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台風が残したもの

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台風15号による被害の中で、感じたこと思ったことをつれづれなるままに。
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#台風15号

自然災害を乗り越えていく

晴天の下、工事は順調に進んでいった。 本日、台風の被害を受けた家の補修工事が行われていたのだ。近隣でブルシートがかけられたうちの最後の一軒だった。 昨年9月、台風15号が通過した直後、我が家からの視界に入る家のほぼ全てにブルーシートがかかっていた。 それぞれ家屋の修理が進み、ブルーシートが徐々に減っていったものの、一軒だけ残っていたのだ。 修理業者が間に合わないだけでなく、修理の費用を工面できない人もいる。個々の事情があるのだ。仕方ない。 そう思ってはみたものの、ブ

「じゃがいも」交流...…悲しいかなそれが現実

畑仕事をしたり草を刈ったり、田舎の朝は早い。 近所の人たちとの交流は、早朝の時間帯が一番活発になるのだ。 じゃがいもを掘ってあげようか? お声かけいただき、近所の方の敷地内へと向かう。 そんな光景は田舎では日常茶飯事だ。 敷地内にいたため、私はマスクをしていなかったため、一旦マスクを取りに宅内に入り、靴を履き替えて、近所の方のお宅へと向かった。 敷地内に小さな畑を作っておられるその方は、いもを掘りながら、機嫌よくお話をされる。 「お宅の敷地は畑にできる土地がある

そら豆の青に思う

緑なのか青なのか。それが問題だ。 と誰かがいったかどうかは分からないが、子どもの頃の私は、「緑」と「青」との違いを文脈の中で理解するのが苦手だった。 そら豆は、青々と実るが、そら豆の色は緑色。 「何かの言葉遊びですか?」 とツッコミたくなるくらいだが、判る人には解る文章だと思う。 ◇◇◇ 近所の方に、そら豆をいただいた。 「余生を楽しむ感覚で野菜を作っている」とは聞いていたが、実際に目にすると、本当に美しい出来ばえに感心する。 「出来のいいのは道の駅なんかに置

オーバースペックは身を助く

「芸は身を助く」とは、何か秀でた一芸を持っていると生計を助ける手立てになりうるという言葉である。 この言葉に倣って思いついたのだ、「オーバースペック(=過剰性能)は身を助く」と。 台風15号の被害は記憶に新しく、まだ近隣の家では毎日のように補修工事が行われている。 我が家は、おかげさまで補修工事らしきものは全て完了したが、たっぷりと保険に入っていたため、「持ち出し」なく工事業者への支払いを済ませることができた。 自動車保険を使用して保険料が上がる分についても、火災保険

海が資産だというのなら

夫の車が修理を終えて戻ってきた。 台風15号で受けた被害の補修等は、これで一区切りがついたことになる。 まだ完全に終わったとはいい切れない。自分でやろうと思っている補修箇所、並びに、次の台風シーズンに向けて強化して備えたい場所に手を入れる予定が控えている。とはいえ、業者依頼必須の部分に関しては終了し安堵した。 父訪問の記憶「この町は海が資産だね。」 と、唐突に父が話を切り出した。 海の近くから離れたら、ただの田舎の辺鄙なところなだけ。だから、何かを投資するなら、この

「他人の見たくない一面を見る」ということは

年末に向けて、近隣での修繕工事も加速しているようだ。 9月9日未明に襲われた台風15号の被害により、町全体が被災した。 周りの工事はもちろんだが、我が家のカーポートも無事修繕が終わりホッと一息というところ。 だが、明るい話題だけでもない。 被害を受けて保険金が下りたけれども、それを修繕に充てない人が散見するという問題だ。生活のレベルが低く、わずかな保険金でギリギリの修繕をするくらいなら、修繕を諦め、生活の足しにしたいのだという。 実際、保険金を修繕に充てなくてはいけ

晴れの日に傘を買う

父は格言的な謎かけ的な不思議なことをいう人だった。 その父が他界して半年足らず。悲しみが少し癒えてきたからか、近頃、父の言葉をよく思い出す。 「傘は雨の日ではなく、晴れの日に買うものだ」 この話を聞いたのは、いつ頃だっただろうか? 父が師匠と仰ぐ方から教えられた考え方なのだそうだが、人生が順調な時に不測の事態への「備え」をしておくべきだという意味合いであったと思う。 実際には雨の日だって傘を買うことはできる。だが、傘を買いに行くまでに濡れてしまう。 雨に濡れずにと

