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文披31題:Day27 鉱物

 促されて差し出した手のひらの、五本の指の先、爪の部分が、己のものと自分の手を眺める人のそれとは違うのを、ぼんやり眺める。
 爪は全体的に乳白色をしており、角度でゆるりといろいろな色に光を弾いている。オパールという石だよ、と昔、目の前の医師に教えられた。
「……うん、今日は調子がよさそうだね」
 かかりつけの医師がにこりと笑って言った。調子が良い、は体調のことではない。
 体の鉱物化の進行があまり進んでいないということだ。
「もう少し進行が遅らせていければ、大人になれるし魔法も外に作用できると思うんだけどね」
 なにせあまり例がないから、と恐縮して応える医師に、そうだろうなと思う。
 石の魔法使いとして生まれたがゆえに、自分の体が鉱物化していくなんて。
 普通はありえないことだと言われるらしい。そりゃそうだ。水の魔法使いが液体化したり花の魔法使いが花になったり花びらで舞ったりしたら恐ろしい。
 つまり、自分は魔法使いとして生まれたけれど、うまく魔法の力が作用できない体だということだ。
 生まれた瞬間からひじのあたりが硬く、なにかと思ったら真珠と同じ成分だったというのが始まりだ。
 その部分はなぜか剥がれ落ちて今はつるりとしているが、体の部分部分でそれぞれいろいろな鉱物ができるので、石の魔法使いの素質はあるが、外に向けられず内部に作用しているのだと診断が下された。
 医師の診断では、成長するにつれ魔力も上がるために鉱物化が強まる可能性が高い。もともと外へ放出する能力が苦手な分、その進行を遅らせて魔法の作用を外に向けられるようにするのと競争だと冗談めかして言われた。
 軽い言い方だったけれど、少しでも気に病むことがないようにとの気遣いだったのだろうなと思う。
「それにしても、君はまったく怖がらないよね」
「まぁ……どうにもならないことですし」
 いつか石になる、と言われたらそりゃあ誰だって怖くなるとは思う。その点を配慮した話しぶりをしてくれるこの医師は、思慮深い「善い人」なんだろうなと思う。
「君の魔法が作用しているんだから、心持ち次第で変わる所もあると思うんだけどね」
「進行を、僕が決められるんですか」
「まぁ、魔法の力を持っているのは君だからねぇ。どうしようもない部分は残るかもしれないけれど、魔法に働きかけることはできると思うよ」
 その辺りは専門じゃないから詳しくないけど、と医師は締めくくった。まだ対抗策のない病に対する表情をするならこういうものなんだろうという顔だ。
「先生、今日の診察代はいくらですか」
「そうだねぇ」
 顎に手を当てて医師は考えるそぶりを見せた。でも、これがただのフリだとわかっている。
「今日は……そうだね、髪を数本、切ってもらってもいいかな」
 そう、いつだって、同じことしか言わないのだから。
 鉱物化した体の一部を提供する。それがこの不思議な事象への対価だ。身寄りのない自分が支払えるものがあってよかったと思っている。
 自分のためにと用意されている小さな鋏を取り出し、医師が髪に手を伸ばす。髪は伸びるのが遅いので、数か月に一度だけの提供だ。主には爪が多い。
 手の爪はオパール、足の爪は翡翠になることが多い。少しずつではあるが、提供した体の一部は貴重な鉱物だからと薬の材料になったりするそうだ。
 医師が痛みを感じない程度に掴んだ髪を引く。切りやすいようにと動きに合わせて少し視線を落とすと、耳元でシャキン、と軽い音が響いた。
「はい、おしまい。毎度あり~]
 仮にも医師と名乗る人物が口にするには不似合いにも感じる言葉と共に、切られた髪を持った指が離れた。
 鉱物化した髪は少し探さないと見つけにくいはずだが、医師は器用に手繰り寄せて切り取ったらしい。元の髪の色と変わっては見えないので首を傾げていると、「オニキスだよ」と笑われた。
