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親として働く姿を見せること

母とゆっくり過ごすのはこれが最後になるかもしれないという気持ちで時間を過ごした。6泊7日という里帰りは、この先2度とないだろうと思ったからだ。

私が子どもの頃は大変貧しかった。父と母は努力を重ねて運を味方につけ、劇的な脱貧困を成し遂げている。

親が貧困だと子どもも貧困になる「貧困の連鎖」という話を聞く。事実そうかもしれない。けれども、我が家に限ってはそうならなかった。

理由を一言で説明するのは難しい。いろいろな要素が複雑に絡み合っていることは確かなのだが、周りの引き立て、ご縁の力は大きいだろう。

両親とも貧しい家の出身だ。父は、母子家庭で育ち、実母の再婚相手である継父との対立を思春期に経験している。母は、実父が病弱で資金力のない状態であったため、アルバイトをしながら、やっとの思いで高校を卒業したのだ。

母は高校を卒業後、就職をすることができた。

だが、父は身元保証がおらず、高卒時点での就職がうまくいかなかった。

簡単な事務作業者として辛うじて仕事に就くしかなかったのだ。ところが一転、業務上の単純な作業中、書類上の重大なミスを指摘したことを評価され、取引先にヘッドハントされる。

その後も、たびたび目上の方から引き立てがあり、奨学金を得て働きながら夜間の短大を卒業。出世街道を突き進んだ父であった。

そんな両親は「貧しいことの心細さ」を嫌というほど知っている。だから、まっとうに働いて子どもに貧しさを体感させないことを最優先の目標とした。

多忙を極めたため、家族を省みるなどという余裕はなかっただろう。けれども、父の頭の中には、私たち家族の存在があったことは明らかだ。他界した父の財布には、私たちが子どもの頃の白黒写真が入っていた。

働き詰めの両親は、子育てや家族サービスは二の次。子どもの私たちは、学校でのトラブルも友人からの不当な扱いにも自分自身で対処するしかなかった。

父と母は、今どきでいう教育熱心な親ではなかったが、働く姿を見せることは子どもにもよい影響を与え、子どもへの生きた教材にもなると考え、働き通したのだ。

親が身を粉にして働く姿は子どもへの教育にもなる。

このご時世、そのことに賛同してくれる親はいったいどれほどいるだろうか。

賛同は得られなくとも、両親の育て方に成果があることを示すべく、私はまっとうな生き方をしていきたいと思う。