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素質賞賛主義

「美容整形をカミングアウト!」って人工的にお金をかけて美人になったということが、生まれながらにして美人というより格下という意識がある言葉の感じが好きでないんだよね。美人女優が、「普段何もメンテナンスしてません、顔洗ったら化粧水だけです」という定番セリフもそう。

「は、やばい。全然勉強してなーい」って言いつつ陰で必死に勉強していることを隠して、高得点を取るのもそう。(これは点数が低かった時の逃げ道を作るためもあるのかも)
「寝食を惜しんで、なりふり構わず、ようやく東大合格しましたー」というより、「授業の基本的なことのみをしっかりやりつつ、部活もしっかりやってたくさん遊んでだけど、なんか受かっちゃいましたー」という発言もそう。

痩せたい、筋肉大きくしたい!というモチベから一生懸命筋トレしてマッチョになった人に対して、「何か運動してるんですか?スポーツされていたんですか?」という問いに対し、「いえ、特に、全く。体を良くしたいのでジム行ってます」と返した時の、微妙な空気感もそう。養殖マッチョだからNG!ナルシズム感がダメってことなのかな?たとえ外見を気にしていても、「自分の見た目なんか一切気にしてない」という素振りが重要と思われる。なぜ?


元々このような容姿であった。最初からこうだった。特に努力もしてないけどできる。あまり勉強しなくても合格した。

このもともとの素質賞賛主義みたいなのなんなんだろう。


でもさ、「私は生まれながらにしてお金のある家庭に生まれて、何不自由なく暮らし、仕事も生活のためではなく、社会勉強のためや自己研鑽のためにやっているだけでお金や生活の心配をしたことないです。お金を稼ぐための苦労は一切したことはないですね。」この発言はひどく嫌われる傾向にあるよね。努力せずとも、元々お金あるのに。なぜだろう。金銭の要素はその人自身の素質じゃないから?でも、顔の造作や身長だって概ね遺伝的要素だからその人の完全な素質ではない気がしない?


本当に殊にお金系の話になると、突如この理屈が逆転するよね「努力して金持ち > 元々金持ち」の天秤になり、代々の資産、何も苦労もなくというのはあまり好ましく思われない傾向。苦労して一代で財を成した、あの人は叩き上げ、苦労人ということに賛辞が向く。


「私は顔の造作が客観的によいと思われないので、必死にお金をためて美容整形して美人になりました。」「私は記憶力も理解力も人より劣り、勉強は人の倍時間かかるので、交友関係などは全て断ちようやくこの試験に受かりました」というほうが夢を与えられるような気もするんだけど。

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