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「他人の見たくない一面を見る」ということは

年末に向けて、近隣での修繕工事も加速しているようだ。

9月9日未明に襲われた台風15号の被害により、町全体が被災した。

周りの工事はもちろんだが、我が家のカーポートも無事修繕が終わりホッと一息というところ。

だが、明るい話題だけでもない。

被害を受けて保険金が下りたけれども、それを修繕に充てない人が散見するという問題だ。生活のレベルが低く、わずかな保険金でギリギリの修繕をするくらいなら、修繕を諦め、生活の足しにしたいのだという。

実際、保険金を修繕に充てなくてはいけないという取り決めはないのだとか。だから、保険金の見積もり業者は高いところで行い、実際には、そこよりも安くで請け負ってくれる業者に依頼する場合もあるという。

それはそれで、その人の価値観であるし、判断するのは当人だから仕方ないともいえるのだが、「修繕をしない」という決定に関しては心穏やかではいられない自分もいる。

「仮に修繕をされないとして、オタクの屋根瓦、来シーズンに台風が来たらどうなるんでしょうか?」

その言葉をグッと飲み込み、モヤモヤとした気持ちになった。

ブルーシートと土嚢で仮に補修をしてある屋根は「未来永劫使えるわけではない」ことを、業者から知らされていないのだろうか?

それとも、周りに迷惑をかけても構わないというスタンスなのだろうか?

飛来物で他人に迷惑をかけたとしても、一切の責任を負わなくてもよいことを知り、近隣の住人への配慮をしなくてよいという考えなのだとしたら、心底ガッカリだ。

被災直後の混乱の時期には、あれだけ支えあえたのに……。

なんともいえない気持ちになった。

◇◇◇

台風通過直後に近隣の年長者の方が、私に囁いていた言葉を思い返してみる。

「自然災害は、誰にでも起きること。ある程度は仕方がないとして乗り越えるしかない。だが、こういうときには、人の見たくない一面を見ることになる。他人の見たくない部分であったり、自分自身の見たくない部分であったり。」

今私の抱えている問題は、この言葉に通じるのだろうか?

そう自問したからといって、問題が解決するわけではない。だが、もしそうだとしたら、この問題もコミで乗り切るしかないということ。

一難去っては、また一難。

進んでいるようで進まない、台風からの復興。

我が家から視界に入るうち、とある1軒の屋根からブルーシートが取り除かれたことが、せめてもの救い。

地道に進んでいこう。

屋根の修繕に後ろ向きな人との折り合いをつけることもコミコミで。