 窓口で薬をもらってから帰ってねと送り出されて、いつも通りに薬を受け取って診療所を出る。燦燦と照り付けてくる太陽がまぶしくて、額に手をかざすと、新たに鉱物化した部分を見つけた。
「青い、なぁ……」
 腕の一部が透明な青い鉱物になっている。石の魔法使いでありながらそんなに鉱物には詳しくないので石の名前などはわからないが、とりあえず綺麗だなとは思う。
 正直なところ、医師は鉱物化する体に生まれついたことを哀れなことのように心配してくれているが、当人としてはあまり気にしてはいない。石は綺麗だし、体から切り離せる部分ならば金に換えることだってできる。
 いろんな大人の手を介してここまで来れたことがありがたいと思う反面、なれるならば早く石になってしまいたいなと思ってもいるのだ。
 身内は誰もいない。父親のいない子供として生まれ落ち、産後の肥立ちが悪く母は物心つく頃に世を去った。
 王都からもほど遠い辺鄙な村で、人は優しいほうだった。鉱物化するこどもを恐ろしがるよりも、母を亡くした哀れな子とまわりはそれなりの手を差し伸べてくれた。それは慎ましく生きていくくらいには十分な施しで、鉱物化した体の一部でできた金でお返しをすれば、問題なく暮らしていけた。
 時折貴重な鉱物を生むこどもなど、売り払ってしまえば金にはなっただろうが、なぜか誰もそうしなかった。もしかしたら、呪われているとでも思っているのかもしれない。
 薬を抱えて歩いていると、道端に布くずのようなものを見つけた。こんなところに誰かがごみでも捨てたのかと思いながら、通り道なので必然、近づいていく。
 ごみだと思ったものは、人間だった。自分よりもいくつか年下に見える、小さな少女。汚い布にまみれてうずくまり、細い呼吸を繰り返している。
 その姿を見た瞬間、とてつもない焦りに襲われた。このままでは、この子は干からびて死んでしまう。
 なぜ誰も見向きもしないのか。むしろ避けて歩いているような気がする。
 けれどどうしても見捨てていくことはできず、そっと近づき、声をかけた。
「どうしたの、なんでこんなとこに座ってるの……?」
 少女は答えない。意識がないのかと思ったが、違うようだ。虚ろな目でぶつぶつと何かをつぶやいている。
 耳を澄まして聞いてみると、「水、おみず……」と聞こえた。喉が渇いているらしい。
「水が欲しいんだね、ちょっと待ってて」
 幸い、家は近い。生まれてすぐに死んだ母ではあるが、自分の家を持っていたためありがたくそのまま暮らしている。走って戻るとコップを手に取り井戸に走り、水を汲む。
 コップを手に、少女のもとに戻ると少女は横になっている。
「大丈夫? 水を持ってきたよ、飲める?」
 起き上がることもできないのか、「おみず」とだけ繰り返す少女にどうしたものかと困り、少しだけ唇の上に水を垂らした。湿り気を帯びた唇に水の気配を感じたのか、小さな舌が、唇をなめた。
「み、ず……」
「そうだよ、水だよ。起き上がれるならコップで飲んで」
 水が飲めると本能が察したのか、少女はのろのろと起き上がり、差し出したコップを手に取り水を含む。一口含んで、そのまま顔にかぶるほどの勢いで飲み干した。
 嚥下の音さえ響き渡るように一気にコップを干した少女は、ぼんやりとした様子で手元を見つめていた。
「まだ飲むなら、家に行こう。そうしたら、もっと飲めるよ」
 促すと、少女は素直に従った。うまく動かせないのかひきずるような足取りで進み、コップを取りに走った時間の数倍をかけて家へとたどり着いた。
 改めて水の入ったコップを差し出すと、また一気に飲み干した。それならば要らないと言われるまでと汲み続け、コップに注いで渡す。十杯を超えたほどで少女はコップをテーブルに置いた。
「ありがとう、ございます……」
 小さな声で言い、ぺこりと頭を下げると椅子から降りて出ていこうとする。ふらふらとした足取りは、ともすれば今にも倒れてしまいそうで慌てて引き留める。
「どこへ行くの? 少し休んでからの方がいいんじゃない?」
「だいじょうぶ、それに、私は汚いから、いなくなったほうがいいの」
