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全ては気分次第

僕の行動は全てが気分次第。ある日は一日中映画を観る日もあれば、ふと旅に出かける日もあれば、公園で友人とキャッチボールする日もある。遊びから仕事まで全ては気分次第である。

「明日の天気は明日になってみないとわからない」ように、僕の気分も明日にならないと明日の気分はわからない。それに、同じ明日でも朝と夜では全く違う気分。気分は株価のように、常に変動しているのだ。

もちろん、全く気分がよめない訳ではない。すでに「気分屋の自分」を20年ちょっとやっている訳だから、多少の傾向はわかっている。「晴耕雨読」という言葉があるように、晴れた日は外で体を動かしたくなるし、雨の日は部屋で読書や映画鑑賞したい気分になりがちだ。

そんな僕だから、予定を組むのは得意ではない。その時にどこで何をしたい気分になるのか、わからないから。「どこで誰とどんなことをしたいのか」無数にある選択肢の中で、ピンポイントでその選択肢を選ぶ気分になるのか当てられる訳がない。

学校や会社は気分屋によって生きづらい場所だ。そこでは、第三者によって自分のスケジュールや決められており、学生や会社員は与えられた予定通りのスケジュールをこなす日々を送っている。

僕みたいな気分屋が会社員として仕事できる訳がない。「気分がのらないので、今日は会社を休みます」なんて言い訳は通用しないだろう。だから僕はいま、フリーランスとして、あんなことやこんなことをしている。

「全ては気分次第」

大まかな事業計画はあるものの、計画したのは「その時の気分」によるもの。未来の自分が計画通りの気分になっているかなんて、わからない。年初に中国語検定〇〇級を取得する!と目標を立てたとしても、年末には韓国語の参考書が本棚に並んでいるような人間だ。

周りからは「芯がない」とか「飽き性だね」と言われる。まさにその通り。だってその時の気分によるから。過去の自分との一貫性なんてどうでもいい、いまの気分に従った方が楽しいじゃん。

このnoteで公開しているエッセイも、1日で5本以上書くこともあれば、1週間以上書かないことだってある。エッセイを書きたいと思った時に書く、それだけだ。

ちなみに、僕の家族も気分屋だ。5人家族だが、みんなの気分が一致することはない。外食ひとつとっても、寿司の気分や焼肉の気分、ラーメンの気分、はたまたやっぱり家で食べたい気分の人まで、みんなバラバラ。基本的には妹たちの気分が優先されるけど。僕の家族では日常である。

僕が大笑いしている横で、妹が怒りが爆発している日もあったり。自分の気分ですら正確によめないのだから、家族の気分なんてわかりっこない。全ては気分次第。気分が天気のようにめまぐるしく変化するからこそ、変化のある日々で、楽しいものだ。




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