分の内側にアクセスしやすいような、そんな感覚がある。Twitterという140文字の中では少ししか感じなかったけれど、文字数制限のないnoteでは、その影響力が大きくなるらしい。

そもそも、文章とは関係なく、ふだん頭の中で思考する時に「です・ます」調は使わない。だから、普段の思考と同じ言葉を使って書き進めれば、自分の内側とつながりやすくなるのは、当然のことなのだろう。

どんな言葉を選び、使うかで、書く内容そのものにも影響する

言葉っておもしろい。

選ぶ言葉は、その人の世界の切り取り方。どういう視点でものごとを見ているかと直結している。言葉に思考は表れる。そんなおもしろさに惹かれて、私は大学で言語学を専攻した。

noteを書くにあたって、何をどんな風に書くか、と定まらない人がいたら、私のように「文体」「使う言葉」という切り口から一歩踏み出してみるのもいいと思う。選ぶ言葉は全体のトーンをつくり、言葉を重ねるほど、それが個性になる。

私も、引き続き自分の内側に向き合い、思うように書き進めて行きたいと思う。

では、また。


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