優しさのオーラを纏った青年
また1人、お客様が天国の住人となる為に旅立った。
このお客様とお話をしたのは実に短い時間だった。2回しか訪問していない。そして、その2回目に彼は旅立つことになった。
このお客様のケアを通して私は、〝優しい”と言うオーラを全身に纏ったまだ若い青年と出逢わせて頂くことになった。
ちょっとオーバーに聞こえるかもしれないけど、神さまがくれたプレゼントだったと思っている。
私に〝本当の優しさ”って作り上げるものじゃなくて、もう自然に自然に出ちゃうものなのよって教えにきてくれたのだと思う。
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そのお客様は50歳代の男性だった。
1回目の訪問時にご家族は余命数ヶ月と聞いていると仰っていた。しかし、とてもそんなに多くの時間が残されているようには見えなかった。
体のどこをみても骨の形がはっきりと見てとれ、肌は乾燥しきって、うつろな眼からは今にも消えそうな光が見えた。そして、近い将来ここから旅立つことも知っているかのように辛い痛みや息苦しさの中、私たちに気を遣って静かに微笑んでくれていた。
私たちが訪問看護することになったのは、急遽、主介護者である奥様の入院が決まった為、長男である20歳代前半の空(そら)さんが担うことになりそのサポートとしての依頼だった。
今回のお話の主人公は、この空さん!
1回目の訪問は、訪問の契約を兼ねていたのでご家族と話す時間も多かった。空さんのお母さんが中心になってお話をされた。その話の中に空さんも一緒にいた。
お客様は、まだ働き盛りの職人であった50歳代の方で、空さんのお父さん。
病気のために突然、職を失ったのに医療費は3割負担という3割の壁がまたやってきた。ご家族の不安もやはり経済的な不安が大きかった。(3割負担だと私達の訪問は、1回につき約3000円になってしまう。)
私達は、この3割の壁の時に出費を気を遣って24時間の緊急訪問の契約をしなかったことで苦い経験をしたことがあった。
今回は、この緊急訪問の契約をさせて頂いた。
24時間いつでも看護師に電話ができたり必要があれば訪問も行うという契約。とりあえず訪問回数は様子を見ながら増やすとしても緊急時に空さんからの相談を受けることができる環境を整えた。
空さんのお父さんは、診断された時には全身に転移していた状態で抗がん剤を勧められたが、拒否し続けた。抗がん剤治療を拒否したお父さんをご家族みんなでサポートしていた。お父さんは、病院とも喧嘩していたのよーとご家族は笑っていた。
「私もこの状態ならきっと選ばなかったかもしれないです」とお父さんの肩を持ち、それを支えたご家族は間違っていないと伝えたかった。それを聞いてご家族も少し安心したように見えた。
目の前に苦しそうなご家族を見るとあの時の判断が間違っていなかっただろうかと思ってしまうご家族も多いから伝えておきたかった。
初めて会った空さんだけど本当に優しい塊の人だということが言葉や振る舞いの一瞬で分かった。因みに天は二物を与えたようで爽やかなイケメンだ。
空さんのお母さんに「空さん、本当にお若いのにすごいですね」というとお母さんは、いえいえと言いながらも「実は、私もお父さんのことをここまでやってくれるとは思っていなかったんですよ。あの匂い(悪臭)がすごいからストマ(人工肛門)の処置をさせるのはさすがに申し訳ないなと思っていたんです。でも全然嫌がらずに進んでやってくれたんです。弟(次男)の方も近くで見ていることができててちょっとびっくりしています」ととても嬉しそうだった。
そう・・・空さんのお父さんは、ストマがあり、そのストマの状態が悪化していた為、排泄物とはまた違った強烈な腐敗臭のようなものがあった。相当、辛い匂いだったようだ。その処置の後は、匂いが消えず食事ができないので食事の時間は選んでいたと言われていたほどだった。
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空さんには、シュンさんという障がいのある弟さんがいた。
シュンさんは、とても純粋な方で、初めてみる慣れない私たちとも目を合わせて一生懸命お話ししてくれた。
「シュンさん、勉強頑張っていらっしゃるってお聞きしましたよ」と別の部屋に行こうとしていたシュンさんに声をかけた。
