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『WHO YOU ARE』奴隷と武士と囚人とチンギス・ハンの文化(3/4)


今回は『多様性の達人』チンギス・ハンのお話です。前回のnoteはこちら。


世界を征服した男が、大切にしたこと

チンギス・ハン。歴史の教科書で何度となく落書きされ続けてきた彼が征服した地域は、とてもじゃないが落書きしきれない広さ

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A4用紙で約5京枚の広さ。1億人でも1人5億枚。1億人が1分1枚落書きし続けても950年かかる広さを、10万人の兵士で征服するなんてすごい。。(またムダな計算をしてしまった。。)

それだけ広い地域を征服するとなると、治めないといけない民族と人々の多様性も凄まじい

彼はひとつの地続きの帝国の中で、中国とペルシャとヨーロッパの人々を支配下に収め、イスラム教、仏教、キリスト教信者を統治し、カニバリズムの風習のある民族さえ治めていた。チンギス・ハンが築いた帝国の基盤は極めて強固で、彼の死後150年にもわたって領土は広がり続けた。(p.176)

奴隷だった子ども時代、逃げ出した自分を匿ってくれた見知らぬ人々の存在が「部族の外にも、家族と同じように心から信頼できる人はいる」という確信をもたらし、自分に対する行動をもとに他者を判断するように。

信教の自由であれ、共通文字の考案であれ、中継所の維持管理であれ、ゲーム遊びであれ、暦や紙幣や天文図の印刷であれ、モンゴル帝国の統治者たちは普遍主義を貫いた。自分たち独自のシステムにこだわらなかった彼らは、どこからでも積極的にシステムを取り入れて組み合わせた。この地域に根づいた文化的嗜好はなかったため、モンゴル人は思想信条より実用性を優先させた。一番うまくいくやり方を探し、それが見つかると領土全域に広めたのだった。(p.185)『チンギス・ハンとモンゴル帝国の歩み』(ジャック・ウェザーフォード)
ウイグル人の高い技能と才能と文化がモンゴル人のために活用され、彼らの文字が統治者層の公式第一言語として取り入れられたことで、この帝国は政治的にも精神的にも正当性を認められた。テムジンたちを残忍で血に飢えた野蛮人の寄せ集めと呼ぶ人はいなくなった。(p.190)

「多様性を大事に」と言っても「日本人同士のほうが仕事しやすい」と思ってしまいますし「言葉の壁が。。」とか「カルチャーが。。」という言い訳をしてしまいます。しかし、チンギス・ハンは他の民族の文字を第一言語にするところまで踏み込んで、融合を進めたという事実に、スケールの違う意思と行動力を感じ、ひれ伏したい気持ちでいっぱいになります。


実力主義と忠誠心あっての多様性

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多くの民族を統治するため、彼は忠誠心も重視しました。企業でいう『エンゲージメント』でしょうか。経営者を信じ、尊敬と献身の気持ちをもつことで「あの人が採用した人は、まちがいない」と思えたら、外国人役員が急に誕生しても、すんなり受け入れられるのかもしれません。経営者でなく『会社(やブランド)』をエンゲージメントの中心に据えると、それは掴みどころのないものになり、求心力も株価次第で乱高下してしまうのかも。。

一方、社員を採用する際に、どうしても拭えないバイアスもあります。

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「なるべく女性を多く採用しよう」という考えは、個人のありのままの実力をみずに『女性』という属性を切り取ることになる。一人ひとりの多様な性質を総合的にみるといっても、つい自分との違いに注目してしまう。もちろん共通点にも注目する側面もありますが、いずれにしろ基準はいつも自分になってしまいます

それを回避するには、他の人の判断基準や価値観を自分にインストールしていくことが必要で、そのようにして『個人の中の多様性の器』を広げていくプロセスこそ、多様性の文化の要なのかもしれません。


ここまで読んでくださり、ありがとうございました。次回は、『自分らしい文化をどうつくりあげるか』とこれまでのまとめです。でわでわ。