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迷いながらも生きていく。

私は今、とある病と闘っている。

4年前の今頃、人生で2度目のがんに罹ったことを知らされたのだ。

然るべき治療を受け、現在、経過観察のため通院はするが、生活は至って平凡。毎日は穏やかに淡々と過ぎていく。そんな中、時々思い出しては支えにしている言葉がある。

主治医が個人的な事情で1年間離職し、代替の医師に診てもらっていたときのこと。代替の医師との初顔合わせで言われた言葉だ。

「がんに2度も罹ってしまった......と、悔しい気持ちかも知れません。ですが、今回は抗がん剤を使わずにすむような比較的早い時期にがんを見つけることができました。それは過去の経験を生かせたからだと思います。自身の体の変化に気をつけていたからでしょう。あなたは、がんに2度罹った人ではなく、2度助かる人になるのです」



病名は知っていても状況を表す言葉は知らず

自分の身に起きたのは「どういうこと」かを文章では言うことができたが、それを一言で表現する言葉は知らなかった。状況を端的に伝えることに難しさを感じていたのだ。

私の今取り組んでいる病は「重複(じゅうふく)がん」。再発・転移ではなく、異なる臓器にルーツの異なるがんができることをいう。

10年以上の間隔を置いて2度目のがんが見つかっているので、「異時性重複がん」とも呼ばれる。


「体質」であることを言いわけにしない

実は、この4年ほどの間、自分が置かれた状況を何といってよいのかわからずにいた。立ち向かう試練の正体を理解したかったのだが、調べることすらできなかった。その単語を知らなかったからだ。

半年ほど前に「異時性重複がん」という単語を知り、ちょこちょこと調べ始めている。

ブログも読む。

中には壮絶な悲しみや苦しみを綴る方もいて、異世界のような感覚すらある。死の恐怖をたびたび味わい、まさに生きた心地がしないのだろう。だが、自分の感覚とは違う。それが正直な感想だ。

私のケースでは、先天的な遺伝子の問題という可能性もある。とはいえ、体質は絶対的な宿命ではない。遺伝子に理由があっての「異時性重複がん」だとしても必ずがんが発症するとは限らないからだ。

だから決して体質を言いわけにはしたくない。自らを律し、自分で命を運ぶ生き方を選びたい。生まれた体質を宿命として嘆くのではなく、自ら切り拓く運命として、重複がんと向き合いたいのだ。

助かる病になったからこそ生じる「重複がん」

おそらくは、がんという病が「助かる病」になったからこそ「重複がん」になり得たのだと思う。

とはいえ、がんが死を意識してしまう病であることに変わりはない。私は最初のがんで、たくさんの患者さんを見送った。「後で逝きます」と言って、幾人もの方とお別れをしたのだ。

死は、私にとっては、「後で逝くか先に逝くか」という程度のものでしかない。誰にでも平等に訪れる未来だ。だから、今生きているのは「私にはまだその時は来ていない」というだけのことと捉えている。

いつかは来る「未来」と知りながら、おそらく明日ではないという心持ちで今日を生きるのだ……その時が来るまでは!

それでも私は生きていく

2度あることは3度あるという。もちろん、3度目がないに越したことはない。

3度目があったらどうしよう。次こそダメになるかもしれないと心が沈んでしまうこともあった。特に、この数か月の間、そのような気持ちになることが多かった。正直なところ、健康感を得ることを諦めていたし、生命力の衰えを感じてもいた。人生このままフェイドアウトかなと思う瞬間すらあった。

だが今では、弱気な心を飼いならし、そんな不安とのつきあいかたも上手になってきている。

3度目が訪れたらどうしよう。2度助かる人になれたとしても、3度助かる人にはなれないかもしれない。けれども、もうそれはそれで仕方ないという気持ちになることができた。

とりあえずでも今生きていることが肝心。未来を憂うことなく過去を悔やむことなく、3度目もドンとこい!くらいの気持ちで生きていこう。

飼いならした弱気な心は疼きながら小さな祈りを捧げている。もし3度目があるとしたら「切りとってもOKな臓器でお願いします」「抗がん剤効きやすいやつで頼みます」といった風に。

生きるということが針の穴に糸を通すような感覚であり、そういう気持ちでしか生きられないことはとても悲しいことではある。

だが、生きる道を探りながらの人生であっても生きていることには変わりない。


これが「私」。

道を探りつつ、生き方に迷いながらも生きていこう。