自己卑下による「遠慮」を改善することはできたのか?
台風15号に襲われる直前、海に浮かぶ白い船のような雲を見た。
久しぶりに『タイタニック』を見たくなった。『タイタニック』には特別な思い入れがあるからだ。
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昔々、映画『タイタニック』が大流行した時のこと。親しく付き合っていた友人らとの間で、タイタニック号に乗船していたとして、自分だったら生き残れると思うかという話になった。
その時、次のようなことを友人らに告げられたのだ。
「あなたは、本当は生き残る知恵を持っている人だけど、遠慮して自分を犠牲にしてしまうだろう。」
友人らには、遠慮がちな性格、謙虚さとして映る反面、周りからの称賛を避けようとする「もったいない性格だ」と思われていたようだ。
遠慮していたわけではない。誰かに褒められる価値などないと思っていたし、自分のダメな部分をよく知っていたから、どれだけ褒められても買いかぶりだと感じ、居心地が悪かったのだ。
自分には助かる価値などないと感じていたのだろう。
映画『タイタニック』の中で、老夫婦がベッドに横たわり2人で最期の時を迎えようとしているシーンがあるが、あの老夫婦のようになるだろうというのが、当時、私自身の予想だった。
助かるための努力を諦める。私には助かる価値がないから。
いや、助かる能力など私にはないだろうから、努力する前に諦めるという気持ちだったかもしれない。
いずれにせよ、自分は助からないだろうというのが、私の自己評価だった。
けれども、親しい友人らからの評価は、「能力的には十分あるのに助かろうとしない」ということを知り、それをきっかけとして、自己評価が少し変わったのだ。
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助かることはないだろうという理由が「自己卑下」からくる結論ならば、少なくとも「自己評価」をあげることで、違う未来が来るのではないか。そのようなことを考えて、自分への評価を変える努力を始めた。
いつかは「助かる努力ができる人」になれるのではないか?
今は、そんな自分になっているだろうか?
折に触れ、映画『タイタニック』を見て、今の自分ならどうするかと自問してきたのだ。
今回の台風被害の家屋など修繕に関して、自分の家は後回しでもいいとまずは思った。けれども、多方面の調整により、真っ先に修繕を開始。外構部分に未補修の部分はあるものの、家屋については修繕が完了している状況だ。
被害が大きく、生活もままならない人が多い中、このような状況になっていることに対し、居心地の悪さは変わらない。
それでも、私は胸を張っていられるだろうか?
試されているような気がする。
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