すると、振り返り、戻ってきて私の前にちょこんと座ってくれた。そして、澄んだ綺麗な目でニコッと笑って、私をしっかり捉えて、私の話を聞く体勢になってくれた。
人の話を聞く時ってこう言うのが〝傾聴”って言うんだよね!とシュンさんから教えてもらった。
凄く耳を傾けてもらっている感じがした。そして、シュンさんができるようになった作業のプロセスを1つずつ丁寧な言葉で会ったばかりの私に教えてくれた。
このプロセスをご家族と学校の先生方で支えてこられた歴史があるのだなぁと思った。そして、1つ1つこなしていく度にきっとこのご家族は一緒にシュンさんの成長を喜んでこられたのだろう。
私たちとの話も一区切りついた頃、空さんは、シュンさんに「シュン、お風呂入ってきていいよ。入っておいでー」ととても優しい声と表情で語りかけた。
それを聞いてすぐに「はい、わかりました」と言いシュンさんはにっこり笑って自分で着替えを準備して浴室へ行った。
お母さんが促すのではなくて兄である空さんがちゃんと声をかけてあげるのねーと感心した。
訪問客が居てもシュンさんのいつもの生活のリズムを崩さないようにしてあげてるのだろうなと感じた。
この兄弟の会話と雰囲気にそこにいる人の全てが癒されたと思う。
空さんにとって普通のことなんだと思うけど作った優しさとかではなく本当に自然に優しさが溢れる人っているんだなぁと思った。
指先や睫毛〜呼気に至るまでも体の全てがどこをとっても優しい細胞から成り立っているような感じがした。
そして空さんは、誰に言われることもなく、私たちにお茶を淹れてくれてそっとテーブルに置いてくれた。
一々、自然体だった・・・。
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そんな空さんのお父さんは、
鎮痛剤は飲んでいたけど全く痛みが取れていない状態だった。
お父さんの痛みからすると鎮痛剤の量も種類も全然足りていない状態だった。
どれだけ我慢していたのだろう。
それをどうすることもできずこのご家族は辛かっただろうなぁと思った。
もっと早くに関わってあげたかった。
私たちも訪問診療のDrも夕方からの訪問だった為、遅い時間からで申し訳なかったけど薬局さんにも急いで薬を準備してもらった。
そしてその日の夜から医療用の麻薬が少量から始まった。
呼吸も苦しそうで、この苦しいのが当たり前になっていたようだった。
同じ体の向きしか向けないと言われていた。
肺にも転移もしていたこともあり辛い毎日だったと思う。
呼吸の辛さに対しても大至急、在宅酸素の手配をお願いした。
寝返りもできない状態だったので褥瘡予防(床ずれ予防)も兼ねて痩せきって骨が当たる身体をエアマットで除圧できるようケアマネージャーに手配してもらい翌日には入れてもらうことができた。
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その日の夜、早速、空さんが緊急電話に電話をしてくれた。「あ、にゃむさん、今日は本当にありがとうございました。酸素ってずっとしていたほうがいいのかなぁと思ってお電話させて頂きました」と柔らかい口調で話してくれた。
「お父さんが酸素をしていることが辛そうでなければしていたほうが楽かもしれないですね。お父さん、辛そうなのかしら?」「いえ、大丈夫です」「辛そうなら外してもいいし、お父さんの呼吸の様子を見ながらと言うことにはなりますね。迷ったらいつでも電話してきてくださいね」というと安心したようだった。
医療用の麻薬も夜間の薬局に取りに行き「さっき飲ませました。今日は、本当にありがとうございました。いい人たちに来て頂き、すぐに手配もして頂き本当に安心しました」と電話口の空さんは言った。
この人達の力に少しでもなれたらと思った。
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翌日、私達は、訪問したいと思っていたが、お母さんも入院したり、エアマットの搬入などでバタバタしていることや病状が落ち着いているので訪問は大丈夫そうとのことで訪問しなかった。
エアマットを入れたら数ヶ月ぶりに反対側を向いて眠ることができたし、酸素が入り呼吸困難感も楽になり、痛みも良くなったとご家族も喜んでくれていた。
