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誠実さとは?

人に対して誠実でいたい。それは私の人生を通して、とても重要な命題であった。

「少し苦手かも?」と思うようような人に対しても、誠実さを意識して丁寧に関わった。区別なくあたたかな心で接することが誠実さ。そう思っていたのだ。

だが、その行動には大いなる問題があった。

苦手に感じる人の中には狡猾(こうかつ)な人もいたからだ。

ここでいう狡猾な人とは、悪人というわけではない。当人にとっては、全くもって当たり前のことをしているだけであり、他人を駒として利用することは「生きるためのスキル」くらいにしか思っていない人のことだ。



狡猾な人は、「誠実でいたい」という私の思いを巧みに利用し、その度に痛い思いをした。

痛い思いをしつつも、狡猾な人に対して距離を取ることが正解なのかと随分と悩んできたのだ。

だがあるとき気づく。

狡猾な人に対して誠実に接することは「それを是として接する」ことにならないだろうかと。

つまり、狡猾な人が「私以外の人に狡猾な態度をとる」後押しをすることにならないだろうかと。そして私は、間接的に狡猾な人の言動に荷担していると気づいたのだ。



目の前にいる狡猾な人に丁寧に接して、利用されることで私が痛い思いをするだけなら仕方ないと諦め半分でいた。だがそれは、私だけが利用されていて完結というコトでない。

それだけでなく、誠実な態度で私の誠実さを受け止めてくれる人に対しての裏切りに近い行為でもあるのだ。

他人を駒として利用して生きる人に対しても区別なく接するのは、その生き方を助長することでもある。

知らず知らずのうちに、狡猾な生き方を推進することにも繋がるだろう。狡猾に他人を利用して「上手くいった」という成功体験を人に与えてしまうからだ。



「人に対して誠実でいたい」という思いは、必ずしも全ての人に同じ態度で接するということではない。

誠実さには誠実さで応える。

狡猾さには防御で立ち向かう。

これこそが「人に対して誠実に接する」ということなのだ。



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