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【エッセイ】嫌いなことはしない。

子供の頃、わざわざ自分の嫌いなことを積極的にしただろうか。遊びに勉強にスポーツと、好きなことをやってきたはず。

嫌いなことは嫌い。イヤなことはしたくない。当たり前のこと。

誰もが思うだろう。僕の場合は、早起き、他人に自分の時間を奪われるこ、事務作業などが嫌いである。

だから大学卒業後は、フリーランスの道に進んだ。会社勤めには僕の嫌いな要素がたくさんあったから。会社に合わせて早起きもしたくないし、オフィスに通いたくないし、同僚や上司との飲み会も面倒で嫌だ。

嫌いなことはしたくない。ただそれだけのことだ。

でも、嫌いなことをしている人間があまりにも多く、僕にとっては不思議でしかない。満員電車での通勤などが代表例だろう。満員電車が嫌いなのに、会社勤めで我慢しながら通勤する人たち…。

そしていつか、嫌いが積み重なり、最悪の場合「極端な選択」をしてしまうのだ。嫌いなことはやらない方がいいのに。

年を重ねるにつれ、嫌いなことをしている人が周りに増えた気がしてならない。目の前の安定収入や社会的地位がそんなに良いものだろうか。

自分の嫌いをないがしろにしてしまうと、自分の「好き」すら見失ってしまう。昨今のトレンドである「好きなことで生きる」生き方を目指すには、ハードルが高い。

だったらまずは、嫌いなことをしない生き方こそが、「好きなことで生きる」への現実的なファーストステップだろう。僕自身、文章を書くことが好きなので、文章を書く仕事をしている。

とはいえ、一概に文章といってもジャンルはさまざま。100%好きなジャンルの文章を書けているか?と聞かれたら、自信をもってYESとは答えられない。

一方で、嫌いなことはしていないか?と聞かれたら、自信をもってYESと答えられる。いまは早起きも時間や組織に縛られない生活をしており、嫌いなことを全くしていない。

まさに、「好きなことで生きる」へのスタートラインに立っている。あとは日々の「好きの純度」を高めていくだけ。自分の好きな文章を好きな場所で、好きなように書けることを目指し、日々仕事をしている。

もちろん、好きなことにこだわる必要はない。特段、好きなことがなく立っていい。ただ、「好き」には底知れぬ強いエネルギーがある。言葉だけでは
説明のできない、自然な感情だ。

嫌いも同様、ただ「なんとなく嫌い」なことも多いだろう。まずは自分の嫌いを日常から少しずつ決していけばいい。好きなことで生きていく必要はないけれど、「脱嫌いなこと」は生きていく上で大切だと思う。

嫌いなことをしなくても、生きていけるのだ。

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