noteの中にいる人たち
noteの中には
実にいろんな人たちが棲んでいる街。
どんな人もそれでいいやーんと思えるそんな街。
色んな生き方や考え方の人たちが丁寧に綴っているのを見ることでそういうのもいいんじゃないかと思えてくる。
リアルな生活の中では、心の内がダダ漏れ状態で過ごしている人はそうそう居ない。でもnoteの中では結構ダダ漏れてる人を見掛ける。むしろダダ漏れてる方が親近感がわいてきて人間らしさを感じることも多い。
noteのロゴの色の優しい色のせいなのだろうか、
怒りの文章の中にもどこか品を感じ、
強い口調であっても奥に見える人間らしい暖かな光が見えたりする。
寂しい文字の中を覗いてみる。リアルな世界では、申し分ない生活を送っているはずの人が本音を吐露できる場所を見つけた安堵感も見えてくる。エゴすら正当化して堂々と呟けたりもする。
リアルな世界でも沢山の方にお会いするけどnoteの中でお会いする人たちも多様な方々で魅力的な人たちに沢山お会いしている。リアルでは中々出会えないであろう人ばかり。
私は、知らない人に話しかけるのはあまり躊躇はない。話しかけられるのも好き。リアルな世界では、話しかけられる雰囲気を感じとって話しかけてるのかもしれない。
でもnoteでは、初めて会った人でも雰囲気然り、考え方や生活の信条や育ってきた歴史や乗り越えてきた経験、勉強してきた大切なエキスまで覗かせて貰える。私は、その人が持っている〝拘り“に魅力を感じる。
自分と似た価値観を持つ人や自分に必要な情報を発信してくれている人、或いは、心から応援したい方に出会うとついつい話しかけてしまう。夜中でも早朝でもコメントしてしまう(笑)リアルな生活以上に知らない人に話しかけてると思う。突然、話しかけてもnoteの中では許されてるはず。noteというプカプカ浮いてる同じ時空にいる人たちだから。
同年代の人達の記事も好きだし、それと同じくらい若い人たちのエネルギー溢れるnoteも楽しみにしている。若い頃を思い出すこともあるけど、へー、なるほどそんな風に考えれば確かにいいねーとか、沢山のヒントとエネルギーを貰っている。
noteは、インターネットの中の世界だから手で掴んでも当然実体がない。でもその実体のあるものや目に見えるものがホンモノだと信じ込んでいたけど、いや待てよ、そうじゃないものの方が価値や意味があるんやんと。
言葉から感じた世界って自分の中で大きくなって、あとからじんわりくる。
そういう私もちょっとずつnoteに棲む人になっているのだろうか・・・。
改めて皆様、いつも素敵な記事を読ませて頂きありがとうございます💕
〜 追記 〜
皆様、沢山のスキ❤️を押してくださり有難うございます。
普段は、看護の記事が殆どで時間をかけて書いていましたが、そっちじゃなくて、米粉パンかじりながら書いたこっち?ということにも驚いています。
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