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文披31題:Day8  雷雨

 威勢のいい掛け声ひとつ。それを聞いた瞬間には、狙いの相手は絶命している。ただし、このたびの的は敵の武人ではなく、何重もの円を描いた訓練用の的だったが。
 的の中央あたりにまっすぐ射られた矢は、しっかりと突き刺さっており、射手の腕と力を思わせるものだ。
「いつもながら、お見事」
 ぱちぱち、と乾いた拍手と共に与えられた賛辞に、射手は言われて無言で膝を折り頭を下げた。雷のごとく、と言われるほど鋭い弓矢を放つその弓士は、黒く長い髪を頭頂にひとつ結んで背中に流しており、立ち振る舞いも涼やかで清々しい。
 切れ長の青い瞳が感情の乗らない冷たい色で声をかけた相手を見つめると、気圧されたように拍手が止まった。後ろに立っていた男が開いた扇をぱちりと閉じると、黙り込んでしまった相手がはっと気づいて咳払いした。
 小さくうなずいた扇の男はきらびやかな装飾の衣装をまとっており、弓を扱う者たちの訓練場にはとても不釣り合いな格好だったが、誰にも咎められることはない。
 扇の男は、この国の頂点に立つ、帝の立場であるのだから。
 帝が直接、兵士の訓練を視察するなど普通ではありえない。けれど、おかしいことではなかった。この国は今、戦が始まろうとしている。
 帝一行の一番近くにあり、たったいま矢を射た弓士が口を開く。見た目と同じく、高くも低くもない、涼やかな声が訓練場に響いた。
「我が白国の帝のおんための我が矢でありますれば、敵を屠りお役に立てることこそ我が誉れ」
「よく言った。頼りにしているぞ」
 満足そうに帝が言うと、射手とまわりの兵士たちも深く頭を垂れる。直接言葉を賜るなど、ほとんどありえないことなのだから。
 今代の帝は戦にはなってしまったものの、国を善く治めていた。どちらかと言えば、隣国である赤国の王が無茶を言い出し、それを咎めたことへの逆恨みであると、国民はみな知っていた。
 だからこそ、自国を守るために戦いに身を投じることに躊躇はなかった。恐れがないといえば噓だが、何もしなければ侵略と暴力と酒と女がたいそう好みの赤国の王に蹂躙されるしかないことは明白だ。女もこどもも関係なく、みなが恐れながらも戦に備えていた。
「まるで、雷撃のようであることよ」
 帝の傍らに添うように立っていた女が朱唇を開いてたとえた言葉により、帝とその妃から顔を覚えられた結果、射手は「雷撃の射手」と二つ名を持つこととなり、いち弓士団の長を担うこととなった。
 一兵士の突然の大出世にまわりは沸き立った。当の弓士は動じていなかったが、まわりの兵士たちは控えめだがとんでもない実力を持った弓士のことを認めていたため、頼もしい事とするりと受け入れた。
 開戦まであとひとつきと数えた春の終わりのことだった。

 戦は果たして開かれた。しかも、最悪の形で。
 本来は互いの君主が名乗りを上げ、開戦を報せる銅鑼の音と旗が揚げられることで無関係なものを巻き込まないよう配慮するのが通例だったはずなのに、赤国の王は白国との国境の村を焼き払うことでそれに代えた。
 まわりの国からはもちろん非難が相次いだが、勝てば官軍と言わんばかりに奇襲を用いてさらに無関係の村まで略奪を始めたため、事態は混乱し、白国は防衛線を張る対処から始まった。
 それでも団結力を高めた白国の力はさすがなもので、数日もすれば互角の戦況となり、その一端を担ったのは彼の「雷撃の射手」が率いる弓士団だった。
 破竹の勢いで攻め立ててくる赤国の、兵というよりもならず者たちを歩兵団と共に押し返し、たちまち戦況を覆す。はじめに奇襲された村は奪い返され、さらにそれを足掛かりとして赤国内へと兵を進める。
 このまま戦は終わるかに思えた。悪評高い赤国の王の死か、もしくは降伏をもって。
 ただし、白国の帝は温厚であり民は資力と考える人物だったため、赤国の民とて同じと無体なことを命じはしなかった。そのため、赤国まで進出した際には「無理な行軍は無用」との通達が早馬で前線の兵士たちに告げられた。
 そうなると、自然、戦は膠着状態となる。戦力を削られながらも己も他人も関係なく、命を奪いつくそうとする防衛側と、対して命まではとろうとしない攻撃側。矛盾した状態でじりじりとした時間ばかりが過ぎていく。
 持久戦になるならそれもよし、と帝が下した判断により余裕がある白国は、気を抜いていた。しかし責められるものではない。最低限の備えは行っていたのだから。
 気づいたのは、夜半過ぎ、見回りの兵士だった。
「雨……?」
 ぽつり、と落ちてきた雫に空を見上げて間もなく。野営する兵士たちを嵐が襲った。何の前触れもなかった。
 さすがに嵐の準備までには至っておらず、慌てて態勢を整える白国の兵士たちの隙を、赤国の兵士は見逃さなかった。赤国の兵士たちは嵐の訪れを知っていたのだろう。慌てふためく兵士を襲い、あっという間に一つの野営地が落とされた。
 白国の軍は驚きながらも卑怯な赤国のやることはやはり卑怯だと立て直しを図るが戦の奇襲よりも自然の猛威は恐ろしく、対応するだけで精いっぱいだった。幸いなのは、開戦時と同じく奇襲に対して持ち直しが早かったことだろう。それでも前線の兵士は減らされ、頼りの綱は前線で最大の活躍を上げている弓士団と、その団長である「雷撃の射手」だった。
 白国の帝は弓士団長に文にて命を下した。
『赤国の王を討ち取れ』
 白国の帝が、ついに決断したのだ。
 そうして弓士団が動き出すと、不思議なことに、計ったように嵐もまた、その行軍に合わせて動いたのだった。

