見出し画像

突然の死を悼み落葉の美しさに涙する

新型コロナの感染症拡大が収り、社会経済活動を徐々に再開していこうかという昨今。

だが私は、その「明るい空気」に乗り切れずにいる。なぜなら、とある知人の死を知らされたからだ。新型コロナ感染症だった。



大して親しい間柄ではなかった。知人というより、ちょっとした顔見知り程度の仲。同じがん患者として仲間意識を抱きつつも、その気持ちを敢えて言葉にしない関係だった。

私はがんにより社会的な居場所を失い、自尊心を損なった。「もっと働きたい。もっと頑張りたい」と心の中でうめきながら、今でもなお不完全燃焼の日々を送っている。

一方、その知人は、休職して初期治療を受け、最近では治療を続けながら職場に復帰をしていた。その姿は、羨ましくもあり、憧れでもあり、私にとっての目標でもあった。




がんを患っても仕事を続ける知人は、その存在自体が神々しく輝いて見えた。がん患者であっても働き続けられる職場環境を「理想的だ!」と心の底から信じていた。

知人が職場復帰を果たし、働いている様子を耳にする度、軽い嫉妬感を抱いた私だったが、心の中では「小さな応援の旗」を振り続けていたのだ。

けれども、職場復帰が災いし、その知人は新型コロナに感染してしまった。

「がん克服は目の前だ」と誰もが信じていただろうに。




こんな死に方をするために、がんの治療を頑張ったわけじゃない。そう思うと、涙が溢れて仕方ない。あともう少しだったのに。そう思うと、悔しくて仕方ない。

けれども、生き延びることを信じてがんと戦った日々は確かにあった。手術を受け、薬物による治療を受け、死の恐怖に立ち向った事実が変わるわけではない。

たとえ新型コロナが命を奪ったとしても、がんと戦った尊き生き様は奪うことはできないのだ。

そう思うことで、辛うじて涙を止めることはできるけれど。

ふと目にした落葉 らくようの美しさに涙して、今日もまた日が暮れていく。



新型コロナ感染症により
お亡くなりになった方々の
ご冥福をお祈りいたします