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文披31題:Day13 定規

「助手よ!」
 朝から元気だな、と心底思った。なんで真夏の朝イチからあんなに腹から声が出せるんだろう、あの人。
 向日葵もかくやと思わせるほどににこにこしながら両手を広げ、研究室に出勤してきたところを迎え入れられたが、初対面と同じくドアを閉めて去りたくなる。
 それでも現時点で、この場に立っているだけで給料が発生し始めているということを思うとそうもいかず、しぶしぶと足を踏み入れた。背中でパタン、とドアが閉まる音が最後通告のように聞こえる。
 もうすぐ賞与ももらえるというのをよすがにのろのろと自分のデスクに向かう。そう、賞与。あれで人気の砂糖菓子店でオーダーメイドの箱入り菓子を作って恋人に渡す、というのが最大の目標なのだ。
「助手、さっさと準備したまえ、さぁさぁさぁさぁ!!!」
 襟元をつかんできてぐいぐい揺すられるのを受け流しながら、一番上の引き出しからプレートを取り出して身に着ける。さあ、今日も奇人変人を煮凝りしたような上司と「タノシイお仕事」の開始だ。
 朝から何を興奮していたのかと思っていたが、上司ことアカデミーの魔法研究家は、本日鍋をかき混ぜることではなく、別のことをするために大興奮していた。
「ほら、これを見ろ!」
 研究室に備え付けられた黒板は、一方向についての壁の大部分を占めていて、上部分と三分割セパレートタイプになっている。
 その黒板を器用に使い、上司は図面のようなものを描いていた。
「先生、それは……」
「よくぞ聞いてくれた! これは、『彫像』の設計図だ!」
 バァン!と勢いよく黒板を叩いてドヤ顔を決めてくる上司もその図面を見たくなくて目をそらすと、助手兼研究員として在籍しているピンク髪の女性が片手を立てて左右に振っていた。「ムリムリ、せんせぇなんにも聞く気、ないから」とでも言いたいのだろう。相変わらず目の下に黒いクマが浮いている。また徹夜記録を更新しているのかもしれない。
「ほら、美しいだろうこのフォルム、この曲線の優美さがわかるかね! これを実現させればそれはもう、素晴らしい研究結果となるだろう!」
 悦に入った上司は誰も聞いておらずとも関係なく話し続けている。これのどこが、と力いっぱい突っ込みたかったが、やめておいた。聞けば面倒な説明を数時間は聞かされることになる。
「えぇと、先生が作りたいのは、氷の『彫像』なんですよね?」
「そうとも!」
 えっへん、と胸を張って上司が応える。
「この暑いところで、どうやって……」
「もちろん、今までの研究成果を生かし、最大に活用し、この彫像をもって暑さを改善させるのだ!」
 確かに連日、うだるどころかばたばたと人が倒れているような暑さが続いているが、そのために考えたのがこの氷の『彫像』製作だと、上司は言いたいらしい。
 暑すぎて壊れちゃったのかな、と夏の暑さどころか上司のいつも通り以上の突拍子のなさに気が遠くなりかけるが、ここで倒れても何もならない。しかも、おそらく上司は「助手!」と思い切り、力いっぱい、たたき起こしてくるだろう。
 なぜならば、上司は現時点でこの『彫像』を作り上げねば気が済まない状態になっているのだから。
「……わかりました。でも、どうやってこんな巨大な氷を調達して、形を作って、魔法式を組んで埋め込んで作用させるんですか」
 聞きたいことの要点は簡潔なほうがいい。「どうしたらいいんですか」と曖昧な質問をすると、この上司は嫌がるどころか嬉々として一から十、いや、百や千の情報量を与えてくるのだ。
 それはだね、と案の定一から理論を説明しだしそうな気配を醸し出した上司を「あ、詳細はいいです」とぶった切って話を進めることにする。このやり取りは常態化しているため、二人の間に不穏な空気が流れることはない。
 なんでこんな面倒くさがりの話聞かないやつが助手として重宝されてるんだよ、は助手の本音だったりする。
 だが、初めこそぶすくれることもあった上司だが、助手の言うことに従ったほうが結果として自分の求める結果ややりたいことができると気づいたからだ。だからこそ、助手は重宝されすぎて上司に朝から張り切ってこき使われることになっているのだが、それには気づいていない。
 今回も自分の考えていたことと同じ目線で「必要なこと」を上げ連ねた助手の言葉に魔法研究家はご満悦でうなずいた。
「そこはな、こんなものを作りたいとつぶやいたらあちこちから協力を得られたので問題ない!」
 氷は、氷の魔法使いが提供してくれるのだという。見た目と同じく涼やかな女性だが、この暑い夏に氷の恩恵を受けようと人が群がるため、代わりになるものができるならと喜んで協力してくれることになったのだという。
 氷を削ることに関しては風の魔法使いが、魔法式を組むのは上司が担当することになっているのだという。最後の埋め込んで安定させる、は担当者に交渉中とのこと。
 少なくとも、無謀無策の動き方ではなかったのだなということと、案外この上司はコミュニケーション能力があるじゃないかと感心していたら、後ろからピンク色の髪の同僚が