面倒くさいの極み?保険請求書類作成に時間を盗まれた話

毎日少しずつやればそのうち終わるはず。 私はそう信じていた。 台風15号の被害を損害保険で補いたいと考え、保険請求をすることに決めたのは、ひと月ほど前のこと。写真を撮ったり、書類を作ったり、見積もり書の細かいところまで目を通し、必要なものが揃ったのは、5日ほど前。 写真の整理は始めていたし、必要書類は随時整理して複写をとって、送付用をファイルしてきた。だから、ささっと終わるはずだと楽観視していたのだ。 けれども、いろいろな問題が起き、なかなか思うようには進まない。

逃避。それは人間に許された素晴らしい能力だから

人事を尽くして天命を待つ。 台風19号が猛威をふるう中、そのような気持ちでいる人は私だけではないだろう。 うなりをあげて、繰り返し繰り返し風がガラス戸をたたく。次のうなりでガラス戸が割れてしまうかもしれない。そう思うと気が気ではない。体の芯が冷たい水の中に侵されたような、心細い気持ちになる。 隣家の屋根に乗せられた土嚢は、昼間に見た場所とは違う場所に移動している。ブルーシートが風にあおられ、遠くの灯りが点滅を繰り返す。 どこもかしこも不安だらけだ。 別の隣家からは電

言葉って難しい

台風の被害に遭う前から予定に入れていたバスツアー。迷うところはあったのだが思い切って参加してきた。 私は、ときどきこの地を離れ、別世界とも思えるような「普通の暮らし」を見てガス抜きをしているが、夫はそれができていない。だから、夫にも「普通の暮らし」を見て、ほんの少しの間だけでも「現実逃避」して楽しい時間を過ごしてもらえたらと思ったのだ。 ◇◇◇ いつもなら、バスが2台3台と出るようなバスツアーだが、今日はバス1台。被災したことでキャンセルの方もいたのだろうなぁと思った。

「切ない」が止まらない

方言というわけではないと思うが、この地域では「切ない」という言葉をよく使う。 残念に思うとか、寂しくなるなぁとか、そういう意味で使う「切ない」と同義で使っていると思うのだが、「切ない」という言葉を日常会話で聞いたときには、ちょっと違和感を感じた。 それまでの私は、「切ない」という言葉を「叶わなう恋心」を表現する言葉として使っていたからだ。 ◇◇◇ 台風15号の話題になると「切ない」という言葉の連続だ。 被害が激しい地域は、まだまだ復旧ができていない。 もちろんそう

これまでと変わらずに「客」でありつづけること

台風15号の被害においては、報道をされている以上に被害が大きいと感じている。 しかしながら、人々の様子は、報道をされているほど疲弊している様子はない。周りからの支援に感謝しつつ淡々と復興の道を歩き始めているように見えるのだ。 ブルーシートで応急処置をしている家だらけだし、農作物の被害は相当なもの。観光客の足は遠のき、いったいいつになったら普通に戻れるのかと不安にもなる。 地域外との交流を生業としている人たちにとっては、まだまだ試練の時が続きそうだ。 一方で、地域内でお

自己卑下による「遠慮」を改善することはできたのか?

台風15号に襲われる直前、海に浮かぶ白い船のような雲を見た。 久しぶりに『タイタニック』を見たくなった。『タイタニック』には特別な思い入れがあるからだ。 ◇◇◇ 昔々、映画『タイタニック』が大流行した時のこと。親しく付き合っていた友人らとの間で、タイタニック号に乗船していたとして、自分だったら生き残れると思うかという話になった。 その時、次のようなことを友人らに告げられたのだ。 「あなたは、本当は生き残る知恵を持っている人だけど、遠慮して自分を犠牲にしてしまうだろう

社会の礎となるものは人との繋がり

台風が去った後、始めての雨は大雨だった。 心もとない夜を過ごしたのは私だけではないだろう。 今回のことにいろいろと思うところはあるのだが、確実にいえるのは「台風が来る前」には戻れないということ。 傷ついたものはもとには戻らないし、マイナス面ばかりを見ていても仕方ない。 その一方で、私はまわりの人との繋がりを感じることが増え、プラス面も感じている。 特に、新参者の私は、近隣との距離感が変化した。まわりから「どんな人なのか?」と様子を伺われていたところもあったようだ。