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劣等感と優越感って

人は、なぜ優越感や劣等感をもつのだろう?誰かと誰かを比べるというのがあまり好きではない。いや、あまりどころか・・・結構な嫌悪感がある。

この誰かと誰かを比べる行為の始まりは、何気ない小さなことだったかもしれない。でも、その小さなことが、劣等感や優越感をそれぞれの人の中に芽を作ってしまい、知らず知らずの間に成長させてしまうことになるのだろう。

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この劣等感と優越感を思う時。いつも思い出してしまう人がいる。
病院で働いていた頃、同僚の間では、対等の関係なのに若い学生たちが実習に来ると途端に豹変する人がいた。
「こんなこともできないの?」といいながら、目を吊り上げて言っている彼女を見て、別の人を見ているようだった。実習初日から学生に対して笑顔もなく、上から目線で始まってしまう。こんなこともできないの?の裏側の意味は、私は、こんなことは簡単にできるわよ、あなたたちの知らないことを私は知っているわよということなのだろう。
でも、当たり前やないかいっ!学生より長く経験させてもらっているおばちゃんなのだから。

なぜ、このようなことが起こるのか?
私は、彼女の心理が全くよくわからなくて戸惑った。
なぜなら私は、お節介な性格なので、知る限りのことを学生に少しでも多く教えてあげたいと思ったし、何よりも<看護>という仕事を面白がってほしいと思っていたから。自分が、看護の中で大切にしていることを伝えていった。私が、特別でも何でもなく、多くの人がそうなのではないかと思う。

学生たちが、病棟での実習は、相当な緊張感をもってやってきているのは、容易に想像できる。過剰な緊張感は取り除いて、本来の自分のまま、目の前の患者さんと出逢ってほしいと思った。

その彼女は、私たちには普通に接してくれている。同僚には、普通なのに、時として、患者さんに対してもやや攻撃的なところがあった。
弱者に対して優位に立ちたい傾向の人なのか。

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でもこれは、彼女に限らず世間でもよくある話だと思う。
誰かの上に立つということは、一時的におかしな高揚感のようなものがあるのだろう。自己肯定感が低いが故に自らを高めようというシステムが自分の中に出来上がっているのかもしれない。

自分を高めるのは、大切なことだと思っている。
でもきっと自分を高める方法を勘違いしているのだろう。
彼女たちもその方法のヒントさえ知っていたらもっと楽だろうなと思う。

人をズドンと落として自分を高めるという方法を選んだ場合、落とされた側の人と、それを傍観していた人から、一歩距離をおかれるだろう。「是非ともこの人と積極的に絡んでみたーい!」とはならないだろう。
結果は、自分を高めたつもりでも高まっていないのが現実。自己マンの世界でしかない。

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急に愛の話になってしまうけど、これって、多分、人を愛する云々の前に自分自身を愛せていないから、人を落として自分は凄いんだと思いたいがためにそういう手段に出て、安心したいのかもしれない。
こんな風に言っている私だって、自分を愛せているかなんて全く自信がないけど。

結局、
自分もすごくいいし、あの人もめっちゃええやん!って思えたらいいだけのような気がしてきた。




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