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「じゃがいも」交流...…悲しいかなそれが現実

畑仕事をしたり草を刈ったり、田舎の朝は早い。

近所の人たちとの交流は、早朝の時間帯が一番活発になるのだ。

じゃがいもを掘ってあげようか?

お声かけいただき、近所の方の敷地内へと向かう。

そんな光景は田舎では日常茶飯事だ。


敷地内にいたため、私はマスクをしていなかったため、一旦マスクを取りに宅内に入り、靴を履き替えて、近所の方のお宅へと向かった。


敷地内に小さな畑を作っておられるその方は、いもを掘りながら、機嫌よくお話をされる。

「お宅の敷地は畑にできる土地があるからいいね。」

と、いつもの「おせっかい」も慣れたもの。

これだけの土地でこれだけのじゃがいもが採れる。だったら、お宅の敷地なら相当のじゃがいもが採れるんだよ。

話の流れは、まるで何かのプレゼンテーション!


これだけ訴えているのに、私が畑作りに興味を示さないのが不思議といった表情をされたので、今日は思い切って打ち明けてみた。

「裏にも芝生を植えたいんです......。」

すると、とても驚いた表情で、

「なんてモッタイナイことを!」

と溜息のような言葉をかけられた。


会話の内容としては、それ以上の実りのない話だ。

けれども、私がこのような交流を続けているのには理由がある。


この方のお宅は、昨年の秋に家人がお亡くなりになり、お一人になられたことを知っているからだ。少し離れた地に住んでいるお子さんたちは、新型ウイルスのこともあり、会える頻度も減っている様子。

悲しいかなそれが現実だ。

何もできないとしても、何気ない会話を時折交わし、ゆるゆるな関わりを持っていく。

何もできないとしても、「ここに居ますよ」とサインを送り続けるだけでよい。

おせっかいに苛立つことがないわけではないけれど。

それでも関わっていくことに意味があると思うから。

また声をかけられたら、いつも通りに会話を始めることだろう。


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