もっと早くに楽にしてあげたかったなぁ・・・。
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そして私は、次の日の午前中に訪問する予定になっていた。
しかし、その前に空さんが慌てた様子で電話をかけてきた。
「にゃむさん、父の・・・こ、呼吸が浅くなってきて・・・ど、どうしたらいいかわからなくて…」電話先で空さんが動揺して泣いているのがわかった。
空さんは、事前に話していた通り、頓服の飲み薬を指示通り正しく服用させ、酸素量も状態を見ながら少しずつアップしていたようだった。
少し離れている別のお宅に訪問にきていた私は、とにかく早く誰かが訪問できるようあちこちに電話した。Drにも電話したがDrもすぐには行けないようだった。
「とりあえず先生からご自宅にお電話してあげてください。それまでにこちらで行ける人を探します」と言うと「おう、わかったわかった、直ぐに電話してみるよ!」と言ってくれ、電話を切った。
漸く、行けるスタッフが1人見つかり先に駆けつけてもらった。
私は、その10分後に到着した。私が到着した時には空さんのお父さんの呼吸はリズムは不規則で努力様呼吸になっていた。
脈に触れると微弱だった。
もう血圧も測れなかった。
空さんは、状況を察し「お父さん・・・お父さん!戻ってきて」と力強く声をつぶして泣きながら叫んだ。
お母さんはもう入院してしまった為、たった1人で空さんに居させてしまった。
怖かったよね・・・ごめんね、ごめんねと思った。
空さんにお母さんにも電話するよう促した。
その場の空気は、もうお父さんには時間が残されていないことを空さんを含めた皆がわかっていた。
リモート電話があまりうまく繋がらず途切れ途切れの会話になったが、空さんのお母さんも状況がわかった様だった。
お母さんは、病院で処置の最中だった。
画面も止まりながらだったが、お父さんの様子と空さんの様子がわかる様にスマホで撮影しながら空さんの震える背中をさすり、お母さんに「お父さん、まだ聞こえてるから声をかけてあげてください」と伝えた。
離れていても一緒にお母さんも看取れるようにしてあげたかった。
お母さんは、電波が悪いこともあり中々こちらの声が聞き取れないようで「空、空・・・空・・・どうした?」と何度も呼んだけどお父さんに必死の空さんは「お母さん・・・もう、うるさい…どうしたじゃないよ」と泣き笑いをしながらお父さんだけを見てお父さんの手を握っていた。なんだろう…うるさいと言う時でさえ、空さんが言うと全くキツくない。
空さんは、お母さんと電話できる状況ではなかったので一旦、別の部屋で私がお母さんとお話をした。もう時間がなかった。今から帰ってきても恐らく間に合わないと思われた。
お母さんは、入院する時から覚悟を決めていたように見えた。「にゃむさん、私は帰れないけど空を支えてやって。お願いします」と気丈に言われた。「大丈夫ですよ。ちゃんと支えますからね」と伝えた。
そして、また部屋に戻った。
空さんのお父さんは、空さんと電話からのお母さんの「お父さん!」という声を聞きながらなんとか頑張って酸素を吸い込もうとしていたのもやめてしまった。
そして、もう一回呼吸をするかなと思ったけどそのまま次の呼吸をすることなく呼吸が止まった。
空さんは、さっきまでの弱々しい胸郭の動きまでもが止まってしまったお父さんの体に暫く覆い被さった。
静かに泣いていた。
沢山の想いを2人だけの空間で伝えているようだったのでそっと見守った。
そして、「なんか今朝からこんな予感がしてたんですよね。でも朝1時間くらい2人で一緒に話ができてよかったです。ありがとうございました」とちょっと無理をして笑った。
そして呼吸が止まって30分以上してからDrが漸く到着した。Drも2日前に関わったばかりなのだけどそのDrにも空さんは「先生のおかげで最期は痛みも呼吸も楽にしていただきました。本当によかったです。お世話になりました。ありがとうございます。」と言っていた。
お母さんの代わりに若い青年は立派にDrに挨拶をした。
そして、大好きなお父さんが亡くなって間もない時間なのにDrから死亡診断書などの説明も1人で聞き、その他の書類についてもちゃんとお母さんの代わりを務め、本当に立派だった。
