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夫婦別姓だけでいいんですか?戸籍制度に替わる登録制度を考える

世帯という考え方に問題があるのでは?

10万円一律給付をきっかけとして、「世帯制度」に関して疑問を抱く人が増えてきているようです。

正直なところ、なぜ今まで疑問を感じなかったことに疑問を感じます。普段から世帯という縛りで面倒なことがあったはずだからです。

日本は太平洋戦争後、「家」制度を廃止したとなっていますが、実情そうともいい切れないことが多々あります。世帯はもちろんのこと、戸籍という考え方も然り。

私は40歳代で初めての結婚をしました。長年独身を貫いてきたのは、「戸籍制度」に抵抗があったからです。


20歳代の頃には、戸籍制度に抵抗がありながらも、戸籍がないとどうなるのだろうかという不安もありました。

そんな時期に、アイルランドで法律家として教鞭をとっておられる方とお話する機会があったことは幸運でした。戸籍制度についてのヒントを得ることができたからです。

日本の戸籍制度は、いわゆる家族を1単位として登録する方式です。英語では、「family registration」と呼ばれます。それに対してアイルランドを始めとした西洋の国々では、個人としての何らかの登録がされる方式、即ち、「individual registration」(=個別登録制度)をとっているのです。

このことは私の中で「価値観の天変地異」が起きるほど、目からうろこの事実でした。

「individual registration」の一例としては、出生証明書(=Birth certificate)があります。出生証明書という存在は、海外ドラマなどで耳にしたことがあるのではないでしょうか?

20歳代の頃にお会いしたアイルランドの法律家の方によると、出生証明書とは「誰と誰の子」であるという親の名前を記したものであり、立ち位置として個人の存在がメインとなっていて、どこかの「家」に属する形ではない登録なのだとか。父にも属さず母にも属さず。未成年のうちは「親権」という形で実父母や養父母の名前と紐づけられる方式なのだそうです。

ちょうどお話を伺ったタイミングが、日本国内で、嫡出子と非嫡出子(=法律上の婚姻関係にない夫婦の間に生まれた子ども)の相続を平等にしようという話が出た頃でした。

そのため私は大いに関心が湧き、あれこれ突っ込んで話したくなったのです。アイルランドの法律家の方に日本の事情をお伝えして、日本の法律家の先生を交えて議論を行いました。そして私は、日本の法律上における「結婚制度の価値観」は、独特の不平等感の下に存在していることを痛感したのです。


私は、戸籍制度の廃止や世帯制度の廃止を願っていますが、戸籍制度や世帯制度は、十分に社会的責任を負うことが難しい状況に置かれる女性や子どもを護る側面も無きにしも非ずという視点も持っています。

だから、私自身は廃止を希望しながらも、即座に実現するべき未来とは考えていません。議論を尽くすべき議題であり、実現に向けて周りの整備を進めていくことが求められると考えています。


今後、戸籍や世帯制度の廃止の動きになれば、性別に関係なく、成人した全ての者が「社会を背負う責務」を平等に負うことになります。

護られた立場であった人にとってはメリットばかりではないでしょう。戸籍制度や世帯制度の廃止で被るデメリットを受け入れる覚悟も必要になるのです。

しかしながら、同性の私から見ても、日本女性の教育レベル(=中身)は上がってきていません。

この状況で、性別に関係なく全ての人が平等の立場で社会を背負えるのか?

戸籍制度の廃止や世帯制度の廃止を求めているとはいえ、複雑な問題を孕んでいるということを念頭に、静かに声をあげ続けていけたらと思います。