 ゆっくりとした口調だが、先ほどよりもはっきりと理性のこもった返答が返った。振り返りもせず歩いていこうとする少女の手首をつかんで引くと、抵抗できずに少女は足を止めた。
「汚いって何」
「私は病気なんだって、人に移してしまうから、誰かと仲良くしちゃダメだって、みんなが言ったから」
「そうなの? なんの病気なの?」
「わからない……」
 不安そうな声でつぶやいたまま、少女は立ち尽くして口をつぐんだ。細い手足が小さく震えているのを見て、思わず言った。
「ボクには移らないよ! だからここにいたらいいよ」
「なんで……?」
「ボクは、石の魔法使いだから」
 きっぱりと言うと、少女がこちらを見て、「石……」といぶかし気な顔をした。しかし、しばらくして「そうかも」とつぶやく。
「石なら、病気になんてならないものね」
 なら、少しだけ休ませて。と少女が言うのに二つ返事で返す。つかんでいた手首を離して手を握ると、強い力で握り返された。
 ああ、不安だったんだなと思う。そして、自分はこの少女にいてほしかったんだな、と思った。
 孤独を抱えた二人の、不思議な同居が始まった瞬間だった。

 少女との暮らしは不思議なものだった。いるのにいない、いないと思ったらいる。曖昧な距離感で、けれど心地よくもあり、元気になるまでと言っていた少女はいつの間にか生活を取り仕切る役目を担うようになっていた。
 栄養失調で皮と骨になっていた体は少なくとも肉はつき、ぼろぼろではなくなったし、意外とおしゃべりなこともわかった。
 誰かに言われた「病気だから人に近寄るな」と言う言葉を信じて人を避けようとした結果、あんな様子だったらしい。
 移らないと宣言した自分には心を開いているようで、二人きりのときはいろんな話をした。
 二人で暮らすようになったとて、元々慎ましく食うに困らない程度の生活はできていたのでそこまで苦労はなく過ごすことができた。
 定期的な鉱物化の検診を受け、体の一部を金に換えて生活費にする。少女は家のことをしてくれて、穏やかな日々が紡がれていた。
 いつか石になる体のことを受け入れてはいたが、できるなら石にならずに生きていけるようであればいいのになと思うようにはなっていた。それほどに、少女との日々は優しく温かく心に染み渡っていた
 けれど、いつからだろう。少女が自分の体が鉱物化するたびに、「これはお金になるの? 高く売れる?」と聞くようになったのは。
 少女は自分の身を飾るようになり、時折生活費が足りないと大きな声を出すようになった。「石の魔法で高価な宝石を生み出したりはできないの?」と尋ねてくるようになった。
 綺麗に整えられていた家は荒れ、外出を好んでいなかったはずの少女が頻繁に外泊するようになったのは、生活を共にして何年も経った頃。
 同時に、体の鉱物化が頻繁に起こるようになった頃。
「これは……まずいなぁ」
 定期健診で、いつもと変わらない穏やかな調子で医師が言う。どんな時でも平常心を心がけていると笑っていた医師は、それでも悩まし気に眉を寄せていた。
 手の甲にびっしりと浮いた緑色の鉱物、首にはうろこのように銀と青の後部が浮き、足の爪はすべて翡翠に変わっていた。
「急に進行が早まっている。薬は飲んでいる?」
「はい、飲んでいます」
「今まで何ともなかったのに、とりあえず今日は様子見とするけど、今度はもう少し早い日にちで来るようにしてもらおうか」
「はい」
 進行具合の確認のために、次の検診までの日程を短く設定して、診療所を出る。薬の包みはやけに重く感じた。
 家に帰ると、少女がいつか、水を渡したコップで果実の汁を飲みながら鼻歌を歌っていた。
「今日は、帰ってたんだね」
 三日ほど前から姿が見えなかったが、今日は帰る気になったらしい。こちらに気づくとニィ、と唇を歪めて笑った。
 どうしてこんな風になってしまったのかな、とぼんやりとした頭で思う。かぼそくて消えてしまいそうな、不安げなあの少女はどこに行ってしまったのだろう。あの、手を握った時に不安を分かち合えた気がしたあのこは。