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空さんのお父さんに初日に「今、一番心配なことは何ですか?」とお尋ねした。
数秒だけ考えて「家内の病気のことですね・・・」と乾いた口から言葉を発した。
ご自分は、がんの痛みと呼吸困難で相当辛い状況であったにも関わらず、奥様のことが一番心配だと仰った。
そのことを空さんのお母さんに伝えた。
とてもサバサバしたお母さんだったけど「あ・・・やっぱり・・・」と泣かれた。
家族がお互いにお互いを想いあってる素敵なご家族だった。
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この時にお父さんの気持ちを聞いていたので、ギリギリまで頑張って、このタイミングで旅立った意味をみんなで理解することができた。
お母さんをとにかく入院させて治療をさせるために送り出す役目を果たしたからなのだろうと。
空さんは、次は、障がいのあるシュンさんへどんなふうに伝えるかを考えなくてはならなかった。少し遠いところの学校に行っているので臨終に間に合わないことは分かっていた。
シュンさんへの対応は、お母さんと相談しながら帰る途中でパニックにならないように学校の先生にうまく早退させてもらうこととなった。
シュンさんのパニックが心配だったので、私の訪問の勤務のシフトを調整してなんとか空さんと一緒にシュンさんに対応しようと思っていた。
でもシュンさんの兄である空さんは「1人で大丈夫です」と頼もしかった。
本当にカッコいい。
お父さんもお母さんも誇らしいだろう。
せめてシュンさんが帰ってきた時にやつれ果てたお父さんではなく元気な時に少しでも近い形で整えておきたかった。
髪も綺麗に洗い、髭も剃り、伸びていた髪も少し切らせて頂き、少しでも爽やかなお父さんにしておきたかった。
お父さんもきっとそのほうが嬉しいはずだから。
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私たちは、初回の訪問時に空さんたちと出逢わせて頂き、これからこの素敵なご家族とお父さんのケアを通して一緒の時間を過ごせることがとても嬉しかった。
看護師2人で訪問したが、2人ともすっかりこのご家族のファンになってしまったのだった。
特に空さんの優しさに感動しながら帰った。「なんだろう・・・なんだろう・・・とにかくすごい優しいんだよね」って言葉にできないんだけど優しい。
空さんを表現するのに自分の持っている語彙では足りなかった。
きっとこれからの時間、彼らから多くのことを見せてもらい学ばせてもらうのだろうと思っていた。
そして、空さんとシュンさんの事をお父さんとお母さんの最高傑作であり素晴らしい宝物であることを褒めちぎりたかった。
「何を食べさせたらこんなに優しい子になるんですか?」
「何時に寝たらこんな子が出来上がるんですか?」
「どんな声かけをしたらここまで優しい眼差しになれるんですか?」
ちょっと笑いながら色々聞きたかった。
こんな質問をしたらきっとお父さんも最高に嬉しかったはずなのに。
素敵な人たちに看取っていただけてよかったと言って頂いたけど、本当にこちらこそなんです!と言いたい。
もっともっとこのご家族と一緒の時間を過ごしたかった。
きっと彼らは、シュンくんの障がいがあったことで家族全員で乗り越えてきたことも数え切れないほど多かったのではないかと思う。
だから、全員があんなにもお互いを思いやって優しい人たちだったのだと思う。
私が接した時間が短すぎて空さんたちの優しさがこの話だけでは十分表現できていないのが残念だけど、もうね・・・そういうことじゃなく見たら誰でもわかるし、感動するレベルなの・・・どれだけ優しい人なのか・・・もう、優しさのオーラを纏っているからオーラは簡単に脱げないの。
お父さんの自慢の息子様たちをしかと見せて頂きました。
溢れんばかりの優しさを沢山見せてくれてありがとうございます。
出会ってくれてありがとうございます。
このご家族は、これからもきっとたくさんの方に出会ってくれて大切な気づきを与えてくれるのだろうと思った。
こんな特別なプレゼントが貰えるからこの仕事は中々やめられない。
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*個人が特定されないよう設定は一部変えさせて頂いています。