「総務課の主任さんが、『ぜひとも!』って頑張ってくれてたの~。おかげさまで、この研究室もいまやちょっとした期待の星よぅ」
 それは正直、嬉しくないなと思った。厄介ごとの解決を押し付けられただけではないのか。助手だというのにそこまでお膳立てされてからしか動員がかからないということは、あの「主任」プレート職員あたりが暗躍したのだろう。そうして、最後の仕上げに立ち会うことだけ任されたというところか。
 してやられた、と思う間に氷の魔法使いが現れ、巨大な氷塊を作るとのたまった。作業場は、と訴えかけると、
「ここでいいって、研究室の責任者に言われたから……」
 アイスブルーの瞳を細めて言われて黙らざるを得ない。室内をなんとか片付ける時間をもぎ取り、部屋のど真ん中に氷塊を作ってもらうだけの場所を確保すると、数時間かけて氷の魔法使いは部屋いっぱいの大きさの氷塊を作って立ち去った。
「疲れた……しばらく氷作れないわ……」
 だから任せたわよ、とへろへろと出ていくあたり、このひとも大変だなぁと見送ったところで風の魔法使いが現れた。氷塊を削ってくれる担当者だ。
「これ削ればいいんだろ? ざっくりと削る形は聞いてるけど、具体的な図面とかはないの?」
 聞かれてあちらです、と黒板を示すと「ああ……」と空虚な瞳で生返事が返った。わからなくもない。
 けれど仕事であり、生真面目な性格なのかすぐに飲み込んで風の魔法使いは「危ないから」と室内から自分以外を追い出し、数十分で黒板の図案通りに氷塊の形を整えてくれた。
「完成したら、優先的に使わせてくれよ」
 柔和な笑みを浮かべて風の魔法使いが去ると、次は我らが研究室長であるところの魔法研究家の出番だ。
 と言っても、魔法の使えない彼はすでに組み立てた魔法式を埋め込むことを考えるだけでよい。
「と、いっても、具体的なところは最後の結論が出ていないのだよ」
 魔法式の安定性を保つのに必要な媒介が見当たらなくて、と腕組みし始める様子を見せる上司に、助手は慌てる。
「今になってそれですか。なんですか媒体って」
「なんか、氷の中で温度を循環させて調整して保つようにするために、まっすぐである程度硬い材質で、感覚として導く要素のあるものが欲しいんだって」
 ピンク色の髪の女性が変な理論よね、と笑っているがそれどころではない。あまり放置しては氷が溶けてしまう。すでに表面にうっすらと水滴が浮きそうな気配に焦るばかりだ。
「先生、まっすぐである程度硬い素材で導く要素があればいいんですよね!?」
「ああ、そう。まっすぐで硬くて導く要素があればいい! あとは調整の魔法使いがそろそろ来るはずだから彼にその媒介と氷に込められた冷気の魔法力を結びつかせて安定させれば……」
 ぶつぶつつぶやき出してしまった上司に「ああもう!」と焦っていると、勢いよくドアが開いた。
「こんにちはー! 呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃーん! うわぁでっかいなぁ、思ってたよりもでかくてひんやりでサイコー!」
 はしゃいだ様子で飛び込んできたのが調整の魔法使いだろうか。隣には先ほど氷を削ってくれた風の魔法使いが立っており、はしゃぐ彼をおしとどめてくれた。
「あああ、先生来ちゃったじゃないですか! 媒介、まだ思いつかないですか?」
「そうだなぁ、まっすぐで硬くて導く要素があればそれでいいんだが」
「ああもう、じゃあこれでどうですか!」
 と、思いついたものを目の前に突き出すと、上司の顔はパァッと輝いた。探していた宝物をみつけたこどものように、差し出されたものをむんずとつかみ取り、器用に氷の上に飛び乗った。
「さあ来たまえ調整の魔法使い殿! これを媒介として魔法を、この研究を完成させるのだ!」
 氷の頂点でその「まっすぐで硬くて導く要素」を力いっぱい突き刺し、促す。
「よしきた、任せとけって!」
 と、調整の魔法使いは上司の言葉にノリノリで上司のそばまで行くと、魔法を使った。

 翌日。アカデミーの広場の真ん中に、巨大な氷の彫像が突如出現した、とアカデミー中で騒ぎになった。
 どちらかといえば嬉しい声の多い騒ぎようだったのは、それが「クマの形をした巨大な彫像が、手と足と口から冷たい水蒸気を吐き出す代物」だったからだ。
 ただの冷気を発するだけの氷の予定だったクマを、水蒸気を出す形にしたのは助手の提案で、最後に媒介に魔法を組み込むようにして、結び付けてもらったのだ。
 アカデミーに通う生徒や職員は喜んでクマのそばに赴き涼を得ていたが、ひそひそと時折疑問の声が上がった。
「ねぇ、あれ、何……? なんであんなところに刺さってるの?」
「なんか、魔法の『媒介』らしいよ……抜くと魔法が解けるから、絶対触るな、って」
「いや、それはいいんだけど、なんで鉄性の定規なわけ……? しかも三本……」
「さぁ……」
 クマの頭に三本の毛が生えたように定規が刺さっている理由は、わかっていても不思議なものだと謎をはらんだ名物が、この夏にアカデミーに生まれたのだった。

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