 土砂降りの雨のせいで、視界が悪い。弓士はこれは自分のために用意された舞台なのだと分かった。
 草原にいつの間にか一人になっていた。ひどい雨は、仲間や自分の感覚を惑わせちりぢりに動かしたらしい。とんでもないな、と思った。
 ひとまず周りの様子を探ろうと立っていると、さく、ともびしゃ、ともつかない足音が近づく。
「初めまして。それともごきげんよう、でしょうか。雷撃の射手よ」
 淡々とした声だった。静かに染み入るような、この天気にまるで似つかわしくない、柔らかな声音。
「わたしは雨の魔法使いと呼ばれています。名の通り、雨を操ります」
 それくらいしかできませんがね、と自嘲気味に魔法使いは笑った。こちらとしては魔法が使えるだけうらやましいというのに。
「お初にお目にかかる。雨の魔法使い。私の二つ名をご存じとは、光栄なことで」
 にこりともせず応えると、灰色のローブに身を包んだ魔法使いは、かろうじて見える口元を小さく歪ませた。笑っているのだ、とわかった。
 雨は相変わらずひどい。けれど不思議なことに、二人の会話はなんの不都合もなく行われている。
「ええ、とても有名ですよ。雷のように鋭く、速く、強いのだと」
「かなりの評判に恥じ入るべきかと思うが、そんなことを言うためにここに来たのではないだろう」
「よくおわかりですね。そう、ボクの目的は、あなたです」
 あっさりと認めた魔法使いに、弓士は鼻白んだ。得体のしれない空気に背筋が粟立つ。魔法使いのことはあまり知らないが、不思議な技を使う者たちだと聞いたことがある。
 何かひとつ、優れたものを操る者。魔力と呼ばれるもので、その優れたものを自在に、意のままに、扱うのだという。
「へェ? 私のことが目的、と」
「はい」
 頷いて、魔法使いは左手を空に掲げる。袖が少しずれて、杖を手に持っているのだと分かった。
「ボクは赤の国の王に雇われました。憎らしい弓兵がいると。その弓兵の首を持って帰ってきたら、褒美をやると言われてやってきました」
「何を」
「赤の国の姫君を」
 ボクは彼女を救いたいんですよ、と小さくつぶやいた。
「だから、あなたの首を獲ります。そうすれば、赤の国の王は白の国に勝てると思っている」
 何を言っているのだろう、と弓士は思った。たかが一兵士の首を獲るだけで国の勝敗がつくものか。たしかに赤の国の兵士たちを幾人も射たが、目を付けられるほどでもないはずだ。
 魔法使いの真意を探るべく、蒼い瞳がじっとにらむ。ローブを目深にかぶった魔法使いは、身じろぎせずその視線を受け止めた。
「お前、王を惑わせたな。もしくは脅したか」
「人聞きの悪い。赤の国の王は、私に命令しただけですよ。あなたを殺せば勝てると思ってね」
 雨の魔法がどれほどの威力を持っているのかはわからないし、魔法使いと魔法使いが求める姫君のことはどうでもよかったが、目の前の魔法使いが何か、おかしなことをしていることだけはわかった。
 結果として、この戦はすでに破綻を迎えているということも。
「私の首を獲る意味があるのか?」
「意味なんて、つければいいんです。あなたの二つ名だってそれだ。ボクは雨の魔法使い。対峙するには雷がもってこいじゃないかと。雨には雷がつきものでしょう?」
「それだけで?」
 それだけで、と繰り返した。互いに同じ言葉を口にしながらも、乗せられた感情は真逆だった。
「いいんですよ、理由なんて。後からいくらでもつけられるんです。ボクは雇われて敵兵の首を獲る。そして敵国は滅びて雇った国が勝つ。雇われたボクは望みの物を得る。それで、いいんですよ」
 だから、首をくださいと無邪気な声で魔法使いは言う。透明な声で、優しい口調で。……狂った様子で。
「……いいわけあるか」
「それなら仕方がないですね」