「おかえりくらい言ってくれないの?」
「……おかえりなさい」
 くすくす笑いながら、少女は椅子を揺らしている。あのね、と少女が口を開いた。
「ただいまだけど、今度出たら、帰ってこないことにしたの」
 え、と顔を上げると、少女は笑っていた。さようならよ、と少女は言う。
「もういいの、私はここから出ていくわ。あなたは石の魔法を活用するわけでもないし、ここでの生活は楽だけど退屈だから。もう、飽きたの」
 だからお別れ、と少女は笑った。
 立ち上がると、こちらに近づいてくる。
「ねぇ、鉱物化、進んでるみたいね。いつ頃完全に石になるの? 私はいなくなるけれど、あなたが石になったときは、高く売らせて頂戴ね」
 すれ違いざまの言葉に、とっさに少女の手首をつかんでいた。放して、と少女が抵抗しようとするが、放す気は浮かばなかった。
「ボクがいつか石になることを知っていて、置いていくの? 暮らしたいだけ暮らして、見捨てていくの?」
「そうよ、あなたのことなんてもう要らないの!」
 はっきりとした拒絶の言葉を聞いた瞬間、目の前が真っ暗になった。そして、体の中でとてつもない熱さを感じた。
 どろどろとした嫌な感覚が不快で、なんとか逃げ出そうと、追い出そうとすると内から外に向けて飛び出すような感覚とともに、何かが解放された感覚がした。
 そして気づいた時には、少女はもういなかった。代わりに目の前にあったのは、少女の形をした赤い宝石だった。
「は、はは、ははははははは」
 唇から漏れた声は、いつの間にか笑い声になり、止まらずにあふれ出していた。笑い続けるうちに気を失って、次に目が覚めた時には、王都の牢の中だった。
 “石の魔法により人を害した罪”で問い質されるのだという。石の魔法使いとしてまともに魔法を使えたのはあの時だというのに、それがすべての始まりで、終わりだったとは。
 あまりの皮肉だ。自分が鉱物になるはずだったのに、他人を鉱物にしてしまった。
 すべてがどうでもよくなり、かけられた裁判ではすべてに是と返した。真実であり争う気も起らなかった。
 人を害したものではあったが、状況を鑑みた結果、魔法を封じられるという魔法使いにとっては最高の罰を受ける裁決をうけることになった。
 まわりはたいそう騒いでいたが、もともとままならない魔法だったために、どうでも良かった。
 魔法が使えないという烙印はあったが、魔法使いでない身であるならば害はないと自由を許され、一度、元の家に帰ることにした。どうせ行く当てもない。
 家に戻ると、検診を行ってくれていた医師がいた。家の管理をしてくれていたのだろう。鉱物化の様子を見ていただけに、責任を感じているらしい。
「先生、お手間をおかけしました」
「ああ、いや……」
 口ごもる医師は、何と言ったらいいかわからないらしい。それもそうだろう、目の前にいるのはもう何もできないとはいえ、犯罪者だ。
「先生には迷惑ばかりですみません。ここでまた暮らそうかと思いましたが、あまりよくないかと思うので、片付けをしたら明日には出ていきます。ただ、最後にひとつだけ、お願いがあるのですが」
 医師は、自分の願い事を不思議がっていたが、「それくらいなら」と快く引き受けてくれた。
 翌日、家を訪れた医師が見たのは、鮮やかな紅色の、人の内臓のひとつによく似た大きさの貴石だった。見事な色と輝きは、たいそうな値打ちがつくと一目でわかるものだった。
 そばには手紙が置かれ、「先生へ」と宛名が記してあった。

『先生へ いろいろとお世話になりました。お礼にもなりませんが、これを置いていきます。どのように扱ってもらっても構いません。もうお会いすることもないでしょうが、お元気で。』

 医師の脳裏に、己が口にした言葉がよぎった。
『魔法に働きかけることはできると思うよ』
 そうか、彼は。
 手紙の重しとなっていた石を手に取り、眺める。まるで脈打つように、貴石は光を弾いていた。

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