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都会と地方とコロナ

 コロナウイルスが広まってから1年以上が経過した。今年もgwは緊急事態宣言が発令し、自由に行動しにくい状況になってしまった。私は、現在都内に住んでいるが、地方出身であり、この1年で都会と地方のコロナに対する認識、考え方に大きな差があると実感している。

 都会では既に「コロナと共存」して生活することが当たり前になっている雰囲気がある。新規感染者数が報道されようと、それに慣れてしまい、人々の動きは変わらない。たとえコロナになっても仕方ないくらいの考えで、また回復したら日常に戻る。その為、都会では緊急事態宣言が発令されると都民は反対する。都民にとってコロナは最早どうでも良いからだ。オリンピックを行いたいが為に、生活を犠牲にされるのは非合理だと皆が思っている。gwに公共施設や商業施設、屋外レジャーなどが休業すれば地方に移動すれば良いと考える。「コロナと共存」が当然と考える都会人にとっては、その行動は全く疑問には思わない。

 
 しかし、地方は「コロナを排除」と考える人が多い。地方の場合、コロナの新規感染者が1桁の時もあり、コロナ感染者は未だに異質な存在といった雰囲気がある。昨年、帰省した際に、地元の新聞に県内のコロナ感染者の相関図が片面1ページに大きく書かれているのを見た時、地方でコロナに感染する事は、都会で感染するのとは比べもにならないリスクがあると肌で感じた。地方の様な村社会では、異質な人間は排除され、居場所を失う。この感覚は、地方での生活を経験してない人には恐らく伝わらない。コロナ化では、圧倒的に都会の方が生活しやすい。この状況でも、都会では自由に行動出来る。都会にいれば疑問には思わないが、地方と比べると異様な光景だ。今回の様に、オリンピックをしたい為に、gwに緊急事態宣言を発令し、都会で「コロナを排除」のパフォーマンスをしたところで、都会人には何も響かない。そして、人々は地方に移動し、地方の状況が悪化する。まさに負の連鎖だ。

 コロナが流行し、都会人と地方の考え方乖離が浮き彫りになり、ますます地方の村社会の生きにくさを実感している。地方移住を夢見る都会人は多くいるが、都会で生まれ育った人の多くは地方に馴染めないのではないか。元々、都会と地方の違いを理解していれば、ギャップは少ないと思うが、地方は同質性と協調性が何よりも重要なスキルで、多様性と独立心は排除される。もちろん、全ての地方がそうではないが、一般的な地方はこの様な考えの人が多い。テレワークが流行し、地方移住を考える人は、多少増えていると思うが、移住前に先ずは移住候補地に数ヶ月生活し、街の雰囲気を肌で感じてから移住するのがおすすめだ。

 話は変わるが、テレワークは今後もあまり普及しないと感じる。コロナから1年以上経過しても、都会の満員電車は変わらない。上の人間と平社員との考え方の乖離か、システムの問題か分からないが、テレワークできる職でテレワークをしない企業が多い状況を考えると、今後も勤務形態に変化が無い企業が多そうだ。結局、人は変化を嫌い、同質性を好むのか。世代間の考え方の違いなのか。コロナは、そうした社会問題を可視化してしまっている。

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