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オムライスが「ゴール」だったあの頃

おそらく私は「何かの目標」を立てることが得意なのだろう。

自分を上手に騙してその気にさせ、「うっかり頑張らせる」ことが得意なのだ。



目標の立て方にはコツがある。

目標を達成する前に小さなご褒美をあげること。目標を達成するためのゴールを明確にすること。

だが、このコツには、それほど拘りもない。

ただ、「漠然と楽しみ」を感じることに向かって進むとき、その道を進み切る「理由」を「目標」という言葉に換えているだけ。「目標だから」といい切って、辛い気持ちや苦しみを和らげる効果といってもよいだろう。



私はこれまでの人生で度々入院して手術を受けてきた。

手術で入院すると、必ずといってよいほど経験する「絶飲食」。ただ1回の食事を抜かれるというだけでなく、数日間にわたって「普通の食べ物」を口にすることが禁止される。

それは「とても辛いこと」なのだそうだ。



どうして伝文形式で「......なのだそうだ」というかというと、私は、「まぁ大変だけどね」くらいにしか思ってこなかったから。

もちろん何度経験しても平気ではいられない。

「絶飲食から無事に復活できるかしら?」という不安を毎回抱く。

「夜の9時からは、お水もとらないでくださいね」といわれると、8時すぎくらいからそわそわする。

だが、自分でなんとかしようと工夫をしてきた。回数を重ねて「楽になる」方法を考え、それらを実践してきたのだ。



工夫というのは「目標を達成するための小さなご褒美」のこと。だが、一見してご褒美とは思えないコトかもしれない。

具体的には、絶飲食前、最後の水分は「白湯」にするということ。

ぐいぐい飲むのではなく、じわじわと口の中で味わいながら飲む。

飲み終わりが絶飲食開始時刻の1分前になるように、5分くらい前から口に含み、ゆっくりと飲むようにする。

大きな手術の前では、よく眠れるように「入眠を促す薬」を勧められるから、場合によっては、薬を飲んでから白湯という流れもあるが、そのあたりはケースバイケース。

いずれにせよ、白湯で胃袋を温めることが工夫なのだ。

「胃袋はここにあるよ。ほくほく」という状態で寝床に就く。これが、なんとも気持ちがよい。

「自分を幸せな気持ちで眠りに就かせるために気にかけてあげる」という意識そのものがご褒美なのだと思う。



それ以上にもっと大事なことがある。

ゴールを明確にすることだ。具体的には、「普通食に切り替わるタイミング」を自分の心で決めること。

絶飲食の期間から普通食に戻るまでの流れを予め尋ね、普通食に戻る「見込みの日」の病院食を確認する。

そして、「順調に回復して、このメニューを食べるぞ!」と自分に誓う。

かつて入院したとき、「この日の朝から普通食に戻れるかも」という日の昼食はオムライスであった。

だから、私は、オムライスのために頑張った。

術後の麻酔から目覚めようかという頃に、

「オムライスがあるから。オムライスがあるから」

と「うわ言」をいっていたと聞く。

それくらい心の支えにしていたのだろう。



「病院食のオムライスなんてどんなモノなんだろう?」

オムライスというメニューが用意されていること自体に興味もあった。期待半分で心待ちにしていたのだが、その期待を遥かに超えるオムライスを目の前にして、私は泣いてしまった。

心の底には辛さも苦しさも感じていたのだと思う。だが、それ以上に、辛さを乗り越えた喜びの嬉し涙であったと思う。

オムライスも美味しかったが、デザートのマンゴーも美味しかった。冷凍モノで半解凍の状態で提供されていた。最高に美味しかった。

オムライスまでに普通食に戻れたことが嬉しい!

心からそう思えた。



オムライスを食べる頃には、

「今日のお昼は美味しかったね」

と、世間話ができるほどの関わりが生まれ始めている。

そこまで来たら退院はもう間近だ。