雲の上から見る「空の景色」と心の中にある「自由」
飛行機に乗る機会が多い人少ない人。
生まれ育った地の状況、生まれ育った家の境遇、自ら選んだ道の性質。
様々な背景の違いから、飛行機に乗ることを身近に感じるかどうかは、違ってくるのだ。
その「違い」に配慮した私は、心の中に抱く本音を隠すことにした。
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私は、今、関東地方の田舎に住んでいる。
周りの人は、「飛行機に乗る」というだけで目をキラキラさせたり、驚きの表情をする。その感覚が私にはよくわからない。だから、飛行機に乗るという話題は極力避けるようにしてきたのだ。
私の実家は、関東との往復は飛行機が標準という地域にある。
そのため、飛行機に乗ることは生活の一部。飛行機利用のライフハックは、親戚の間で情報交換がされることが常である。
飛行機を快適に利用するためのコツ、突発的理由で「満席の飛行機」に乗るためのコツ、フライトのキャンセルが発生しても目的地に向かうためのコツ。
仏事や慶事で親戚が集まると、この話題はテッパンで必ず話が盛りあがるのだ。
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現在暮らしている田舎では、「飛行機には一生乗ることはないと思っている」という人が多い。
夫は未経験ではなかったが、私と出会うまでは、ほんの数えるほどしか飛行機に乗っていなかったのだという。
一方、私は、おそらく300回を超えているのではないだろうか。
離着陸を1回と数え、羽田空港との往復で2回という数え方をしたとき、20歳のときに100回を超えていた。
その後、数えるのを止めてしまったが、現時点で200回は軽く超えていると確信している。
飛行機を利用することは、私にとって、それほど身近な手段なのだ。
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雲の上から見る空の景色は、毎回感動を覚える。何度見ても気持ちがよい。一生飽きることなどないと思う。
だから私は、国内線では、できる限り窓側をリクエストする。
この景色を見ずに一生を終える人がいるなんて、お気の毒だな。それが正直な気持ちだ。
だが、こんなことは口が裂けてもいえない環境で生活している。心の中にしまっておくしかない本音。けれども、そういう感想を持つことは自由。
何を思うか、何を感じるか。誰にもいわず心の中で、静かに抱く本音。
心の中で完結している限りは自由なのだ。