 魔法使いの杖を握る手に力が込められるのと、弓士が弓を構えるのは、ほぼ同時だった。
 瞬間、ドォン、と轟音が鳴り響き、まばゆい光があたりを染め抜く。
 音はびりびりと空気を震わせていたが、やがて落ち着いていく。さらに、音が薄まるにつれて空を覆っていた雲がゆっくりと晴れていった。
 嵐の夜から続いていた雨がやみ、雲間から陽光が差し込み、対峙していた二人を照らし出した。
「ほんとうに、雷のようですね」
 魔法使いが感嘆の声と共に吐き出した言葉に、弓士は無言を返した。魔法使いの垂らした左腕から流れる血もそのままに、右手で落ちた杖を拾う。
「雷の魔法まで使える魔法使いが、何を言う」
「いいえ、使えませんよ」
「嘘だ」
「あれは偶然です。杖が避雷針にでもなったのでしょう」
 肩をすくめた拍子に魔法使いのフードが外れた。雨雲やローブと同じ灰色の髪が揺れ、赤い瞳が弓士を見つめる。
 ほんとうですよ、と魔法使いは繰り返した。賭けに負けました、と付け加える。
「雨雲も去ってしまったし、維持する魔力も残っていない。ボクの負けです。うまくいっていたのに」
 ぺたりと座り込んで、魔法使いは脱力していった。弓士はゆっくりと近づき、魔法使いを見つめる。
「赤の国の姫君だな」
「……ばれましたか」
 舌打ちでもしそうな顔で苦くつぶやき、これでおしまいですね、と魔法使いは笑った。
「赤の国王はあなたほんとうにおそれていた。案外気の小さい男なんですよ。だからちょっと唆したらすぐにのってくれた。きっともう、限界だったんでしょうね。死の恐怖に負けたあのひとは、もうだめです。でも、私を手放そうとはしていなかった。なんなら私を捕虜に差し出して、命乞いする手段さえ考えてたんですよ」
 そんなのごめんです、と続ける。
「だからあの賭けが成立して、自由になれば、あとは知ったこっちゃなかったんですよ。私はどちらにしてもあの王の捨て駒でしたから。でもまぁ、これでしまいですね」
 雨の魔法使いであり赤の国の姫でもある少女は、弓士にそう説明した。
 どちらにしても赤の国は敗けることは決定となった局面で、赤の国の姫君は自分が逃げることを選んだ。いや、もしかしたら「雷撃の射手」の首を獲り、自分を自由にすることで赤の国を牛耳ろうとしていたのだろうか。
 少なくとも赤の国の王がそのままでいるよりもましだな、と弓士は思った。姫の赤い目は澄んでおり、必死さはあるが汚い欲望などは見受けられなかった。狂った様子さえ演技であっただろうから、彼女が国を率いていたら変わっていたかもしれない。
 何が、とは言わない。言っても仕方のないことだからだ。
 そして、彼女の真意は一生わからないだろうなとも思う。この姫は、この一件については何もしゃべらない。そう確信できた。
 この場に一国の姫がいる。ただそれだけは事実だった。

 その後、戦は赤の国の敗けに終わり、白国は赤の国を属国としつつも、周りの国々と相談して今後を決定するという穏便策をとることとなった。
 赤の国王には姫が一人いたはずだったが、戦のさなかに巻き込まれて行方不明となったと帝には伝えられた。帝は捜索の命を下したものの、それほど強さをもつものではなかった。消極的な捜索は、数年越しにゆっくりとその勢いを衰えさせてゆくことは明白だった。
 戦の命運を担った「雷撃の射手」には恩賞が与えられ、貴族の位と宮城近くの邸が与えられた。弓士は住まいを移し、そこで後進の弓士を育てることに尽力した。
 弓士の邸にはあまり使用人がいなかったが、ひときわ美しい灰色の髪に赤い瞳の少女が、甲斐甲斐しく弓士の世話をしているのは、まことしやかな噂となって流れたという。


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