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『人新世の資本論』の紙芝居(前編)

なんでいま『人新世の資本論』なのか?

家で仕事をするようになり、
お昼ごはんをたべながらテレビをみるようになりました。

ついこないだ『100分de名著』の資本論をみて、はじめて斎藤 幸平さんのことを知り、「これは今すぐ読まなきゃいけないやつや!」と思い立って読んだのが『人新世(ひとしんせ)の資本論』。

※ 本書をシンプルな絵(チャート)にまとめてみた紙芝居(パワポ)は、noteの最後に掲載しているので、よかったらご活用ください。

製造業で新規事業を担当していると、「これからは環境への配慮が必要だ」とか「ESG投資の時代だ」「SDGsがだいじだ」という話をきくようになってきました。
漠然とした「このままじゃまずそう」という感覚と、工場の生産設備を中心として、生産性を優先し分業体制で働く社員の「このままはイヤだ」という閉塞感とを意識するようになった今のじぶんには、この本が一つの最終目標であり出発点になるように感じてます。

目次をみると

そもそも『人新世(ひとしんせ)』という言葉じたい聞いたこともないし、真っ黒なバックに意味深な赤い地球がただよってて、テレビで知らなかったらたぶん手に取らなかったかもしれない本書。

目次だけみると、場違い感、居たたまれなさを感じてしまいますが、NHKにで少しは知ってるつもりなので気にせず読みます。

わたしたちは帝国で暮らしている悪者

『帝国的生活』ときくと「ごく一部のお金持ちによる贅の極み」のようなイメージをもってしまいますが、電気を使って明るく光る日本に住むわれわれは、その帝国の一員です。

生活の中でCO2排出量を意識することはありません。
そんなこと考えていると、電気を使うのも移動するのも何かたべるのだって「申し訳ない」きもちになるので、ふだんは知らないふりをしています。

日本は海に囲まれていることもあり、幸か不幸か耳の痛い話をきくことは多くはありません。しかし、アメリカやヨーロッパ諸国の人々は、地続きの隣接地域の存在を、意識しない日はないのかもしれません。

押し寄せる環境難民を前に、トランプ大統領は無慈悲な対応を見せ、彼らを劣悪な状態で勾留し、入国することを断固として拒んだ。それどころか、メキシコとの国境に壁を建設中である。EUも押し寄せる難民をトルコに押し付けている。(p.54)

安価な労働力と、安価な資源を(企業という集団として)搾取したり。
農作物を無理に多く育てるために土地を枯らし、長期の干ばつやハリケーンの大型化など、人がいなければ起こらなかったはずの人災に見舞われるのは、いつも南の新興国の国々です。

アボカドの栽培に多くの水を使い、生活用水が足りなくなっているチリの人々の存在を「知りたくなかった」とは、いってられません。

太陽光電池と電気自動車は、地球を救ってはくれない

『富裕層トップ10%』が、『世界のCO2排出量の半分』を排出しています。もちろん日本人の多くの人は、そのトップ10%に入っています。

「それでもアボカドはたべたいし、いまの豊かな生活を失いたくない」

「新しい技術があれば、経済成長しながら環境問題を下げる目標も、なんとかなるんじゃない?」

そんな考えに斎藤さんは「そんなうまい話はない」と言い切ります

経済成長するほど、どうしても環境負荷が増えてしまう(経済成長の罠)。生産性を上げるだけだと失業者がでてしまうから、絶えず経済規模を拡張しなければならない(生産性の罠)。

極めつけは、期待の電気自動車のお話。

IEA(国際エネルギー機関)によれば、2040年までに、電気自動車は現在の200万台から、2億8000万台にまで伸びるという。ところが、それで削減される世界の二酸化炭素排出量は、わずか1%と推計されているのだ。(p.90)

※余剰国でガソリン車がさらに増大することが1つの要因らしいです。

No More 資本主義

経済成長をすてる『脱成長』を受け入れなきゃいけないと。
これからの未来の選択肢は4つあります。

現状をなるべく維持しつつ、課題解決でお金儲けをすることに焦点をあてる『惨事便乗型資本主義(すごいネーミング)』の世界では、権力者による支配と不平等がつづきます(『気候ファシズム』の未来)。

あるいは超富裕層1%に対して、のこりの99%の人々が反旗を翻して、世界が混沌に陥ると、だれもが「じぶんさえ良ければいい」という考えになり、北斗の拳の世界に(『野蛮』の未来)。

「それはイヤだ」と中央集権的に、平等主義的な対策をすすめると、自由民主主義は失われます(『気候毛沢東主義』の未来)。

目指すべきは、平等と自治による『X』の未来。(詳細は後半で紹介されます。)

脱成長を擁護したいなら、資本主義との折衷案では足りず、もっと困難な理論的・実践的課題に取り組まねばラナ内。歴史の分岐点においては、資本主義そのものに毅然とした態度で挑むべきなのである。
労働を抜本的に変革し、搾取と支配の階級的対立を乗り越え、自由、平等で、公正かつ持続可能な社会を打ち立てる。これこそが、新世代の脱成長論である。(p.137)

新しいマルクスが示す「みんなの地球」

ここから登場するマルクスさん。

彼が残したノートは膨大で、いまも世界の研究者が協力して100巻をこえる全集をまとめているところなので、いわゆる昔から言われている『資本論』のマルクス像とは異なる一面を、斎藤さんは紹介してくれます。

若かりし頃(1818年生まれなので30代から40前半)、彼は「生産力が世界を救う!」「ヨーロッパ万歳!」という考えをもっていましたが、次第に「ものは人と自然を循環してるから、エコを大事にしないと」や「他の国にある共同体というものはどうも良さそうだ」という考えに変わっていきました。

そして自然科学研究と共同体研究をつづけたマルクスは、ひとつの答えに行き着きます。

[資本主義の]危機は、資本主義制度の消滅によって終結し、また近代社会が、最も原古的(アルカイック)な類型のより高次の形態である集団的な生産および領有へと復帰することによって終結するであろう。(p.191)

それは経済成長をしない循環型の定常型経済でした。

「共同体とはどのようなものだろう」
「経済成長という生きがいをなくし、人はどんな生き方をするんだろう」
「世界全体とか言われても、明日からじぶんには何ができるんだろう」

いろんな問いやモヤモヤが浮かんできますが、本日はここまで。


ここまで長文をよんでくださり、本当にありがとうございます!
後半も、noteにまとめて掲載します。でわでわ。