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言葉って難しい

台風の被害に遭う前から予定に入れていたバスツアー。迷うところはあったのだが思い切って参加してきた。

私は、ときどきこの地を離れ、別世界とも思えるような「普通の暮らし」を見てガス抜きをしているが、夫はそれができていない。だから、夫にも「普通の暮らし」を見て、ほんの少しの間だけでも「現実逃避」して楽しい時間を過ごしてもらえたらと思ったのだ。

◇◇◇

いつもなら、バスが2台3台と出るようなバスツアーだが、今日はバス1台。被災したことでキャンセルの方もいたのだろうなぁと思った。

早朝、バスツアーがスタートしたタイミングで、添乗員の方から被災したことについて話があるかなと思った。だが、予想していたよりも、それはあっさりとしていた。

被災に対しての労いの言葉って、こんなもんなのかな?

ちょっと拍子抜けした感はあったのだが、被災地からのバスツアーだとはいえ、災害の度合いによって各自が「参加してもよい」と思えるから参加しているという前提。だから、こんなもんなのだろうと自分なりに納得した。

一日のスケジュールはあっという間に過ぎる。

日中、変電所の不具合とかで、市内全域が停電しているというエリアメールが配信され、バスの中には不穏な空気が流れた。今週末には台風19号も接近する。

車内では「こんなことしている場合じゃないけれど、どうしても行っておきたかったら」という言葉も聞かれた。

ここに居る人たちの気持ちは同じなんだなと思えた。

◇◇◇

梨園で梨狩りをしたり、公園を散策したり、神社にお参りしたり。楽しい時間を過ごした。

その流れで「おやっ?」と違和感を感じることがあった。

添乗員から発せられた、「被災された方は、この機会に、神社にきちんとお参りしてくださいね」といった言葉だ。

そんなつもりで神社に来たわけではない。

「いわれのある由緒正しい神社」だから観光ついでに来たという程度の気持ちであった。だから「お参りする=お祓い」を連想させるような言葉になることにモヤッとしたものを感じたのだ。

「被災したのは、普段の心がけが悪いからですよ!」というニュアンスにとられかねない、微妙でギリギリのライン。

でも、まぁ、そんなに深く考えることもないなと私は割り切ることができたのだが、それを割り切ることができなかった人がいたようだ。

アンケートで「辛口のコメント」をもらったとして、ツアーの最後の挨拶で、添乗員さんが釈明されておられた。自分も同じ被災者ですよと。

添乗員さん自身も被災されていて心理的な余裕のない中でお仕事をされているから、言葉かけがうまくいかなったというのは理解できたが、最後の最後で楽しい時間が泡となって消えていくのを感じ、私は切なくなった。

この世界の中に、「屋根にブルーシートがかかってない場所がある」って気づけた楽しい一日だったのにな……。

言葉って難しい。