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文披31題:Day29 焦がす

「お前のその魔力と探求心は、いつか自分の身を焦がすことになるだろうねぇ」
 彼女のお師匠様は、あきれたような、悟ったような、それでいてどうしようもない愛しいものを労るような、もしくは慈しむような声で、そう言った。
 なんで、と無邪気な声で尋ねると、苦笑して頭をなでられた。猫の仔にでもするような仕草に、こども扱いしないで、と突っぱねたかったが、お師匠様の手は優しくて暖かくて、とろりとした眠気と共にまぶたが重くなってくる。
「わからないままのほうが、幸せなこともあるんだよ。特にお前のような、まっすぐに前を向いていることしかできない娘はね」
 わからないことがあるのは嫌だなと思ったけれど、お師匠様が言うのなら、それが正しいのだろうなとも思った。
 お師匠様は彼女の素晴らしい道しるべで、お師匠様の教えに従っているときはおかしなことは起こらない。おかしなことが起こるのは、お師匠様の言葉に従わなかったときだ。
 でも、なぜだろう。いつからか、お師匠様が時折心配そうにこちらを見ていることが増えたのは。
 理由はわからなかったが、それでも彼女がお師匠様の表情に気づいたことを察すると、きりっとした、何かを決めるような顔をして「頑張っているな」と声をかけてくれた。
 お師匠様のそばにいれば安心。己の魔法の研究と、新たな兵器の開発は、とても楽しくて有意義だと思っていたし、お師匠様も応援してくれていた。
 素晴らしいと褒めてくれていたし、クライアントが喜んでいるよと教えてくれて、さらに彼女は研究と開発にのめりこみ、そしてはかどった。
 そうして、彼女はとんでもない魔法の暴走を起こして、このガラス張りの部屋の中に閉じ込められ、深海に沈められることになったのだ。
 これも、お師匠様が言うところの「身を焦がす」ということなんだろうかと思ったが、結局のところよくわからなかった。
 だって、お師匠様の応援を受けて頑張ったのに。お師匠様はだめだとは言わなかったのに。

『お師匠、お師匠。お師匠ってば!』
 ぷにぷにした、けれどどこか湿った感触のものが、頬を叩いている。声にならないうめき声をあげながら目を開けると、黒猫が机の上に乗り、前足で頬を叩いていた。
 なんで起こすのだ。こんなにゆっくり眠れることはあまりないのに。
 最近、この深海での暮らしにも慣れて研究もはかどり、寝食を忘れて没頭し続けた結果、彼女の生活リズムは大いに狂っていた。
 眠ろうとしても昂った神経が休まらない。体もぽかぽかして、なんともいえない奇妙な感覚が四肢をめぐっていて、不快だった。
 ただ、視界も思考も恐ろしいほどにクリアで、疲れているはずなのに研究ははかどり続けていた。先日描いてみた魔方陣に加筆と修正を繰り返し、だいぶ形になってきた実感が満足感を刺激している。
 開発した兵器魔法は、複雑になりすぎた感は否めないところだが、それはこれからブラッシュアップしていけばいいだろうと考えている。
 さて、とりあえず方向性を変えて火薬と魔法との良いタイミングでの結合と爆発の時間調整をと考えている間に眠っていたらしい。
 ブラックアウトした脳はしっかりと休息を得たらしく、昂った神経で起きていた時とは違ったすっきりとした思考になっていると感じる。
 とは言っても、どうせならもう少し寝ていたいと思うのも本音で、そのあたりを使い魔である黒猫に語ろうとしたときだった。
「……なんか、焦げ臭い?」
『だから、起こしたのに!!! 起きてもなんでそんなにぼうっとしてるのさ!』
 シャー!と黒猫が声を上げる。
『魚! 焼きすぎて焦げてるよ!』
「あ、ああああああっ!!!」
 思い出した。グリルで魚を焼く間に研究を進めようと考え事をしていたら、いつの間にか寝てしまったのだ。慌てて炊事場に駆け込むと、グリルで焼いていた魚が丸焦げになっていた。今日のお夕飯、『深海魚の黒焦げ』の出来上がりだ。
 せっかくいつもとは違う魔法を開発して、食べられそうな深海魚を捕まえたので調理してみたというのに、ただの黒焦げを作るなら世話がない。
 白い皿に、魚を載せてみる。黒と白のコントラストがある意味素晴らしい、とは……見えないし思えなかった。
『要らないからね』
 ちら、と黒猫に視線を送りかけたタイミングで黒猫がすかさず答える。嫌味な使い魔だ。
 仕方がない。今日はこの黒焦げ魚の、食べられるところだけ頑張ろう。明日はもっと、美味しい魚を捕まえて美味しく調理したいところだ。
『お師匠は、炎の魔法使いなのに料理の腕は全然だよね……火を制する者は料理を制する、みたいなこと、世の中の人は言うのに』
「使い魔が世の中の人を語らないでよ。人には誰しも向き不向き、得手不得手があるもんよ」
『魔法を使えば爆破がお得意の魔法使い様なら、爆発料理がお得意でしょうかねぇ?』
 くすくすと黒猫が笑いながらからかってくるのに腹が立ち、彼女は無言で皿から黒焦げの魚をつまみあげて黒猫の口にねじこんだ。
 濁音の鳴き声をあげた黒猫は、主である魔法使いの手をひっかいて全治一週間の傷を作り、魔法使いと使い魔はそのあと二週間ほど口をきかなかった。

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